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第14話 秘密の部屋~由倭の物語~

 由倭が二十歳の誕生日を迎えた日、栄尚は美しい花束と高級なシャンパンで祝ってくれた。そして、その日、彼は自宅に戻らずに、由倭と一緒に朝を迎えてくれたのだった。  由倭は嬉しくて、彼の胸で泣いてしまった。  それは由倭の生涯で、一番幸せだと思える誕生日だった。  愛する人の傍で、好きな絵を描ける生活が、このまま、ずっと続くようにと、それだけを由倭は願う。  そんな日々を繰り返す中、悪魔の足音が、ゆっくりと由倭のもとへと忍び寄ってきていた。  初夏を迎え、梅雨空の広がったある朝、栄尚はアトリエから美術大学へと出掛けて行った。  それを見送った由倭は、三日後に開かれる、栄尚の個展の準備を始める。  その個展には、由倭の作品も三点ほど展示して貰うことになっていた。きっと、誰かの目に留まるだろうと、栄尚のお墨付きを得たものだった。  その絵画の中には、栄尚に送られた花束をモチーフにしたものもある。  不意にノックの音がして、由倭が振り返るのと同時に扉が開き、二人の男女が部屋に入って来た。  由倭は女の顔にはっとする。  ゆるやかなウェーブの掛かった見事な長い銀髪に、皺ひとつ見られない年齢不詳の顔。  栄尚の義母である矢野塔子(とうこ)だと、由倭は気付いた。  アトリエの本棚に並んでいる美術雑誌で、彼女の顔写真を見ただけだったが、間違いないと確信する。  矢野家の人間が、このアトリエを訪れたのは、これが初めての事だった。  ただならぬ緊張が張り詰める中、由倭は彼女が土足である事に気付く。 「あの…。」  由倭が(たしな)めようと口を開いた時、塔子が前に進み出て、彼の正面に立った。  ヒールを履いた彼女と、小柄な由倭の目線は近い。  銀髪と青いワンピース姿が、幼い頃に読んだ童話の『雪の女王』を、由倭の脳裏に過らせた。 「栄尚と寝ているの…?」  思い掛けない急な問いに、由倭はぎくりとした。 「いいえ…。」  直ぐに取り繕い、由倭は嘘を吐いた。 「そう、悪い子ね…。でも栄尚が、たぶらかされたのも分かるわ。」  由倭の否定が聞こえなかったようにして、塔子は言葉を続ける。 「黒目がちで濡れたような瞳、長い睫毛、赤く小さな口元。…人間の顔には珍しい、シンメトリーな造形をしているのね。美しい子…。」  突如、塔子はカッと目を見開いた。急にアドレナリンが放出したかのような、興奮した表情をしている。 「久々に…創作意欲が湧いてきたわ!ああ、どうしよう。抑えられない!…私はこの子の人形を作る!鞠河(まりかわ)!」  塔子は付き添いの男を呼んだ。男は意思疎通を速やかに図るように、白いハンカチに透明の液体を染み込ませた。そして急な事で呆然としている由倭の鼻と口を、それで塞いだ。  抵抗を見せた由倭だったが、敢え無く、意識を深い闇へと落とす。  目を覚ますと、見知らぬ白い天井があり、狭いベッドに由倭は横たえられていた。  部屋の中央には、ベッドと並行して金の猫脚の付いた細長いバスタブがあり、隅の方には洋式の水洗トイレと洗面台も見受けられる。  ベッド以外は、全てが由倭にとって馴染みのない、西洋のバスルームといった印象の部屋だった。  壁に窓は無く、バスタブの真上にある天窓が、唯一の外の光の入り口となっている。曇り空が切り取られて見え、まだ日が暮れていない事が分かった。  軽い頭痛を感じながら由倭は身を起こす。毛布が捲れると、衣類を全て脱がされている事に愕然となった。  由倭はリノリウムの床に素足を下ろし、毛布を腰に巻いて扉を目指した。  金のノブに手を掛け、回してみたが、鍵が掛けられている。鍵穴を覗くと、そこには別の部屋があるようだった。 「ここを開けて下さい!」  由倭が亜麻色の扉を激しく叩くと、少し間をおいて、鞠河と呼ばれていた男が入って来た。中肉中背の黒縁眼鏡を掛けた彼は、何処にでもいる中年男性といった印象だった。ただ、人を見下したような、冷たい目付きをしており、由倭に反感を持たせた。 「あなた達は、どういうつもりで僕にこんな事を…?僕の服を返して下さい!」 「それなら、もう、処分してしまったよ。」  鞠河は答えながら、由倭の毛布を剥ぎ取った。そして露になった太腿に注射器の針を刺す。  自分に何が起こったのかを処理している内に、由倭は立っていられなくなった。  鞠河は軽々と由倭を肩に担ぐと、ベッドに横たえ直す。 「栄尚君から手を引くようにと、塔子様は君を説得に行かれたのだ。…だけど、君は塔子様の目に留まってしまった。君はね、塔子様の人形になるんだよ。」  至近距離で顔を嘗めるように鞠河に見られ、由倭は不快さを顔に出した。