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かなり甘い(1)
放課後ファーストフード店へ寄ると、俺の向かいにムーとビー君が座る。
近頃、三者面談をやっているようなこの配置が俺達の基本になってきている。
ムーとは1年の時からの付き合いだが、何かと共有する時間が増えたのはつい最近になってからだ。
正確には10日前から。
10日前。ビー君が俺とムーのクラスに転入してきた日だ。
その日から、遅刻早退欠席が当たり前だったムーがまともに登校してくるようになった。
要するに、ビー君が来たことでムーはきちんと登校するようになり、俺もこの2人とつるむようになったという訳だ。
中学生の頃、俺は誰かと一緒に行動することに煩わしさのようなものを感じていた。
人間なんて、俺も含めて結局はテメェのことしか考えていない。
だから他人に自分の何もかもをさらけ出すなんて馬鹿げているし、人付き合いだって学校生活に困らない程度に表面だけ上手くやっていればいいと思っていた。
その、思春期真っ盛りの斜に構えた思考で高校に入って、ふと気付いた時に隣にいたのがムー。
何故かムーとは最初から『互いのテリトリーを侵さない』という暗黙の了解めいたものがあったせいか、なんの気兼ねもなく付き合えたんだ。
ビー君もムーと同じで、本人に自覚はないんだろうが他人との距離の取り方が絶妙だった。
ただビー君は、普段ぼーっとしている癖に突如覚醒したように鋭いツッコミを入れてきたりするから、正直調子が狂って困る。
尾藤ワールドとでもいうか、ビー君独特のあの掴めないテンポは本当に厄介だ。
が、ムーにはそこが面白いらしく、きちんと学校に来るようになったのも尾藤ワールドを堪能するためなんだとか。
厄介だと思いこそすれ、俺もビー君のことは嫌いじゃない。
面白がっているムー同様、俺もビー君には興味を持っている。
こんなことを言ったらビー君は怒るだろうが、その興味というのは生態が不明瞭な珍獣へ抱くそれに近い。
俺とムーがこれなんだ。ビー君にしてみたら俺達も立派な珍獣に違いない。
類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。
多分、俺達は根本的なところが似ているんだと思う。
独りでいることに不自由を感じなくても、孤独を愛せるほどには老成していない。
そんな俺達がつるむようになったのは、至極自然なことだったのかもしれない。
「でさ、俺ノブに言ってやったんだよ。そんなに喧嘩したいならグラとクリケンが相手してくれんだろって」
「ムー、《俺》」
向かいで喋っていたムーに指摘してやると、ムーは慌てて「僕!」と返してくる。
2日前からたまに《俺》と言うようになったムーは、どうしてもそれを治したいらしくて、気付いたら注意してくれと俺に言ってきた。
初めて出会った時、つまり高校の入学式からしばらくは《俺》だったことを思うと、無意識に出ているだけに《僕》に戻すのにはちょっと時間が掛かりそうだ。
因みに、ムーが《僕》と言い出す切っ掛けを作ったのはグラだった。
中学時代ところ構わず暴れていたらしいムーは、高校に入った当初はまだそれを引きずっていて、校内で3、4人のグループに絡まれたついでに派手な喧嘩をした。
そこに偶然通り掛かって仲裁に入ったのがグラで、相手側の1人に入院させるほどの怪我を負わせてしまったムーにグラはこんなことを言ったんだそうだ。
お前は人間をぶっ壊す気か。
ぶっ壊した時責任を取れるのか。
他人の人生を背負うつもりがないなら喧嘩なんてするな。
絶対に攻撃してはいけない人間の急所を空手で学んだグラからすると、無知なムーの喧嘩はとんでもない破壊行為だったらしい。
それを聞いて初めて自分のしてきたことに恐怖を覚えたムーは、過去の自分を封印するために《僕》と言うようになり、以降喧嘩も一切しなくなった。
その時俺は、わざわざ《僕》にしなくてもいいんじゃないかとムーに言ってみたが、ムーは頑なに《僕》と言い続けた。
頑固なのは知っていたが思った以上に繊細だったムーは、たった2文字の自己暗示を必要とするほどに打ちのめされていたようだ。
