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かなり甘い(2)

 何を言われても動揺しないと自分自身に言い聞かせていたはずなのに……。  俺は森沢先輩に食って掛かっていた中学2年生の時のように、声を荒らげて反論してしまっていた。  森沢先輩の顔を見ているうちに、まるで意識だけが3年前に遡ってしまったかのようだ。  「ノブに会って昔を思い出した」と言っていたムーの気持ちが痛いほどよくわかった。  俺はムーとビー君の前で、いや、考えてみれば自我が確立してからこれまで、森沢先輩以外の人間に我を忘れるほど自分の意見をまくし立てたことがないように思う。  2人が驚くのも無理はない。  幼稚なところを曝してしまったことで自己嫌悪に陥ると、ムーとビー君の視線がますます堪えた。  湧き上がってくる羞恥にも耐え切れなくなって、目を伏せて溜め息を吐き出す。 「……先輩、なんでコイツ等の前でそんなこと……」 「"コイツ等"の前だからだよ。友達なんだろ?」  視界の端で捉えた森沢先輩は、幼い子供を慈しむような微笑みを浮かべていた。  俺は森沢先輩がたまに見せる、この大人びた笑顔が嫌いだった。  3年前、森沢先輩にだけ感情を剥き出しにして食って掛かっていたのはそのせいでもある。  中学の学年の隔たりというのは高校以上で、たかが1学年上でも下手をすると教師より大きな存在になり得るものだった。  万年反抗期だった俺は、強制的且つ洗脳的なその軍隊じみた上下関係に慣れることが出来なかった。  そして「問題回避のために上辺だけは従うフリをしてやるが、絶対に屈してなどやるものか」と意地になっていた。  学年が上だというだけで驕り高ぶっていた上級生の中で森沢先輩は態度こそフランクだったが、その憐憫の情を含んだような笑顔や眼差しが俺には誰よりも傲慢なものに思えて、とにかく癪に障ったんだ。  一体どういうつもりでそんな表情を向けてくるのか。  知識を増やすことで己の精神の未熟さを隠匿する俺の内面を見透かしてでもいるのか。  他人のお前に俺の何がわかる。  たった1歳しか違わない癖に。  中2の俺は無意識に声を荒らげて森沢先輩に噛み付いたあと、いつもそんなふうに心の裡で毒づいていた。  まさに中二病というやつだ。  俺が余裕をなくした時点でどちらに利があるかははっきりしている訳だが、勝ち目がないという自覚があっただけに余計腹が立った。  知識を詰め込むだけ詰め込んで、これは倫理だと得意げに言い放ったところで、まだ20年も生きていない世間知らずの俺の言い分なんて単なる屁理屈でしかない。  中学を卒業してからそれが少しずつわかってきた。  社交的で自己を客観視する能力にも長けていた森沢先輩は、自分だけの世界で満足していた俺より精神面の成長が早かったのかもしれない。  傲慢だったのは俺のほうだ。  自分の浅薄さに気付いてからというもの、過去の自分への羞恥は増すばかりだった。  そして、森沢先輩への劣等感や憧憬の念も。  ほんの数分言葉を交わしただけで、俺にとってムーとビー君が中学時代の表面的な友達とは違うと見抜いてしまう辺りも、今の俺には素直に感嘆するほかなかった。  全く、この人には恐れ入る……。 「もういっそさ、白い悪魔がいかにして先生を辞職に追い込んだか語っとくか?」  突然森沢先輩が先刻とは打って変わった不敵な笑顔で言った。  俺よりお前のほうが悪魔じゃねぇか。 「いや、それはちょっと……」  俺は曖昧に微笑んで言葉を返したが、 「聞きたい人、手ェ挙げてー」  森沢先輩はあっさり俺を無視してムーとビー君に話を振る。 「はーい!」  躊躇いなく手を挙げたのはムー。  ビー君はそんなムーを見たあと、少々ビク付きながら俺に視線を寄越してくる。  手を挙げるなよ、ビー君。  目で脅迫……いや、懇願してみると、ビー君はひとつ頷いて森沢先輩に視線を戻した。 「はい」  ……何故そこで手を挙げるんだ、ビー君。  ビー君には俺の無言の懇願が「手を挙げてもいいよ」と伝わってしまったのか?  クソ、こうなったらヤケだ。  洗いざらいぶちまけてやる。 「授業で先生がミスったら揚げ足取ってたくらいだよ。で、お前の授業受けてたら頭悪くなる、俺が教えたほうがマシだっつって、クラスの奴等全員連れ出してボイコットとか。あとは……クラスの奴等にノック式のボールペン持ってこさせて、授業中に俺の合図で一斉にノックさせまくるとか。