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第12話 矢野家~過去~

 メンタルに大きなダメージを受け、矢野栄志は宿泊中のホテルに一人、戻って来た。  自分を陥れた、甥の雪弥の所在を確かめる気力もなく、十五階にある一室に入る。  部屋に灯りを点けると、中央にあるダブルベッドに、大きな人形が横たわっているのが目に入り、栄志は声を出すほど驚いた。  そしてそれが、見覚えのあるビスクドールだと認識すると、彼は駆け寄り、その傍に跪いた。 ――俺の大事な…お人形。  矢野家は代々、芸術家を輩出する家系だった。世代によってジャンルは様々で、彫刻家もいれば、作曲家もいる。そして栄志の祖母は、名のあるビスクドール作家だった。  祖母は矢野家の庭にアトリエを持っており、一日の大半をそこで過ごしていた。  栄志は子供の頃、祖母のアトリエが苦手だった。  祖母の作る人形達は平均60センチ程の大きさで、リアルな造形をしており、アトリエにはその制作過程の物が多数、見受けられた。幼い栄志にとって、それはバラバラの死体のように映り、恐怖を抱いた彼は、軽いトラウマを植え付けられてしまったのだった。  幼いながらに、生命のない、ただの人の形をした物だと理解しながらも、怖いといった感覚は、中々消えなかった。  矢野家の一室にも、高値が付いた選りすぐりの人形達が飾られている、鍵付きの部屋があり、栄志は意識的に、そこにも近付かないようにしていた。  栄志が小学六年生の頃、祖母が他界した。父を亡くした翌年の事だった。  それを切っ掛けに、幾つかの人形は高値で愛好家達に引き取られ、矢野家から姿を消したようだった。  栄志が中学に上がった頃、七つ上の姉、瑞葉(みずは)の部屋に、一人で入る機会があった。  最初に、専用のチェアに座る、大きなビスクドールに気付き、栄志は反射的に身を竦めた。  しかし、不思議と恐怖は訪れず、栄志は傍へ歩み寄った。   姉の瑞葉の机には、小さなミシンと裁縫道具、それと作り掛けの人形の衣装と思われる、コーデュロイ素材のズボンが置かれている。  瑞葉は矢野家では異端児的な存在で、芸術を重んじない人物だった。そんな彼女が創作したとみられる衣装に、栄志は彼女の意外な才能を見た気がした。  目の前にあるビスクドールは、栄志が初めて見るものだった。  艶やかなダークブラウンの髪はショートヘアで、色白の美しい顔をしている。  光を集めたようなブラウンの瞳の周りは、長い睫毛に被われており、一本、一本、下睫毛に至るまで、丁寧に接着されているようだった。  その表情は微笑んでいるようでもあり、物憂げでもある。 ――もしかして、お祖母(ばあ)様が作った人形の中で、一番高値が付いたやつって、これじゃないのかな…?  そんな考えも過らせつつ、栄志はまじまじと人形を見ていく。  人形は衣服を殆ど取り払われており、白いシャツを一枚着ただけの姿は、どことなくセクシャルだった。  ふとシャツの中が気になり、栄志はそのボタンに手を掛けた。  ボタンを外していくと、滑らかな白い肌が露になり、栄志はその人形が少年である事に気が付いた。  膨らみのない胸には小さな桜色の突起が二つ並んでいる。それを指でなぞった栄志は、今までに感じた事のない昂りで、下半身に熱を持たせていった。  どうしてそうなったのか戸惑いながらも、栄志は人形の体から目が離せず、遂には漏らしてしまった感覚に襲われた。  それが射精なのだと知った栄志は、羞恥に駆られながらも、人形に特別な感情を抱いていった。  それからは頻繁に、瑞葉の留守中を狙い、こっそり人形を自室へ持ち込むようになった。  そして人形の衣類を全て取り去り、裸にする。  オールビスクのそれは、球体関節という人形独特の体をしているが、それでも美しく、それは官能的に栄志の目には映った。  