そんなムーがまた急に《俺》と言い出したのは、しばらく会っていなかった弟の顔を見て昔を思い出したからだと言う。
弟に会ったというその日の夜に電話を寄越してきたムーは、軽くとはいえ弟を殴ってしまったと言ってひどく落ち込んでいた。
昔はしょっちゅう殴り合ってたんだろ、気にするな、と俺が言っても、昔と今とじゃ違うんだと暗い声で呟いていた。
翌日何事もなかったかのように登校してきて今に至るが、ムーのことだから未だに気にしているんじゃないかと思う。
ビー君はムーが《僕》と言うようになった理由をまだ知らないようだが、俺にもムーにもしつこく尋ねてきたりはしない。
恐らくいつかムー本人が話すだろうとは思うが、その場の空気を読んで無理矢理首を突っ込まないビー君はかなり出来た奴だと思う。
本当に、人との距離の取り方が絶妙だ。
しかし、あのクリケンが、ミノリだけでなくノブの勉強まで見てやるとは思わなかった。
ムーに頼まれたくらいでは首を縦に振るとは思えないから、大方グラに何か言われたんだろう。
全く以って、嫌になるくらいグラ一筋な野郎だ。
「ムッチッ、ノブ君元気!?」
俺のムーへの指摘から大分間を置いて、ビー君が頓狂な声でムーに尋ねた。
ビー君は俺がクリケンに失恋したことを知っている。
いや、知っているも何も教えたのは俺なんだが、ムーの口からクリケンの名前が出たことで、話がそこで停滞しないようビー君なりに気を利かせてくれたようだ。
その心遣いは有り難いが、声を裏返すほど過剰に反応しているわりに、話題の転換を図るには些か言葉を発するタイミングが遅過ぎやしないか。
流石ビー君とでも言うか、ここまで来ると俺達一般人とは別の時の刻みの中を生きているとしか思えない。
「え?あ、元気だよ。無駄に元気。今マジでしんど過ぎっからやっぱマサヤンかカッチ貸せって喚いてた」
ムーはビー君の裏返った声と唐突な質問に一瞬目を丸くしたが、この10日で尾藤ワールドにも慣れたのか特に気にする様子もなく言葉を返した。
ビー君か俺を貸せ?
ムーとビー君には"やっぱ"でも俺にとっては初めて聞く話だ。
が、ムーの話し振りでおおよその見当は付いた。
「俺、ノブに勉強教えてもいいよ」
アイスティーの入った紙コップに手を伸ばしながら、俺はムーの顔も見ずに提案する。
「アイツ等の場合、『一緒に仲良く』より競い合わせた方が伸びんだろ。喧嘩させんだよ、頭で」
尤もらしいことを平然と言ってのける自分が可笑しくて、口の端が歪みそうになった。
それをムーとビー君に悟られないように、持ち上げた紙コップに刺さったストローを咥える。
吸い上げたアイスティーは、解けた氷のせいでただでさえ薄い味がさらに薄くなっていた。
喧嘩をしたいのは俺自身だ。
勿論ミノリとではない。
全ての始まりは、高校に入って最初の中間考査。
その成績優秀者30名の名前が廊下に張り出されたのを見た時だ。
たった1点の差で俺の後ろにいる奴がいた。
自分が断トツ首位だと踏んでいただけに、まさかこの学校にこんな奴がいるなんてと、俺は驚愕と感動がないまぜになったような興奮を覚えた。
ソイツが、ムーと仲良くなったグラと始終一緒にいる奴だと知って、俺は一も二もなく接触を試みた。
しかし、ソイツは俺と同じように興味を示すどころか、成績自体に関心がないと言わんばかりに次の定期考査をあっさり捨ててきた。
中学時代、学校にも塾にもそんな奴はいなかった。
いたのは、まるでテストの点数が俺の全てのように「加藤君は特別な人間」と俺を持て囃すだけの連中だった。
だから余計にソイツのことが気になって、ソイツの何もかもを知りたくなった。
自分の中に芽生えた感情がなんであるか気付いた時は、相手が同性であることより、自分が誰かに強く惹かれているという事実に驚嘆した。
ひとつの経験として幾人かの女と関係を持っても、俺は一度として彼女等に心が傾いたことがなかったからだ。
案外、元から男のほうが好きだったのかもしれないが、それまで同性を意識したこともなかったから、はっきりそうとも言い切れない。
喧嘩を売ったところで何も変わらないことはわかっている。
きっとアイツは今まで通り、俺のことなど気にも留めないだろう。
しかし喧嘩を仕掛けることで、ほんのわずかでも俺を視界に入れてくれるなら……と思ってしまう辺り、我ながらかなりの重症だと思う。