……今思うとガキ丸出しの嫌がらせだな……」  ……言ってるだけで恥ずかしいぞ、オイ。  これぞまさに、穴があったら入りたい心境だ。 「えげつねぇ……。ボールペンカチカチされんのって、1人に延々やられてもイラつくのに……。つか、クラスの奴等全員が言うこと聞くってスゲェな。カリスマかよ」  ムーが心底感心しているふうな口調で言葉を零した。  その横でビー君がうんうんと頷く。  昔の俺なら調子に乗っただろうが、今はもうただただ忸怩たる思いに駆られている。  さっさとこの話を終わらせたい。 「カリスマなんて、そんなスゲェもんじゃ……」 「いや、カリスマだったね」  黙ってろ森沢!  俺は割って入ってきた森沢先輩を咄嗟に睨んだが、先輩は俺のことなど見向きもしないで話を続ける。 「コイツが始めたボールペン鳴らしが『あの加藤の発案』っつって学校中に広まって、その先生が受け持ってたクラス全部がカチカチやったんだよ。それで先生がノイローゼ気味になって、学校全体でノック式のボールペン使うのが禁止になった」 「……最悪ですね、俺」  ボールペン鳴らしがほかのクラスでもやられていたのは知っていたが、俺の名前付きで広まったというのは知らなかった。  そうなってくると「先生が勝手に辞めた」なんて言えなくなってくる。  帰ったら先生に謝罪の手紙を書こう……。 「でも俺が聞いて『白い悪魔怖ェ』って思ったのは、ボールペン鳴らしより焼肉だったわ」  森沢先輩に呟かれ、全身から血の気が引いた。 「焼肉って、あの焼肉?」  背中に冷えた嫌な汗をかきながら俯いていると、ビー君が不思議そうな声音で森沢先輩に尋ねるのが聞こえた。 「そう、あの焼肉。コイツ、教室にホットプレート持ち込んで焼肉パーティーやったんだよ。授業中に」 「授業中に焼肉!?マジで!?」  ビー君が素っ頓狂な声を上げて驚愕している。 「悪魔だっ。とんでもねぇ悪魔だっ」  今まで面白がっていたムーの声からも笑いが消えていた。  ビー君はともかく、人1人……いや、1人どころじゃないかもしれないが、喧嘩で相手を病院送りにしたことがあるお前にだけは「悪魔」なんて言われたくなかったよ、ムー……。 「……俺もあれは流石にやり過ぎたと思ってるよ。どうかしてたんだよ、あん時は」  あまりの羞恥にムーとビー君の顔を見ることも出来ず、俺は目を伏せたまま小声で弁解した。  本当に最悪な話だが、当時の俺はクラスメイトが自分の意のままに動くことに気をよくして、先生への嫌がらせが目的というより段々と「よりインパクトのあることを」と思うようになっていた。  抑制が効かなくなった子供は極端に走る、その最たる例だ。  罪悪感など微塵もなかった。  馬鹿なことをしたと後悔したのは高校に入ってからだ。  しかし俺は、自分の中にあるくだらないちっぽけな矜持を守るために「俺は悪くない」と過去に蓋をして、全てを"なかったこと"にしてしまった。  森沢先輩に言われなければ、ずっと思い出さずにいられたかもしれないのに……。  いや、先輩は俺に、過去の自分と向き合ってきちんと反省しろと言いたいのか。  俺とムーとビー君の関係を見極めた上で無遠慮に過去の話を持ち出して、俺が3年前と何も変わっていないと見ると、さらに俺を煽って反省を促す。  そんなふうに、恐らく森沢先輩は最初から計算ずくで話を進めていたんだろう。 「……ホント、先輩には敵わねぇなぁ……」  俺は隣にいる森沢先輩から顔を背けるように頬杖をついて、溜め息混じりに呟いていた。 「何拗ねてんだよ、トシオー」  微かに笑いを含んだ声と共に髪を掻き回される。 「拗ねてませんよ」  振り返らずに、俺はやや投げやりに答えた。 「しょうがねぇなぁ……」  何がしょうがないのか疑問に思った瞬間、俺の頭から森沢先輩の手が離れた。 「俺の恥ずかしい話もしてやろう。トシオが《白い悪魔》って言われてたから、俺それに対抗して《赤い彗星》って呼ばれようと思って前の学校の赤いジャージ着続けてたんだけど、誰も《赤い彗星》って呼んでくれなくてさ。結局付いたあだ名は《赤ジャージ》。略して赤ジャー」 「うわダッセ」  森沢先輩の『恥ずかしい話』のすぐあとに聞こえたのはムーの声。  頬杖をついたまま振り返ってみると、森沢先輩は座席の背凭れに背中を預けて苦笑いしていた。 「だろー?ホントダセェよな。