10 / 22
第10話 歓楽街
部屋を出てしまった雪弥の後を追い、レイジも外へ出て来た。
「これで、良かったの?」
心配そうなレイジの視線に、雪弥は笑顔を見せる。
「…多分。仕上げはまだ、残ってますけど。」
バーに戻ると、店番をしていた二人の若い男が、レイジと雪弥に会釈をした。
それにレイジは笑顔を返す。客はまだ入っていないようだ。
レイジは雪弥をエスコートして、バーの外へ出た。
その扉の前で、雪弥は改めてレイジに礼をする。
「レイジさん、ネットで知り合って間もないのに、場所と人を提供してくれて、有難うございました。」
「いいのよ。…只じゃないしね。金額に見合った働きはさせて貰うわよ。…本当は、お金なんか良かったのに。」
「いいえ、それじゃ、僕の気が済みませんから…。」
レイジが優しく雪弥の頬を撫でる。
「ここは行き場のない男の子達の、駆け込み寺でもあるのよ。…だから、いつでも頼って来ていいのよ。」
レイジの二の腕のタトゥーは『Punire il peccato』とあり、イタリア語で『罪を罰する』といった意味だった。
雪弥はレイジと軽く抱擁を交わすと、彼に見送られ、細い階段を上がった。
ビル内の一階に辿り着くと、思わぬ人物が雪弥を待っており、雪弥は目を見開いた。
それは三時間近く前に別れた、鹿倉隆文だった。
最初に見た、会社帰りのスーツ姿のまま、長時間ここにじっとしていたと思われる彼は、肌寒そうにしていた。
雪弥は思わず声を上げる。
「鹿倉!?まさか、後を着けて…、ずっと待ってたのか?」
隆文は、ばつが悪そうにして頷いた。
「心配だったから。…あの人は?」
問われると、雪弥は少し返事を迷った。
「…この下にある店、どういう店か知ってる?」
「ああ…、うん、ネットで調べた。」
隆文の反応で、雪弥は全てを話す事にする。
「あの人は今、…若い男の子達とお楽しみ中。…あの人はね、二十九歳の時に僕で初体験をして、四十二歳の今まで、僕以外とセックスした事がなかったんだよ。だから、誰とでも楽しめるって、教えてあげたんだ。」
雪弥の口角は上がっているが、その瞳には複雑な思いが現れていた。
「これで、あの人は壊れるのか…?」
隆文の問に、雪弥は自分が言った言葉を思い出させられた。
「…少なくとも、僕という人物像は壊してきたつもり。…裏切った僕を、彼は許さないだろうね。」
数人の騒がしい男女が、ビル内に入って来た。それを切っ掛けに、雪弥は歩き出す。
「何処に行くんだ?」
「ホテルに帰るんだよ。…あの人が戻る前にチェックアウトしなきゃ。」
「送るよ。」
雪弥を追った隆文が、その横に並んだ。
「断っても着いて来るんだろ?」
無言のまま歩く二人に、数件ある風俗店から声が掛けられるが、それを無視して歩き続ける。
隆文はずっと何かを切り出そうとしては、その言葉を呑んでしまうのを繰り返していた。
そして何も紡がれないまま、二人は歓楽街を出る。
「あの、雪弥…。」
隆文が口を開いたタイミングで、雪弥はタクシーを一台、呼び止めた。
「ここで、さよならだ。」
タクシーの後部座席の扉が開き、雪弥が乗り込もうとした時、隆文が彼の腕を掴んだ。
「これ、俺の九州の親戚の、住所と電話番号。…民宿もやってるし、何処にも行く宛てがないなら、行ってみてくれよ。」
隆文はそう言うと、一枚のメモ用紙を強引に、雪弥の手に握らせた。
「…気が向いたらね。」
なるべく素っ気ない返事をすると、雪弥はタクシーに乗り込んだ。
タクシーが走り出すと、栄志とも、隆文とも遠ざかってしまうのを、雪弥は実感した。
胸が痛み、雪弥は顔を歪める。
――今、泣きそうなのは…栄志さんの所為?それとも鹿倉の所為?
雪弥は無理に感情を抑え込み、深く考えるのを止める。
そして、メモ用紙を一瞥もせずに、くしゃりと握りしめた雪弥は、それでも捨てる事なく、それをポケットに忍ばせた。
ともだちにシェアしよう!