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第13話

 ばちりと腹や腰に腕を絡める青年の赤い瞳が覗けた。 「安住…?」  鼻声に呼ばれる。目の前の青明(はるあきら)は困惑しながら安住の体の下に通した腕を引いた。腹や腰に回った彼の手がぶつかる。頭を抱えて慌ただしく起き上がり、まだ寝転がっている安住を見下ろす。 「随分寝ちゃったな」  青明の姿が陰り、落ちていく日差しが障子越しに金糸を焼く。 「腹減った。ごめんな、飯食えなかったろ」  溜息を吐いて彼は俯いた。 「買い出し、行かないと」 「生命尊(みこと)が行く」 「あの人はそういうことに時間を割いていていい人じゃない。俺が出来ることは俺がやらないと」  起き上がろうとする湿っぽい手を安住は両手で挟んだ。 「生命尊は休みなさいって言った」 「十分休めたよ。ありがとな」  押さえていないほうの手で髪を撫でられる。安住は捕まえた手を放してしまう。すでに日は傾いていたが彼は布団を抱えて干しに向かった。安住も追いかける。近所で時報の音楽が鳴っていた。少し離れたところから布団を物干し竿に掛ける青明を監視する。縁の下から現れた野良猫が脹脛に執拗に頭を押し付け、胴体を擦り付け、尻尾を張っては毛を纏わりつかせる。 「青明」  生命尊が現れ、彼を呼んだ。安住は野良猫を触りに近寄るつもりでいたが足を止める。 「もういいのか」 「はい。ご迷惑をおかけしました」 「何も迷惑などかかっていないよ。…青明」  生命尊は弟子の前に立ち、金色に照る髪と共に彼の顎を掬う。艶やかな黒髪が弱い風に揺れながら青明に重なった。数秒。安住は目を逸らして足元を歩く蟻を追っていた。小さな蛾の羽根が運ばれていく。 「今日の夜、また逢いたい」 「…生命尊様」  蟻を辿っていくうちに巣を見つけ、そこから出てくる蟻の行く先を見据える。 「(わたくし)は、生命尊様の弟子ですから…それ以上のことは、もう…出来ません」 「……そうか」  優しい主人の声がする。安住は立ち上がり、突然走り出す。結界門に向かって境内に敷き詰められた砂利を蹴る。結界門の下に影が立っている。生命尊は何も気付いていないようだった。鈴の音もしない。敷地を囲う木々が騒めき、空間がこの祭祀社のある閑静な住宅地から隔絶されたようだった。 「今日(こんにち)はご機嫌いかがですか」  桃の実のような色の円い目が眇められ、緩やかに巻かれた毛は風に泳ぐ。 「おじちゃん」 「少し散歩に行こうよ」  茶髪の若者は安住に朗らかな笑みを向けた。 「行かない」 「あの若い子がいるね」  茉箸(まばし)と名乗っていた若者は安住の境内を覗こうと首を伸ばす。 「ここから出してあげるよ」 「出ない」 「あの若い子がこっちに来るね」  安住、安住、と呼びながら青明が石畳の上を歩いてやって来る。彼は茉箸に気付くと恥ずかしそうにした。安住と茉箸を見比べる。 「参拝者の方ですか」 「はい。案内していただけますか」 「変なおじちゃん入れたらだめ!」 「安住!失礼だろっ。すみません…」  青明は激して茉箸に頭を下げる。 「安住も、きちんと謝れ」 「大丈夫ですよ。気にしないでください」  茉箸は青明へ明朗に微笑みかける。青明は安住を睨みつけ、茉箸を迎え入れる。案内する穏やかな声は普段とは違う。朗らかな返事に何の疑いもなく青明は話を続ける。 「だめだよ、だめだよ、入れたらだめ!」  並んで石畳を辿っていく青明を追って腕を掴んだ。首を振る。彼は困り果て、茉箸を気にした。 「お前!参拝者の前で何てことを!」 「そのおじちゃん、金色ちゃんのこと食べる。いつも来てる。生命尊ももう気付けてない」  安住は叫ぶように言った。青明は眉を顰める。 「どうしたんだ、安住…」  引き気味に青明は掴まれた腕を振り解く。 「そのおじちゃん、中に入れたらだめ」 「…そうは言ってもな…大変申し上げにくいのですが、日を改めていただくことは…、」  茉箸の麗らかな笑みが歪んだ。強く張られた糸が断ち切られるように青明の肉体は軸を失う。転倒する前に茶髪の若者に抱き留められる。 「返して」 「返さないよ。もらっていく」

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