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第20話

生命尊(みこと)様はお優しいから俺を傍に置いてくれるけど、本当は新しい弟子取りたいと思うんだ。でも俺は愛人みたいな関係になるつもりない。頑張るからさ。努力するから…絶対、ここの祭祀者に相応しい男になるから…」  膝に置いた手を掴まれる。 「お前のことも不安にさせてる?」  真っ直ぐに射抜いて離さない瞳から無理矢理視線を断ち切って首を振る。 「はるあきははるあきのままで、」 「駄目だ。青明(はるあきら)になんなきゃならないんだよ。立派な祭祀者以外ここには要らないんだ。お前のことは友達だと思ってるけど、それは俺が立派に祭祀者にならなきゃならないからだ。じゃないなら俺は世間に戻って、お前は生命尊様のところに帰るんだ」 「それがいい。はるあき居なくなっちゃう。祭祀者ならないで」  青明の眉が引き攣った。手が震えている。安住は肩を撥ね飛ばされる。半紙が舞った。目の前が陰る。 「なん、で…ンなこと、言うんだよ…ッ!」  赤い目によって半紙や新聞越しの畳に縫い留められる。 「お前のこと、俺のこと思ってくる友達だと思ってたのに、やっぱりお前は……ッ、生命尊様も、同じお気持ちなのか?こんな、やってもやってもどうにもならない跡継ぎには不安しかない…?だから俺は、御身体を癒す程度の、」  金髪が揺れる。墨の乗った半紙がまた散っていった。障子が爆ぜるように閉まって、足音が響く。  生命尊。  主人に反応はない。すでに奥底で繋がる力も残されていないようだった。後は祭祀社を守り、祭祀社を継いだ者として威鳴に喰われるだけ。安住は立ち上がって生命尊の自室に向かっていった。部屋を覆う簾はすべて閉じられていたが構わず中へ入った。虚ろな目が蝋燭に照らされ、安住を認めた。壁に寄り掛かり、そこから身動きが取れなくなっているようだった。口の端から朱液より鮮やかでありながら黒ずんだ赤い液体を滴らせている。  なんだ。 「はるあきがどこかに行っちゃった」  灯火に炙られる黒真珠に生気が宿ったが、身体を起こそうとして深く唸った。安住は主人の脇に腰を下ろす。 ――もう辞めたらいい…この代で終わればいい。あの子を巻き込むこともない。  傾きかけた姿勢を厄介そうに生命尊は直した。大きく息を吐き、生命尊は肩で息をする。喉で鈍い音がして、咳をする。強く目を瞑り、長い睫毛が緋色に照らされながら反っている。 「同じことを言ったら怒った」 ――逃がしてやりなさい。このまま俗世で生きたらいい…参拝者のことなんて、もうどうだって…  生命尊は緩やかに首を曲げ、安住を直視する。ひび割れた唇が赤黒く濡れている。 ――あの子が大事なんだ…許してくれ、兄さん…  口からは少量の血液が漏れ出てくるだけで、カラカラとした声にもなっていない音が抜けた。 ――あの子は私の太陽だよ…そのためなら月にでもなる…祭祀者の務めなぞ、そんなものだ。  途切れそうなほどの息吹が小さく聞こえた。ごぷりと喉が低く鳴る。 「生命尊」  安住の手が主人の胸部に添えられる。ちりちりと接触した境界が光を放つ。安住の腕が透けた。 ――兄さんなんて嫌いだよ…あの化け物と逃げたら良かったのに…他の人々のことなんて、考えないで…  生命尊の紅く染まった唇は動くが言葉を発することはない。 ――好きだったんだろう、あの化け物も兄さんのこと……他人の災いなんて…兄さん、あんないい子がどうして… 「生命尊喋るのやめて」  片手で動く唇を塞いだ。強烈な光が祭祀者を包む。 ――死にたくない、あの子を遺して死にたくない。  枝切れのような指に服を摘まれる。 「うん。私はお前も死なせたくなかった」  生命尊の眉の皺がわずかに薄くなる。 「でも済まない。あの子のことは守るから。私が月になろう」  生命尊の腕が叩き付けられる。安住の身体が発光し、放たれた粒子が主人に吸収されていく。 「兄さん…」  泣き虫で甘ったれた弟の幼い声がした。

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