グラからアイツを奪い取る気は毛頭ない。
そもそも、敵はグラ1人でもなかったりするしな。
敵が多過ぎて手も足も出せないなんて、学園のアイドルに恋をした純愛漫画の主人公か、俺は。
いや、アイツがそんな立場のキャラクターだったら、俺は名もない端役その1だ。
主人公は当然グラだろう。
もう苦笑するほかない。
「『頭で喧嘩させる』か」
ムーの呟きで我に返った。
「なるほどな。そのほうがアイツ等もやる気になるかもだ。カッチ、頼んでもいいか?ノブのこと」
聞いてくるムーに、俺はストローから口を離して軽く頷いた。
「ああ。でも俺、出張サービスはしねぇから。ムー、俺んちにノブ連れて来て」
「そりゃ構わねぇけど……真由子、ノブ見てビビんねぇかな」
テーブルの端に両腕を掛けて、ムーが身を乗り出してくる。
俺は腕を組んで座席の背凭れに体を倒した。
「ビビるってか、ノブには悪ィけど初のマイナス点出すかもしんねぇな、真由子」
「あー……真由ちゃんの好みとは真逆だからね、ノブ君……」
ポテトを1本口に運びながら、ビー君が遠慮がちに零した。
「だよな。真由子からしたら怪獣だろうしな、ノブは」
ムーは苦笑いで、手元にあるコーラの入った紙コップを手に取った。
怪獣か。
言い得て妙だが、真由子のストライクゾーンど真ん中のミノリに来られるよりはうるさくならなくていい。
ミノリはムーと違って上背もあるし、余裕でムーの120点越えをしそうだ。
加えてグラもセットになったら、真由子は点数をつける余裕もなく失神し兼ねない。
真由子のためにも、外見だけならアイドルコンビのような倉原兄弟だけは家に招くのを避けたいところだ。
「あれ?トシオ?」
不意に耳を掠めた声に視線を向けると、トレーを片手に持ってビー君の後ろに立っていた男と目が合った。
男が着ている臙脂のブレザーは、ここから2駅先にある有名進学校の制服だ。
17年間生きてきて、俺のことをトシオと呼んだ人間は1人しかいない。
何よりその存在は、中学時代の思い出の中で最も強烈なものとして俺の脳にインプットされている。
「森沢先輩……」
「やっぱトシオだ。久し振りだな、トシオ」
名を呼ぶと、森沢悠紀は中学時代と同じ笑顔を見せた。
この人に声を掛けられるたび、俺はよくこう思ったものだ。
俺の名前はトシオミだ。
ミまで言え。
「ちょっとごめん」
森沢先輩は持っていたトレーを顔の高さまで上げて、ビー君の頭上を通過させながらテーブルとテーブルの狭い隙間を横歩きで移動してくる。
そしてトレーをテーブルの上に置き、俺の隣に腰を下ろした。
「俺、森沢悠紀。ユウキでいいよ。よろしくね」
言うなり森沢先輩は目の前に座るビー君に手を差し出した。
いきなり現れた森沢先輩に握手を求められたビー君は横目でちらりとムーを見遣り、ムーと目を合わせるとわずかな沈黙を挟んで森沢先輩の手を握った。
「あ、俺は尾藤真也です。カッ……加藤君とはクラスメイトで……」
「オーライ。マサヤね」
森沢先輩は満面の笑みで頷いて、ビー君が手を離すと今度はムーに手を差し出す。
「君は?」
「武藤修作です」
答えながら笑顔を返して、ムーも森沢先輩と握手を交わした。
握手を済ませると、間髪入れずに森沢先輩がムーに尋ねる。
「シュウもトシオのクラスメイト?」
「うん、そう。1年の時から」
「へぇ。じゃあ俺よりトシオのこと知ってんな。俺、中3の2学期に転校してきて、トシオとの付き合いはそこから俺が卒業するまでだから」
「転校生だったんだ?マサヤンと一緒だ」
「え?マサヤも転校生?仲間じゃん」
古くからの友人のようにムーと話していた森沢先輩は、そう言ってまた破顔しながらビー君に握手を求める。
ビー君は半ば困惑しているふうな顔で微笑んで、求めらるまま握手をした。
俺も森沢先輩のテンションの高さに戸惑ったクチだったせいか、そんなビー君の表情を見て森沢先輩と初めて会った時のことを思い出した。
森沢先輩は、学年の違う俺ですら転入初日に名前を覚えてしまうほど目立つ男だった。
よく見れば端整な顔立ちをしているが、人目を引いたのはその容姿じゃない。
彼が一躍有名になった理由は、校内で擦れ違う人間ほぼ全員に選挙カーのウグイス嬢が如く挨拶をするというパフォーマンスにあった。
