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かなり甘い(3)

 周囲の注視を浴びている先輩がそれを全く意に介していないせいか、向けられる視線のただ中にいるのは先輩ではなく、先輩の隣にいる自分なのではないかと思えてくる。  森沢先輩のそばにいるだけの俺ですらこんなに恥ずかしいんだ。大声で呼ばれた当人はさぞや気まずい思いをしているに違いない。  俺は同情を込めて森沢先輩の視線を辿った。  探すまでもなく、こちらに向かってくる臙脂の制服を着た男子学生が視界に入った。  理知的な顔にフレームのない眼鏡を掛けた、まさに有名進学校の生徒といった風情の人だった。  ユリという呼び名から、ほっそりとたおやかな、それこそ百合の花のような美少女を勝手に思い描いていたことが申し訳なくなる。  いや、上品そうではあるから俺の想像も当たらずとも遠からずかもしれない。  容姿の印象はどこまでもラフな森沢先輩とは対象的だったが、向けられる多くの視線にも動じることなく悠然と歩いてくる辺りは、流石森沢先輩の友達といったところか。  しかも彼は育ちがいいのか、自然と敬意を払いたくなるような凜とした空気を纏っているだけに、周囲の視線を受けて歩くその姿はまるで王子様だ。  俺は彼のために、ファーストフード店の通路に赤絨毯を引きたい気分になった。 「遅れてごめん」  通路側にいるビー君の斜め後ろで足を止めてユリさんが発した声は、外見同様品のある穏やかなものだった。 「いいっていいって。いつもは俺が待たせてんだし」  笑いながら答えた森沢先輩に、ユリさんは微かに心苦しそうな表情になる。 「いや、でもさ。なんか奢ろうか?」 「お前ホンット律儀だよね。気にすんなよ。つか座れば?」  森沢先輩は笑顔を苦笑に変えて、ここに座れと言うように自分の横、壁際に備え付けられたソファー席のシートを軽く叩いた。  が、指定された場所を見詰めるだけのユリさんは、どうしたものかと逡巡しているようだった。  ユリさんにとって俺とムーとビー君は赤の他人だ。  躊躇うのも無理はない。 「遠慮すんなって。このメガネ、俺の中学の後輩だから。で、その友達のシュウとマサヤ」  じっとシートを見詰めているユリさんに向かって、森沢先輩が俺の肩に手を置きながらそう言うと、 「シュウでーす」 「マサヤでーす」  ムーとビー君が笑顔でユリさんを振り返り、短い自己紹介をした。  しかし、2人がソレだと俺はこう言うしかなくなる。 「メガネでーす」  するとユリさんは軽く握った右手を口元に添えて笑みを零した。 「ははっ、じゃあ俺も《メガネ》だ」 「和んだところで座っとけ、ユリ」  再度森沢先輩に言われ、「そうする」と頷いたユリさんは、テーブルとテーブルの狭い隙間を通って森沢先輩の隣に腰を下ろした。  そして、改めて口を開く。 「初めまして。俺はヨシマサ。オミ・ヨシマサ。字は、植物の《麻》に《見る》、《理由》を逆さから書いてヨシマサなんだけど」  空中に人差し指で文字を書きながら説明してくれたユリさん、いや、麻見さんは、指を下ろすと小さく苦笑した。 「一発で正しく読まれたことが一度もない」 「そりゃお前、どう読んだってアサミ・ユリだしさ」  森沢先輩の言葉を聞いて、俺は頭の中で麻見さんの説明通りに文字を並べてみた。  麻見由理  確かにアサミ・ユリだ。 「あー、だからユウキ君、ユリって呼んでんのか」  納得がいったというふうにムーが森沢先輩へ言葉を投げると、森沢先輩はムーに顔を向けて、 「うん、そう。ヨシマサって長ェし、ユリのが呼びやすいだろ?」 「だったら苗字で呼べばいいんじゃねぇの?