今直ぐ逃げ去りたいと思うが、先程、打たれた薬が効いてきて、下半身が言う事を利かない。  そこへ塔子が現れた。先程とは違い、長い髪はアップにされており、ジーンズに白シャツ姿となっている。 「僕を帰らせて下さい!…栄尚先生の個展の準備があるんです。人形のモデルなら、個展が終わってからやりますから…!」 「私は待ったりしないの。やると決めたら、直ぐに実行するわ。…これから、お前の体を細かく採寸していく。その顔も特にね。そして、この髪は人形に使わせて貰うわ。…もう少し長くなくちゃ、刈れないわね。」  肩に軽く掛かるくらいの由倭の髪を、塔子がさらりと触った。  由倭は寒気を感じながら、塔子が人の話を聞かない人種だと痛感する。  それでも懇願せずにはいられない。 「…じゃあ、せめて栄尚先生に、僕がここに居ることを伝えて下さい!」 「その必要はないわ。」  やはり由倭の願いは、冷たい微笑で聞き入れられなかった。  塔子が鞠河を、改めて紹介する。 「彼は鞠河。矢野家のお抱え医師よ。…これから、お前の世話は彼がするから。」  それから由倭の監禁生活が始まった。  初日に酷く暴れた由倭は、麻薬に似た筋弛緩剤で、早々に薬漬けにされてしまった。動けない体はムダ毛を全て剃られ、あらゆる箇所をチェックされた。全て手を下すのは、医師の鞠河だ。 「君が人のものに手を出したりするからだよ。…これは罰だ。」 ――だからって…なんで罰を与える権限が、あんたにあるんだよ…!?  口答えをすると薬の量を増やされるので、由倭は心の中で反論した。  鞠河は由倭の体を清める度に、いやらしい悪戯をしてきた。浴槽に横たえ、体を洗う振りをしながら、乳首や性器に刺激を与えてくるのだ。  由倭が抗えず、反応し始めると、鞠河は本格的に手で性器を扱き始める。 「性的欲望があると、栄尚君の事を想ってしまうだろう?…だから、こうして処理をしてあげないとね。」 ――そんな欲望が無くたって、僕は常に栄尚先生の事を想っているのに…!  鞠河の手が射精を促してくる時、由倭は目を固く閉じる。そして栄尚を想いながら、いつも達するのだった。  ここでは日常的な音は余り聞こえない。テレビやラジオ、電話等の機器は置かれていないようだ。  耳を澄ますと、小鳥の囀りやカラスの鳴き声が、時折、天窓から聞こえ、車のエンジン音も、一日に数回、小さく聞こえる時があった。  半年ほど経った頃、ほぼ寝たきりになった由倭に、鞠河が意地悪く囁いた。 「ここが何処なのか、ずっと気にしていただろう?…教えてあげようか?…ここはね、矢野家の敷地内にある、塔子様のアトリエの一室なんだよ。ついさっき、栄尚君が僅か数メートル先を、歩いて行ってたな…。」  それを知った由倭は、静かに泣き出した。  愛する人が近くに居るのに、自分の所在を伝えられないのは、とても辛い事だった。  季節が廻り、一年が過ぎた。  特に念入りに手入れをされた由倭の髪は、肩先から15センチほど先まで伸びていた。  椅子に座らせた由倭の髪に、塔子が自らの手で、丁寧に鋏を入れていく。 「…もう、いいですよね?…僕を栄尚先生の処に帰して下さい。」  力のない声で、由倭は一縷の望みを塔子に訴えた。 「いいえ、駄目よ。…私が作ろうとしている人形は、それでは完成しないのよ。」  いつもより優しい声で返された。少し不気味だ。 「僕を殺すのですか…?」  死ぬ前に、もう一度だけ栄尚に会いたいと、由倭は切実に思う。 「いいえ、あなたは私の手によって、永遠に生きるの…。」  塔子の唇が、由倭の頬にキスを落とした。  由倭の意識が暗転する。そして彼はそのまま、昏睡状態に陥ってしまった。  長い沈黙の後、由倭は意識を取り戻した。  久々にクリアな気分だった。頭痛も、倦怠感もない。 ――これなら、この部屋を出る事が出来るかも知れない。  そう思って体を動かそうとしたが、無理だった。指一本ですら、動いてくれる気配はない。  そこへ近付いて来た塔子が、由倭を軽々と持ち上げた。彼女の満面の笑みが、由倭の視界を占める。  由倭は自身が痩せ細り、ここまで軽くなってしまったのかと愕然とする。しかし、それは違っていた。 「お前は私の最高傑作になったのよ。…ほら、見える?あれがお前の元の体…。」  塔子がくるりと向きを変えて、ベッドに横たわる、冷たくなった由倭の裸体を見せた。 ――ああ、あれは僕だ…。あんなに痩せて、髪を切られて…。あれは…僕の死体なのだ…。  その事だけを、由倭ははっきりと理解した。泣きたいのに涙が出せない。 「あの体は鞠河に処分して貰うわ。…ようこそ、私のお人形。一生、大事にしてあげるわね。」  塔子は由倭を優しく抱き締めた。 

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