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第11話 1507号室

 雪弥は一人、宿泊先のホテルへと帰って来た。  二十一時半を過ぎているが、ロビーは疎らに人が行き交っている。殆どがラウンジ・カフェを利用する、一般客のようだった。  雪弥は伏し目がちにフロントの前を通ると、宿泊客しか使用できないエレベーターで、十五階まで上がった。  エレベーターを出て角を曲がり、間接照明に照らされた、クリーム色の長い廊下を歩く。同色の壁に規則正しく並ぶ扉はウォールナット調で、その中央辺りに位置する一室の前で、雪弥は立ち止まった。  1506号室。扉のプレートで部屋番号を確認すると、雪弥は胸ポケットからカードキーを取り出した。使い捨ての紙タイプのものだ。  開錠して中に入ると、カードキーを入り口付近の電源コントローラーに差して、室内に灯りを(とも)した。  部屋はシングルルームだったが、大き目のベッドが入る、ゆったりとした空間で、大きな窓の外には美しい夜景が広がっていた。  隆文に呼び出され、そのまま外出してしまったので、ライティングデスクの上には、システム手帳が出しっ放しにされている。  雪弥は時間を気にしつつ、両開きのクローゼットの扉に手を掛けた。  クローゼットを開けると、黒のトレンチコートが一着だけハンガーに掛けられており、その横には1メートル程の長い木箱が立てて置かれてあった。  箱は宿泊前に、雪弥がこっそり輸送しておいた物だった。  雪弥はその箱を、抱えるようにして外に出した。一人で持てない程の重さではない。  一瞬、箱を開けるか迷った雪弥だったが、そのまま部屋の外まで持ち出した。そして隣室の1507号室前に移動する。  そこは栄志の部屋だった。  雪弥は同様にカードキーで扉を開ける。マネージャーという立場を利用して、栄志の部屋のキーも特別に用意して貰っていたのだった。  中に入り、ベッドの傍まで行くと、床に細長い木箱を横たえ、棺桶を開けるように蓋を開けた。  そこには更に化粧箱が入っており、雪弥はその蓋だけを取り去る。そして箱一杯の白い布を掻き分けると、一体の大きなビスクドールが姿を現した。  90センチを超える大きさのその人形は、東洋系の美しい少年の姿をしており、どこか雪弥に似ている。  雪弥がこの人形と初めて出会ったのは十八歳の頃、スウェーデンで二度目の引越しをして間もない時だった。  栄志が仕事で忙しくしていた為、アパートメントの一室で、雪弥は一人で片付けをしていた。栄志の荷物から、頑丈な1メートル程の棺のようなケースを見つけると、雪弥は何となく気になり、思わず開けてしまった。  楽器か何かだろうと思っていたそれは、精巧に出来た少年のビスクドールで、雪弥は目にした瞬間、大きな衝撃を受け、息を呑んだ。そして体を震わせ、全身に鳥肌を立たせる。  それは、その人形が『由倭(ゆわ)君』なのだと、直感させられたからだった。  最近では全くなくなっていたが、栄志との体の関係が始まった当初、彼は肌を合わせている最中に、何度か雪弥の事を『由倭君』と呼んだ事があった。 「由倭君って、誰なの…?」  雪弥は栄志に尋ねてみたが、栄志は誤魔化すように言葉を濁し、その存在は明らかにされなかった。  雪弥はそれ以上追及せず、ただ漠然と、栄志が自分に由倭という人物を重ねているのだと思った。  そうして忘れた頃に、その人形を見て、由倭の正体を漸く知る事が出来たのだった。 ――まさか、人形だったなんてね…。  勿論、栄志に直接確かめた訳ではない。しかし、栄志の抱き方を思い出すと、由倭は人形である事が、しっくりと当て嵌まるような気がした。  無表情でベッドに横たわり、無抵抗で体を栄志の自由にさせる自分と、その人形が重なる。 ――僕は…こんな人形の代わりにされてたの…!?  怒りが込み上げ、人形をバラバラにして、無残な姿にしてやりたい衝動に雪弥は駆られる。  殺意に似た感情で手を伸ばした瞬間、激しい頭痛が雪弥を襲った。畳み掛けるように吐き気も込み上げて来る。 ――何、これ?…呪いの人形?  怖れに怒りを掻き消された雪弥は、人形を封印するように箱を閉ざした。  それ以来、その人形には近寄らなかった雪弥だったが、日本での仕事が決まった時、栄志と人形を再会させる事を思い着いたのだった。 ――ただの再会じゃ駄目だ。徹底的に傷付いて、その後に会わなくちゃいけない…。  雪弥は箱から由倭君を掬い出すと、ベッドの上に横たえた。透けるような白いシャツの胸元のリボンを結び直し、光沢のあるグレーのズボンの裾も整えてやる。  そして雪弥は人形に話し掛けた。 「由倭君、元気だった?…栄志さんを君に返すよ。僕の代わりに、彼を慰めてあげてね。」  今は頭痛も吐き気もしない。  人形の由倭君は、心なしか微笑んだように見えた。  雪弥は栄志に与えられたキャッシュカードとスマートフォンを、サイドテーブルに置くと、その部屋を後にした。

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