けど俺赤好きだから、別に赤ジャーでもいいよーってみんなに言って……その夜、涙で枕を濡らしました……」  そう言うと森沢先輩は目頭を押さえて俯いた。 「もしかしてユウキさん、制服の色で高校選んだ?」  唐突過ぎるほど唐突に、ビー君が森沢先輩に尋ねた。  すると森沢先輩はすぐさま顔を上げてビー君を凝視する。 「アタリッ。マサヤ鋭いねっ」  ビー君が"鋭い"か。  確かにビー君は極稀に鋭いツッコミを入れてくるが、基本的には面白いくらい鈍い。  それを知っているだけに、俺とムーはほぼ同時に吹き出し、やはりほぼ同時に片手で口を覆った。 「あれ?俺なんか変な事言った?」  森沢先輩が俺とムーの顔を順に眺めて聞いてきたあとで、何気なくビー君に視線を向けてみた。  ビー君は俺と目が合うとしばらく俺の顔を見詰めて、突如はっと目を見開いた。 「なんで笑うんだよ、カッチッ」  遅っ。  相変わらず遅い。  やはりビー君はこうでないと。  ビー君は自分の鈍さを恥じているのか微妙に赤面しているが、そこは突っ込まないでおいてあげよう。 「ビー君、ムーも笑ってたよ」  とりあえずそれだけ教えてやると、ビー君は咄嗟に横のムーを見遣った。 「ムッチも笑ったのかっ」 「だってさ、マサヤンが『鋭い』とか言われるってもはや奇跡じゃん。だからつい」 「ついじゃねぇっ」  言うなりビー君はムーの頬を両手で引っ張り、ムーが「イテテイテテッ」と悲鳴を上げる。 「いいキャラしてんな、シュウもマサヤも」  森沢先輩はムーとビー君のやり取りを見て楽しげに笑い、手付かずだったハンバーガーを手に取って包装を剥がし始めた。  森沢先輩が通う高校は、馬鹿校と名高い俺達の高校とは何もかもが対極にある全国でもトップクラスの進学校だ。  が、県外から越してきたビー君は、森沢先輩が通う高校の校名を知っていたとしてもその制服までは知らない可能性が高い。  もし知らずに言っていたんだとしたら「臙脂色の制服が着たい」というだけで森沢先輩が進学先を決めたことや、そこへ本当に入学してしまった事実に愕然とするんじゃないだろうか。  実際、俺がそうだった。  3年前、お世辞にもいいとは言えない成績だった森沢先輩から「あの学校合格したよ」と言われた時、俺は最初何かの冗談かと思った。  しかし俺が3年に進級して間もない頃、高校の制服を着て中学に遊びに来た森沢先輩を見て俺は愕然とした。  先輩と直接顔を合わせるなり「マジだったんだ」と呟いてしまった俺に、先輩は大袈裟に胸を張って「やれば出来る子なんだよ、俺は」と笑ったが、学年最下位レベルから全国トップクラスの高校に入学するなんて『やれば出来る』という次元の問題ではないような気がした。  そして、森沢先輩に劣等感を抱きながらも学力だけは優っていると自負していた俺は、そこですら優越感に浸らせてはもらえないのかと軽くヘコんだ。  自尊心を完全に破壊されずに済んだのは、なんだかんだと言いながら心のどこかで先輩のことを尊敬していたからだ。  あとは、俺も森沢先輩と同じ臙脂の制服を着る自信があったからだと思う。  自信はあったし全国模試の結果も合格ラインに達していたが、端から行く気がなかったので受験もしていない。  3年通うなら2駅先より歩いて行けるところのほうがいい。  臙脂の制服はこの辺りではあまり見掛けない分、無駄に人目を引くのも嫌だった。 「そう言えば先輩、なんでここにいるんですか?」  俺達を含め、店内には学校帰りの学生が多くいたが、臙脂の制服は森沢先輩1人だった。  今日に限らず、俺はここで臙脂の制服を見掛けたことがない。 「なんだよ、トシオ。もしかして俺邪魔?」  齧っていたハンバーガーから顔を離し、森沢先輩が眉根を寄せて笑う。 「いや、ここであんま先輩の学校の人自体見ないから珍しいなと」 「ああ、そういうことね。待ち合わせしてんの、友達と」  答えた先輩は、言いながらここに来た目的を思い出したのか、不意に出入口のほうを振り返り、すぐさま俺に向き直った。 「噂をすればってやつだ」  それだけ言って再び出入口へ顔を向けて、森沢先輩はハンバーガーを片手に持ったまま空いた片手を振り上げる。 「ユリーッ!こっちこっちーっ!」  その声にビクリと肩を揺らして先輩を見遣ったのはムーとビー君だけではなく。  店内の客の視線が一斉に先輩へ向けられた。  ……先輩、声デカ過ぎだ。

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