16 / 22

第16話 無人駅

 雪弥が栄志のもとを去ってから、四日が過ぎた。  行く宛てもなく旅をするように、途中、見知らぬ土地に宿泊しながら、雪弥は陸路をゆっくりと南下して行っていた。その頭の片隅には、九州にある隆文の親戚の住所がある。  行くわけがないと、一度は選択肢を断ったその場所に、勝手に足が向いてしまっているようだった。  鈍行列車に乗り込み、淡く日差しが差し込む窓の外を眺める。その雪弥の目元は赤い。  彼は一人、旅立ってから、人の目の届かない処に行くと、崩れるようにして泣き臥せっていた。  自分が栄志にした仕打ちと、彼のもとを去ったという事実が、雪弥の胸を締め付け、涙を込み上げらせるのだ。  栄志とは十二年ほど付き合っていた事になっていたし、それなりに情も湧いていたのだろう。  離婚してしまった両親の、どちらと暮らすよりも、愛情深い栄志の傍で暮らす方が幸せなのだと、そう思った事もあった。ただ、彼の愛し方は間違っていると分かっていたから、彼を恋人として受け入れる事が出来なかったのだ。 ――一人で生きていけるって豪語したんだから、早く忘れなくちゃね…。  雪弥は付き纏う不安を、ぐっと抑えこんだ。  比較的大きく、賑わいを見せる駅に、列車が停まった。そこで殆どの乗客が降りて行く。  この付近には川沿いに栄える温泉街があり、みんなそこへ向かうのだろう。  長めの停車時間中に、雪弥はそこで降りる事を迷ったが、皺の寄ったメモ用紙を開いて、隆文の書いた行き先を見つめると、思い留まった。  そして小型トランクを片手に、ひとつ先の駅で降りる。  古く小さな駅舎があるものの、そこは無人駅で、急に何もない寂しい場所となった。 ――後はバスに乗って、三つ目のバス停で降りるだけ…。  スマートフォンで確認しつつ、再度、メモ用紙も確認する。住所と一緒に携帯番号が書かれており、暫く逡巡した後、その番号に電話を掛ける事にした。  四回目のコールで相手が出る。 「はい、佐藤です。」  若い男性の声で個人名を名乗られ、雪弥は少しだけ狼狽える。 「あの、今日なんですけど、民宿の…『かわえみ荘』にお伺いしたいのですが、お部屋って空いてますか?」 「えー…っと…。お名前、いいですか?」  歯切れの悪い感じで名前を聞かれ、雪弥は不安を感じる。 「…七原と申します。」  雪弥は咄嗟に父方の姓を名乗ってしまった。 「七原?…矢野じゃなくて?」  相手の言葉に、雪弥ははっとする。 「…隆文君から、連絡が行ってるんですか?」 「そうそう。俺の個人の携帯番号(ケーバン)渡したって、隆文から連絡あってね。矢野雪弥君って聞いてたんだけど…。違うの?」  隆文の名前を出すと、相手の少し安心した感が伝わった。 「いえ、矢野です。隆文君と仲が良かった頃、七原だったので…。」 「ああ、そう。で、…今、どこ?」  大して気にしない風で、居場所を問われた。  雪弥が駅名を答えると、直ぐに迎えに行くので、そこで待つようと言われた。  駅舎前のベンチに座って待っていると、十分ほどして、白い軽自動車が近付いて来た。適当な停め方をして、中から白髪交じりの、口髭を生やした男性が現れる。背はそう高くはないが、ガタイがいい。  雪弥がお辞儀をすると、彼は右手を一瞬だけ、軽く上げた。 「矢野君?七原君?…どっちだっけ?」  そう質問する声は、先程の電話で聞いたものとは違っていた。 「…矢野です。」 「俺は佐藤亮太郎(りょうたろう)。隆文の父親の兄に当たる。さっき電話に出たのは、俺の息子。急に仕事の電話が入ったらしくて、俺が代わりに来たんだ。」  雪弥はその説明で納得した。  佐藤という名字に、再会先のホテルで隆文が名乗った偽名を思い出した雪弥は、強ち偽名ではなかったのだと気付いた。  亮太郎に促され、荷物を彼に預けると、雪弥は軽自動車の助手席に乗り込んだ。  砂利の音を鳴らして、車が走り出す。  片側一車線の道路が続くその脇には、田畑等の緑が多い。  民家が点々としているくらいで、何処にでもあると思っていたコンビニエンス・ストアや、ファストフードの看板は見当たらなかった。  日除け付きの旧型の信号機が赤になり、停車した。そのタイミングで、雪弥は質問を口にする。 「鹿倉…、隆文君とは…よく会われるんですか?」 「最近では年一回とかかな。…息子とは電話で話したり、メールのやり取りはしてるようだよ。…隆文は早くに父親を亡くしてしまったから、子供の頃には父親代わりのつもりでね、結構、遊んでやったかな。」 「…死別、だったんですね。」  亮太郎は穏やかなトーンで答える。 「あの子が六つの時にね…。くも膜下出血で発見が遅くて助からなかった。…隆文の母親の真希子さんは酷く責任を感じていたから、前に進んで欲しくて、籍を抜いて貰ったんだ。出来れば再婚して欲しかったんだけど、しなかったみたいだね。」  なんだか重い話になり、雪弥は話を変える事にする。 「佐藤さんは…言葉、訛りっていうか…九州弁じゃないんですね。」  信号が青に変わり、車は動き出す。 「ああ、俺は九州生まれの関東育ちだからね。…五年前に親戚が民宿を畳むっていうのを聞いて、仕事を辞めて俺が引き継いだんだ。息子夫婦もついて来てくれて、彼らがカフェをやってる。」  民家が立ち並んだ外れに、民宿『かわえみ荘』はあった。  木造平屋建ての一軒家といった感じだが、周りの民家よりはかなり大きい。  その裏手の駐車場で車は停車した。 「今日は民宿の方は、もう空いてないから、家においで。」 「え…?」  雪弥は戸惑いながらも、亮太郎に着いて行く。 「あの、急に来てすみませんでした。」 「別に、気にしなくていいよ。」  亮太郎の寛大な態度に、雪弥は感謝した。そしてもうひとつ、願いを切り出す。 「あの、僕がここへ来てるって、隆文君には内緒にして貰えませんか?」 「ん?どうしてだい?」 「…その、彼が来た時に、サプライズって感じにしたいので。」  亮太郎が不思議そうな顔をしたので、雪弥は言い訳をして誤魔化した。  本当はここへ来てしまい、どこか負けた気がしているので、知られたくなかっただけだった。 「ふうん、そうなんだ。…息子の公隆(きみたか)にも、直接頼みな。」  特に勘ぐる事もなく、応じてくれた亮太郎は、民宿の離れにある自宅に雪弥を案内した。

ともだちにシェアしよう!