人形の乳首を弄り、その股間にある申し訳程度に模られた性器を堪能しながら、栄志は自慰に耽る。  それは毎回、栄志を至福の絶頂へと導いた。  栄志が十六の時、瑞葉の結婚が決まった。  彼女は母が選んだ婚約者ではなく、中流家庭の二つ年下の男性の子供を妊娠したといって、発覚した当初、かなり揉めたようだった。  瑞葉は家を出る前日、栄志に声を掛けた。 「ねぇ、栄志。由倭(ゆわ)君、譲ってあげようか?」 「…由倭君?」  首を傾げた栄志のもとに、瑞葉は少年のビスクドールを持って来て見せる。  その時、栄志は初めて人形に名前がある事を知った。 「お祖母(ばあ)様が作った、お人形よ。あんた、いつも私の部屋から持ち出してるでしょう?…小さい頃、あんなに怖がってたくせに。興味あるの?」 「興味っていうか…。」  言い訳に困り、栄志はそこで素直に認めた。  正式に由倭君を譲り受けた栄志は、本格的に彼に愛情を注ぎ出した。他の人間には、全く興味が持てなくなるくらいに。――  しかし、その数年後、栄志の異常な性愛は、瑞葉が産んだ雪弥へと傾いていった。  いつ頃からだろうか。栄志は雪弥が由倭君に似ていると思い始めていた。 「姉さん、雪弥って…由倭君に似てない?」  そう瑞葉に問うと、彼女は小首を傾げてから微笑んだ。 「それは光流(みつる)君の遺伝子ね。だって、私の光流君の第一印象、由倭君だったもの。」  瑞葉から出た、彼女の夫の名に、栄志は賛同しかねたが、姉弟揃って由倭君が理想である事を可笑しく思った。  ミュンヘンの音楽大学留学中に、プロのピアニストとなった栄志は、そのままドイツを拠点に活動していた為に、雪弥とは年に一度か二度、帰国した際に、会える程度だった。  会う度に成長している雪弥が気になり出すと、遂には日本で活動する事を、二十七歳の栄志は決断したのだった。  十歳を過ぎても雪弥は中性的で愛くるしく、それを裏切らない、しおらしい性格をしていた。正に精巧にできた”お人形”といった感じだ。  しかし雪弥の股の間には、人形よりも立体的なものが付いている。  雪弥には由倭君にさせられなかった事が出来るのだと思うと、栄志を興奮させた。  栄志は雪弥を膝の上に抱くと、いつも勃起した。  何も知らない雪弥が、いつそれに気が付くのだろうと、栄志は秘かにスリルを味わい、楽しんだ。  雪弥は中学生になると、サッカー部へ入ったようだった。  日焼けや怪我をさせたくなくて、反対した栄志だったが、彼に決定権はなく、悔しい思いをした。  会えない日も続き、栄志の欲求不満は溜まっていく一方だった。  学生が夏休みに入った頃、栄志は豪華客船を餌に、雪弥を一人、連れ出す事に成功した。  船上の密室に二人きりになると、栄志は雪弥を手に入れた気になった。  そして栄志は、欲望のままに雪弥を襲ってしまったのだった。  最初、彼が意識を失ってしまった時は、思わず窒息死させてしまったかと焦ったが、呼吸と心音を確認すると、安心して行為を続ける事が出来た。  意識のない雪弥は、本当に人形のようだったが、その内側はとても熱く、栄志を包み込んでくれた。  遅かれ早かれ、雪弥とはこうなっていたのだ。僅かに浮上した罪の意識を、栄志は心の奥底に追いやった。  その後、雪弥は自ら体を差し出してくれるようになり、それは愛し合っている証拠なのだと栄志は確信した。 ――それなのに…!  雪弥はずっと、栄志を欺いていたのだ。 「由倭君!今まで放っておいて、ご免ね!俺には、やっぱり君だけだったよ!…雪弥は悪魔だった!ああ…由倭君、君だけを愛し続けていたら、俺は傷付かずに済んだのにね…!」  栄志は人形の手を取り、縋るようにして(むせ)び泣いた。

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