オミさんでしょ?2文字じゃん」 「あ、そっか。頭いいな、シュウ」  この、真顔で繰り広げられた森沢先輩とムーの会話を聞いていて、俺は思った。 「……馬鹿兄弟みたいだな」  思わず呟いていた。  あまり大きな声で言ったつもりはなかったが、森沢先輩とムーにはしっかり聞こえていたようで、2人は俺に視線を向けてから顔を見合わせた。 「シュウ、どうするよ。俺等馬鹿兄弟だってよ」 「兄ちゃんって呼んでもいい?」 「オッケー」  尋ねてきたムーに森沢先輩が真顔で親指を立てると、ムーも真顔でおもむろに親指を立て返した。  それを見てビー君が盛大に吹き出し、麻見さんは顔を伏せて笑いを堪え、肩を震わせる。  俺も、不覚にも笑ってしまった。  森沢先輩とムーは2人とも柔軟だから気が合いそうだとは思ったが、こうもいいコンビになるとはな。  しかし、 「先輩が俺のことずっとトシオって呼んでたのは、トシオミだと長いからだったんですか」  抑え切れない笑いはそのままに、俺は森沢先輩を視界の中央に入れた。 「あれ?言ってなかったっけ?長いし、《トシ》だと他の奴と被るから《トシオ》って」 「今初めて聞きました」 「あれー?」  笑いながら視線を寄越してきた森沢先輩に答えると、先輩は笑みを顔に貼り付けたまま首を傾げた。 「君、トシオミ君っていうんだ?」  首を傾げる森沢先輩の肩越しから、麻見さんがこちらを覗き込むように身を乗り出してくる。 「ええ、利臣です」 「じゃあダブルメガネでオミオミだ」  頷いた俺に、麻見さんは上品な笑顔で訳のわからないことをほざいた。  いや、言った。  麻見さんのその品のある顔からは到底出るとは思えない阿呆な言葉に俺はただ唖然とするだけだったが、 「ヤベェーッ、オミオミーッ」 「ユリさん面白ェーッ」  どうやら森沢先輩とムーにはツボだったようで、心底可笑しそうに腹を抱えて哄笑し出した。 「え?何?今のそんなに面白かった?」  言った本人はウケを狙った訳ではなかったらしく、何故2人が笑っているのか理解出来ていない様子だ。  この人、もしかすると……。 「ダブルメガネかぁ……」  不意にビー君が奇妙なくらい深刻な声で呟くのが聞こえた。  目を向けてみると、ビー君は視線を落として溜め息までついている。  訳がわからない。  森沢先輩とムーのように笑うならいざ知らず、ダブルメガネとオミオミに打ち沈む要素があるか?  まさかとは思うがビー君は、馬鹿兄弟とダブルメガネで組分けされると自分1人が除け者になると真剣に考えてしまったんだろうか。  だとしたら、俺はビー君にこう言いたい。  俺と麻見さんの共通点は名前と眼鏡だけだ。  俺から言わせれば、ビー君のほうが麻見さんと同じカテゴリの人間だと。  そう、恐らく麻見さんも天然だ。  とは言え、いい意味でゆるいビー君と、見るからに怜悧な麻見さんとでは"天然"の種類も異なりそうだが。  とにかく、細分化しようがしまいが俺にとって麻見さんもビー君も珍獣であることに違いはない。 「でも、そうか。中学の後輩か。てっきりまた知らない人達の席に紛れ込んでるのかと思ったよ」  幾分笑いが落ち着いてきた森沢先輩に麻見さんが声を掛けた。  森沢先輩のことだ。どこへ行っても極自然に他人の輪の中に入って、すんなり溶け込んでしまうのだろう。 「相変わらずみたいですね、先輩」  視界にいる生徒全員に友人のような気軽さで話し掛けていた中学時代の森沢先輩を思い出し、俺は微かな笑みを先輩に投げた。 「昔からそうだったんだ?」  俺を見た森沢先輩が言葉を発するより早く、麻見さんが尋ねてくる。 「ええ、学校中の奴等全員友達みたいなノリでしたよ」 「高校でも全く同じ。