その陽気さと何に対しても物怖じしない度胸、そして人並み外れた順応性の高さで、彼は学年どころか教師生徒問わずに友人を作り、気付いた時には学校一の人気者になっていた。
森沢先輩が俺に話し掛けてきたのは転入初日から2週間は過ぎた頃だったが、その時の彼の第一声は今でも忘れることが出来ない。
「なあトシオ、お前高校でも派手にやってんの?」
突然矛先を向けられて、ついに来たかと俺は心の裡で溜め息をついた。
中学時代の俺しか知らない森沢先輩の顔を見た時から覚悟は決めていたつもりだったが、やはりムーとビー君の前で中学時代の話をするのは躊躇われる。
何せ俺にとって中学時代は、抹消したい黒歴史だったからだ。
ここは話を逸らして逃げるしかない。
「その言葉、そっくりそのまま返しますよ。先輩はどうなんです?高校でも有名人ですか?」
「有名人って、俺お前ほど有名じゃなかったよ?つか俺、実はお前にライバル意識持ってたんだよね」
「初耳です」
「そりゃそうだ!今初めて言ったんだから!」
森沢先輩は盛大に笑って、俺の肩を容赦なく叩いてきた。
スゲェ痛ェっつーの。
加減しろよバカヤロウ。
「カッチ、中坊ん頃有名人だったの?」
ムーが目を輝かせて身を乗り出しくる。
この話の流れで気にするなと言うほうが間違っているし、好奇心旺盛なムーが食い付くのも仕方がない。
が、素知らぬ顔でビー君に話を振ってしまえば切り抜けられる。
「俺も聞きたい。どうなの?カッチ」
……ビー君、お前もか。
気分はシェイクスピアの戯曲内でブルータスに裏切られたカエサルだ。
俺は完全に退路を塞がれた。
いや、シラを切って森沢先輩が何を言っても知らぬ存ぜぬで通せばいい。
とにかく何を言われても動揺しないことだ。
「俺は別に有名なんかじゃなかったよ。単なる先輩の思い過ごし」
俺は冷静を装ってムーとビー君に言葉を返した。
「思い過ごしじゃないって。お前みんなから《白い悪魔》とか言われてたじゃん」
「白い悪魔?ガンダムですか俺は」
「そうそう、ガンダムガンダム。連邦の白い悪魔。お前さ、ザク墜とすのにコックピットばっか狙うアムロと同じくらい凶悪だったもんな」
「先輩がガンダムオタクだとは知りませんでした」
森沢先輩を視界にも入れず感情の篭っていない声であしらい、俺はアイスティーを一口口に含んだ。
気を張っているせいなのか、やけに喉が渇いた。
白い悪魔。
中学時代、森沢先輩が発した俺への第一声がまさにコレだった。
『白い悪魔って君だよね?』
初対面でこんなことを言われたんだ。忘れようがない。
「……凶悪?」
ふと、ムーの呟きが聞こえた。
その直後、
「……白い悪魔?カッチが?」
連鎖反応を起こしたようにビー君も唖然とした表情で呟いた。
「何?高校では違うんだ?学校始まって以来の問題児も大人になったってことか。偉い偉い」
そう言った森沢先輩に横から頭を撫でられる。
ちょっと待て。
「学校始まって以来の問題児ってなんですか?」
思わず顔をしかめて森沢先輩を振り返ったら、彼は手を引っ込めて苦笑を零した。
「あー、お前は知らなかったのか。もう時効だろうから言うけど、先生達が言ってたんだよ。あんな悪童はうちの学校始まって以来だろうって」
「俺、そんな悪いことしてませんよ!?」
「あっれ、自覚ない?流石だな、白い悪魔」
「だからっ、人をガンダムみたいに呼ぶのやめて下さいよっ」
「お前、気に入らねぇからって先生何人か虐めまくって1人辞めさせたろ」
「あれは勝手に辞めたんですっ。俺のせいじゃないっ」
「お前に会ってから生徒を指導していく自信がなくなったっつってたってよ、その先生」
「そもそもアイツには教鞭を執る資格がなかったんだっ。自業自得だっ」
「まあ、確かに差別の激しい先生ではあったけどさ、もうちょっとやりようってもんがあったろ。つっても済んだ話だからね。生徒のほとんどはお前に感謝してたみたいだし。とりあえず落ち着け、トシオ。シュウとマサヤがビビってんぞ」
苦笑いで言われて、俺は夢から覚めたような錯覚を起こした。
ムーとビー君に視線を向けると、2人は目を見開いて俺を凝視していた。
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