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第15話 人形の部屋~由倭の物語~

 一度は訪れる事があるかも知れないと思っていた矢野家に、由倭は塔子の作品として迎え入れられた。  オールビスクで作られた、90センチ程の大きさの人形の中に、由倭の魂は閉じ込められてしまったのだ。  その姿は由倭の元の体が模られており、まるで呪いで人形に変えられてしまったかのようにしている。  矢野家には鍵の掛かった奇妙な部屋があった。  扉を開けると、五体の人形達が暮らしているような世界が広がる。  人形達のサイズにあった応接セットや、ドレッサー、衣装の並べられたクローゼットがあり、思い思いの場所で彼らはポーズをとっていた。  中世の王子のような衣装を着せられた由倭は、その一員にされ、王座のような椅子に座らされた。  ある日、人の目を盗むようにして、栄尚がその部屋を訪れた。  まだ四十三歳になったばかりの彼だったが、やつれており、伸びた髭の手入れもされていない所為か、かなり老けてしまって見える。  心臓を持たない筈なのに、由倭は胸の高鳴りを感じた。 ――栄尚先生!…僕はここにいます!どうか、僕を連れ出して…!  その思いが届いたかのように、栄尚は真っ直ぐ由倭のもとへ近付いた。  彼は唇を震わせた後、嗚咽を洩らし始める。 「ああ、私がもっと早く気付いていれば、君をこんな目に合わせずに済んだかも知れないのに…。由倭君、私は不甲斐ないよ。私は君の作品すらも義母(はは)に奪われ、守る事が出来なかった…!」  栄尚のその言葉で、彼が事の真相を全て知っているのだと、由倭は理解した。  そして、ほっとする。  大事な時に急に失踪してしまったと、栄尚に思われているであろう事が、由倭にとって、一番辛い事だったからだ。  由倭は彼が真実を知ってくれているのなら、自分の死が世間に公表されず、生きた証さえ消されたとしてもいいと思えた。  夜、月明かりが僅かに差し込む人形の部屋で、由倭は女の声に話し掛けられた。 「由倭君、私の声が聞こえる?」  それは由倭の近くの、唯一ガラスケースに入った少女の人形から聞こえるようだった。  華やかな絵羽模様の朱色の着物を着ているその人形は、長い黒髪で和風の顔立ちをしている。その所為か、一見、日本人形のように思われた。しかし、ガラスの瞳や、立体的な長い睫毛、袖口に見える手首の球体関節が、ビスクドールである事を物語っている。 「聞こえます!」  口は動かせないが、人形同士なら会話が出来るのだと初めて知り、由倭は驚いた。 「私は多岐子(たきこ)。…私は塔子ちゃんの二つ年上の従姉だったの。」  由倭ははっとする。 「あなたも彼女に殺されたのですか?」 「いいえ、私は病死したの。今から五十年ほど前にね…。十九の頃に、白血病だったわ。塔子ちゃんは死んだ私の髪を欲しがって、私の家族から許しを得ると、それを使って私そっくりの人形を完成させた。気が付くと、死んだ筈の私は、この中に閉じ込められてしまっていたの。」 「五十年…。」  色褪せた風もなく、美しい姿の多岐子を、由倭は信じられないといった思いで凝視する。 「…塔子ちゃんは悪魔なのよ。」  多岐子は唐突な内容を語り出す。 「あの子は十四歳の時、崖から落ちて死んでしまったの。その体に悪魔が入り込んだのよ。…彼女の見事な白髪(はくはつ)は、その時からなの。生還したと見られた彼女は十六歳の時、…私の病が発覚してから、人形作りを始めたわ。その時は、まさか人形に閉じ込められるなんて、思いもしなかった。…彼女の作る人形全てが、魂を宿している訳ではないけれど、ここに集められた子達には、人の魂が閉じ込められているのよ。」  多岐子以外の人形達、十五、六歳くらいの少女が二体と、二十歳くらいの青年が二体、悲しそうに微笑んだようだった。  塔子が悪魔だというのは、俄かには信じ難いことだったが、彼女には特別な力があることは間違いないのだと由倭は思う。 「もう、僕達の魂は、ここから解放されないのですか…?」 「ええ。私は家族の誰よりも先に死んだ筈なのに、家族全員の魂を見送ることになったわ。…それは、とても辛く、悲しいものだった。塔子ちゃんを恨んで、今でも彼女を呪い殺したいって、思っているけど、…そんな力は誰も持っていないの。」  由倭も例外ではないと、多岐子は言う。  そして四年後、多岐子の言っていた辛い悲しみを、由倭自身も味わう事になった。  アルコールに溺れて暮らすようになっていた栄尚が、飲酒運転により事故死したのだ。 ――誰かこの器を壊して!…僕の魂を彼の傍へ行かせて!  由倭は悲しみで爆発しそうになり、魂の解放を強く願ったが、それは叶えられなかった。  時折、矢野家の何処かに、栄尚の魂の気配を感じる事があった。しかし彼は、由倭のもとには現れてくれなかった。  栄尚の死から一年が過ぎた頃、栄尚の魂が人形の部屋を訪れた。その腕には塔子のような影が抱きかかえられている。 「…漸く彼女を、この世から連れ去ることが出来るよ。…さようなら、由倭。」  久々に聞く、栄尚の優しい声だった。 「栄尚さん!…その人じゃなくて、僕を連れて行ってよ!」 「ご免ね、それは出来なかったんだ…。」  そして、栄尚と塔子の魂の気配が消えた。 「彼が私達に出来ない事を、成し遂げてくれたのね…。」  張り裂けそうな悲しみを抱えた由倭に、多岐子が気遣いを見せつつ、呟いた。  翌日、矢野塔子、七十一歳の死が発表された。死因は急性心不全との事だった。  塔子を追悼する人形の展示会が、美術館で数日、行われた。  それを切っ掛けに、何体かの人形は愛好家達に高値で引き取られていった。  由倭の買い手には、愛好家以外と思われる多くの人々も名乗りを上げ、その中に医師の鞠河も混じっていた。由倭は恐怖と拒絶で一杯になる。 ――絶対に、あいつの物になんか、なりたくない!…僕は矢野家に帰りたい!  その願いが届いたのか、栄尚の娘の瑞葉(みずは)が形見に欲しいと言い、由倭の所有者は彼女になった。  彼女は予てから由倭を気に入り、自分の物にしたがっていたらしかった。  二十歳の瑞葉は、由倭を手に入れると、矢野家の自室へと連れて行った。  彼女はネルシャツやジーンズ等の衣装を数着作り、気まぐれに由倭を着替えさせる。大学の勉強も、そっちのけのようだった。  ある時、瑞葉の弟の栄志(えいし)が、彼女の部屋に入って来た。  驚いた事に十三歳の彼は、人形の由倭に性的欲望を抱いたようだった。  そんな栄志に由倭は、鞠河に対してのような嫌悪感を感じる事はなかった。それは彼の熱い眼差しが、栄尚を彷彿とさせたからだった。  栄志に裸にされ、体に触れられながら、彼の自慰を目の当たりにすると、由倭も少し変な気分になった。 ――栄志君が僕の所有者に、なってくれればいいのに…。  その願いは、瑞葉の結婚が決まってから実現した。  人を呪ったり、魂の解放は望めなくても、強い願いは叶うこともあるのだと、由倭は人知れず高揚感を得る。  栄志の物になってから、由倭は栄尚に愛されていた頃のように、満ち足りた気分になった。彼は毎日のように由倭に話し掛け、愛欲すらも注いだ。  それは栄志が大人になってからも続き、由倭も彼を見守り続けた。 ――栄尚先生は逝ってしまったけれど、君はずっと僕の傍に居てくれるよね…。  しかしそれは、ある日突然、終わりを迎えた。  栄志は急に由倭に興味を無くしたかのようになり、彼を箱に閉じ込めてしまったのだった。  栄志が他の誰かを愛したのだと、由倭は気付いた。生きている人間には敵わないのだと、悔しく思う。  数年が経ち、箱の蓋が開かれた。由倭は期待をして、その目を凝らす。  蓋を開けたのは栄志ではなく、由倭に何処となく似た顔をした少年だった。  由倭はがっかりすると同時に、その少年が、自分から栄志を奪った相手なのだと直感した。  次の瞬間、少年は由倭に対して、凄まじい殺気を放ってきた。そんな感情を向けられたのは初めての事で、由倭は恐怖を感じた。 ――やめて、僕を壊さないで!  強く、そう念じると、彼はその衝動を収めてくれた。  それから十年近くの時を経て、再び箱の蓋は開かれた。  それは由倭に似た少年だった彼で、由倭はまたしても、がっかりする。  前より大人びた彼は、そんな由倭に囁くように朗報を告げる。 「君と栄志さんを再会させてあげるよ。…日本に着いたらね。」  由倭の心は躍った。  その数日後、由倭は念願の栄志との再会を果たす事が出来た。  栄志は年を重ね、顔も声も、由倭と愛し合っていた頃の栄尚に、よりそっくりになっていた。  何処か傷付いたような彼は、泣きながら由倭に話し掛ける。 「由倭君、ご免ね。…これからは君だけを愛するって誓うよ。」  夢のような言葉だった。 ――僕も君の事が大好きだよ。だから、もう箱の中にしまったりしないでね。  由倭は穏やかな気持ちで、栄志に寄り添った。  これが、人として生きてきた年月よりも長く、ビスクドールの中に閉じ込められている青年、由倭の物語だ。

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