ユウキの社交性の高さには本当に驚かされるな。正直真似したいんだけど、なかなかね」  麻見さんが静かに苦笑を零すと、森沢先輩が麻見さんに凭れ掛かるようにその肩を抱いた。 「別に真似する必要ねぇだろ。お前はお前なんだしさ。それに、俺1人と付き合ってりゃ友達100人いるようなもんだ」  ひどく優しい声だった。  森沢先輩はこちらに背を向けているような格好なので、表情まではわからない。  自分には友達100人分の価値があるとさらりと言って退けた先輩だが、不思議と高慢さを感じる事はなかった。  その代わり、俺には森沢先輩が『お前のそばにいる人間は俺1人でいい』と言っているように聞こえて、なんとも言えない居心地の悪さを覚えた。  裏表のない人だとは思っていたが、今のはちょっとあからさま過ぎだろ、先輩。  こっちは第三者だというのに、照れ臭さで息が詰まりそうだ。  なすすべなくムーとビー君を見遣ったら、俺と同じ心境にあったのか呆然と顔を向けてきたムーと目が合った。  どちらともなくビー君に視線を移すと、ビー君は遠くを眺めて機械のようにポテトの残りを口に運んでいた。  どこに行ってるんだ、ビー君。  帰ってこい。 「あ、ヤベェ。もうこんな時間か」  そんな声に反射的に振り返った俺が見たものは、麻見さんの肩を抱いたまま空いたもう一方の手で麻見さんの左手首を掴み、そこに巻かれた腕時計を覗き込んでいた森沢先輩だった。 「ユリ、コーラやる」 「ああ、ありがとう」  呆然とする俺とムーを気にすることもなく、森沢先輩は口を付けていないコーラの紙コップを麻見さんに渡し、食べ掛けのハンバーガーを包みごと手に取る。  そして2人は、臙脂の制服同様に目立つ、校章入りの学校指定バッグを肩に掛けて立ち上がった。 「トシオ、ナゲット置いてくから3人で食っちゃって」  先に通路へ出た麻見さんを追いながら、森沢先輩が言う。 「お前達いつもここにいんの?」  返事をしようとしたところで問いを投げられ、俺は通路へ出て立ち止まった森沢先輩に一拍遅れて口を開いた。 「え?あ、いつもって訳じゃないですけど」 「よく来てる?」 「ええ、まあ」 「ならまた会えんな。じゃ」  口早にそう言って片手を挙げると、森沢先輩は後ろに立つ麻見さんの、自分の目線よりほんのわずか上にある顔を振り仰いでから歩き出した。  森沢先輩のあとを追う格好になった麻見さんは、言葉の代わりに微笑みと小さな会釈を俺達に残し、森沢先輩と肩を並べて店を出ていった。  俺はそれを見送り、2人の姿が消えても出入口を眺めたていた。 「……仲、いいんだな。あの2人」  ふとムーの呟きが耳に入り、そちらへ視線を流す。 「そうみたいだな。つか、仲良過ぎてビビった」  3年前の森沢先輩は博愛主義とでもいうか、俺が見た限りでは誰に対しても同じ態度で接していて、1人に固執するようなことはまずなかった。  だから、あんなにも臆面なく麻見さんを特別視している森沢先輩を見て、俺は確信してしまったんだ。  麻見さんはどうかわからないが、少なくとも森沢先輩が抱いている想いは生半可なものではないと。 「俺もビビった、つーか……」  不意にビー君が言葉を紡いだ。  未だぼんやりしていて俺ともムーとも目を合わせないが、突発的な心の旅からは無事帰還出来たようだ。 「眼鏡って、いいよね」  ……何? 「やっぱ俺も眼鏡掛けよっかな……」  帰ってきてなかったのか、ビー君……。  俺とムーは、すぐそばの謎生物に再び呆然とすることになった。

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