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第16話 無人駅
雪弥が栄志のもとを去ってから、四日が過ぎた。
行く宛てもなく旅をするように、途中、見知らぬ土地に宿泊しながら、雪弥は陸路をゆっくりと南下して行っていた。その頭の片隅には、九州にある隆文の親戚の住所がある。
行くわけがないと、一度は選択肢を断ったその場所に、勝手に足が向いてしまっているようだった。
鈍行列車に乗り込み、淡く日差しが差し込む窓の外を眺める。その雪弥の目元は赤い。
彼は一人、旅立ってから、人の目の届かない処に行くと、崩れるようにして泣き臥せっていた。
自分が栄志にした仕打ちと、彼のもとを去ったという事実が、雪弥の胸を締め付け、涙を込み上げらせるのだ。
栄志とは十二年ほど付き合っていた事になっていたし、それなりに情も湧いていたのだろう。
離婚してしまった両親の、どちらと暮らすよりも、愛情深い栄志の傍で暮らす方が幸せなのだと、そう思った事もあった。ただ、彼の愛し方は間違っていると分かっていたから、彼を恋人として受け入れる事が出来なかったのだ。
――一人で生きていけるって豪語したんだから、早く忘れなくちゃね…。
雪弥は付き纏う不安を、ぐっと抑えこんだ。
比較的大きく、賑わいを見せる駅に、列車が停まった。そこで殆どの乗客が降りて行く。
この付近には川沿いに栄える温泉街があり、みんなそこへ向かうのだろう。
長めの停車時間中に、雪弥はそこで降りる事を迷ったが、皺の寄ったメモ用紙を開いて、隆文の書いた行き先を見つめると、思い留まった。
そして小型トランクを片手に、ひとつ先の駅で降りる。
古く小さな駅舎があるものの、そこは無人駅で、急に何もない寂しい場所となった。
――後はバスに乗って、三つ目のバス停で降りるだけ…。
スマートフォンで確認しつつ、再度、メモ用紙も確認する。住所と一緒に携帯番号が書かれており、暫く逡巡した後、その番号に電話を掛ける事にした。
四回目のコールで相手が出る。
「はい、佐藤です。」
若い男性の声で個人名を名乗られ、雪弥は少しだけ狼狽える。
「あの、今日なんですけど、民宿の…『かわえみ荘』にお伺いしたいのですが、お部屋って空いてますか?」
「えー…っと…。お名前、いいですか?」
歯切れの悪い感じで名前を聞かれ、雪弥は不安を感じる。
「…七原と申します。」
雪弥は咄嗟に父方の姓を名乗ってしまった。
「七原?…矢野じゃなくて?」
相手の言葉に、雪弥ははっとする。
「…隆文君から、連絡が行ってるんですか?」
「そうそう。俺の個人の携帯番号 渡したって、隆文から連絡あってね。矢野雪弥君って聞いてたんだけど…。違うの?」
隆文の名前を出すと、相手の少し安心した感が伝わった。
「いえ、矢野です。隆文君と仲が良かった頃、七原だったので…。」
「ああ、そう。で、…今、どこ?」
大して気にしない風で、居場所を問われた。
雪弥が駅名を答えると、直ぐに迎えに行くので、そこで待つようと言われた。
駅舎前のベンチに座って待っていると、十分ほどして、白い軽自動車が近付いて来た。適当な停め方をして、中から白髪交じりの、口髭を生やした男性が現れる。背はそう高くはないが、ガタイがいい。
雪弥がお辞儀をすると、彼は右手を一瞬だけ、軽く上げた。
「矢野君?七原君?…どっちだっけ?」
そう質問する声は、先程の電話で聞いたものとは違っていた。
「…矢野です。」
「俺は佐藤亮太郎 。隆文の父親の兄に当たる。さっき電話に出たのは、俺の息子。急に仕事の電話が入ったらしくて、俺が代わりに来たんだ。」
雪弥はその説明で納得した。
佐藤という名字に、再会先のホテルで隆文が名乗った偽名を思い出した雪弥は、強ち偽名ではなかったのだと気付いた。
亮太郎に促され、荷物を彼に預けると、雪弥は軽自動車の助手席に乗り込んだ。
砂利の音を鳴らして、車が走り出す。
片側一車線の道路が続くその脇には、田畑等の緑が多い。
民家が点々としているくらいで、何処にでもあると思っていたコンビニエンス・ストアや、ファストフードの看板は見当たらなかった。
日除け付きの旧型の信号機が赤になり、停車した。そのタイミングで、雪弥は質問を口にする。
「鹿倉…、隆文君とは…よく会われるんですか?」
「最近では年一回とかかな。…息子とは電話で話したり、メールのやり取りはしてるようだよ。…隆文は早くに父親を亡くしてしまったから、子供の頃には父親代わりのつもりでね、結構、遊んでやったかな。」
「…死別、だったんですね。」
亮太郎は穏やかなトーンで答える。
「あの子が六つの時にね…。くも膜下出血で発見が遅くて助からなかった。…隆文の母親の真希子さんは酷く責任を感じていたから、前に進んで欲しくて、籍を抜いて貰ったんだ。出来れば再婚して欲しかったんだけど、しなかったみたいだね。」
なんだか重い話になり、雪弥は話を変える事にする。
「佐藤さんは…言葉、訛りっていうか…九州弁じゃないんですね。」
信号が青に変わり、車は動き出す。
「ああ、俺は九州生まれの関東育ちだからね。…五年前に親戚が民宿を畳むっていうのを聞いて、仕事を辞めて俺が引き継いだんだ。息子夫婦もついて来てくれて、彼らがカフェをやってる。」
民家が立ち並んだ外れに、民宿『かわえみ荘』はあった。
木造平屋建ての一軒家といった感じだが、周りの民家よりはかなり大きい。
その裏手の駐車場で車は停車した。
「今日は民宿の方は、もう空いてないから、家においで。」
「え…?」
雪弥は戸惑いながらも、亮太郎に着いて行く。
「あの、急に来てすみませんでした。」
「別に、気にしなくていいよ。」
亮太郎の寛大な態度に、雪弥は感謝した。そしてもうひとつ、願いを切り出す。
「あの、僕がここへ来てるって、隆文君には内緒にして貰えませんか?」
「ん?どうしてだい?」
「…その、彼が来た時に、サプライズって感じにしたいので。」
亮太郎が不思議そうな顔をしたので、雪弥は言い訳をして誤魔化した。
本当はここへ来てしまい、どこか負けた気がしているので、知られたくなかっただけだった。
「ふうん、そうなんだ。…息子の公隆 にも、直接頼みな。」
特に勘ぐる事もなく、応じてくれた亮太郎は、民宿の離れにある自宅に雪弥を案内した。
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