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嫌いじゃないよ(1)
僕は学校で《可愛いマスコット》を演じてる。
自分のためではあるけど、女にモテない奴とか、女とろくに話せないシャイな奴のために、仮想カノジョをやってるとでもいうか。
要はちょっとしたボランティアでもある。
僕は自分にとって住みよい環境を獲得するために奴等を利用し、奴等はやり場のない欲求を観念上でだけでも満足させるために僕を利用する。
僕等の関係は常にフィフティ・フィフティだ。
だから僕は奴等の中の誰か1人のものになることはないし、結局は奴等も僕のことを擬似恋愛の対象として見ているに過ぎないから本気で僕をどうこうしようとは思ってない。
……と、思ってた。
「ミズキちゃんは嘘ついてるんだよね?」
学校から駅まで向かう下校途中、話があると声を掛けてきたのは名前も知らない奴だった。
名前はわからないまでも、普段僕の視界にいる奴なら顔くらいは覚えてる。
でも今目の前にいる奴は、その顔すら僕の記憶にはなかった。
なのにコイツは言うんだ。
「ミズキちゃん、本当は俺のことが好きなんだろ?」
これで何度目だろう。
僕はみんなのことが好き、君のことも大好きだよ、なんて愛想笑いをするのも疲れてきた。
コイツの言い分はこうだ。
僕が尾藤先輩に告白したのは、本命である自分を嫉妬の渦に巻き込まないためのカモフラージュ。
僕に好意を寄せてる奴等の目を尾藤先輩に向けさせておいて、こっそり自分に告白しようとしてる。
でもなかなか言い出せないでいるようだから、自分から出向いてやった。
そんなことを無邪気な笑顔で言い続けている。
いっそ「こっちはお前のことなんかこれっぽっちも知らねぇんだよ」と言ってしまいたいが、相手は身長160cm弱の僕より明らかに大きいし、下手に刺激して手でも上げられたら洒落にならない。
第一、こんな狭くて人気のない路地裏じゃ、何かあった時助けも期待出来ない。
極力穏便に事を収めたいけど、相手は何を言っても聞きそうにない。
本当に厄介な奴に捕まった。
とにかくコイツから離れないとな。
適当な言い訳でも作って逃げるか。
「あっ、もうこんな時間っ」
僕は腕時計を見た。
見ただけだ。
時間なんてどうでもいい。
「ごめんね。僕、ママとお買い物する約束してるの。早く帰らなきゃ」
申し訳なさそうな顔で相手を上目遣いで見詰めて、半音高い声でわざと舌足らずに話す。
自分でやってて呆れる。
何が「ママとお買い物」だ。
高1の男がそんなこと言うかよ、普通。
でもコイツや、僕を持て囃す奴等が望んでる《惣田瑞樹》はコレなんだ。
馬鹿馬鹿しいけど、自分自身のためにも《惣田瑞樹》を演じるしかない。
今はまさにだな。
コレで身を守れるなら安いもんだ。
「じゃあ、また明日ねっ。バイバイッ」
顔の横で小さく手を振って、僕は男の脇を擦り抜けようとした。
「待ってよ。まだ話終わってない」
手首を掴まれて引き戻される。
終わってないも何も、僕がお前だけを好きだって言うまで同じ話繰り返すんだろ。
「本当にごめんね。ママが心配するから、話はまた明日……」
「じゃあ家まで送ってあげる。俺のことお母さんに紹介してよ、『僕の恋人』ってさ」
ニコニコ笑って何言ってんだコイツ。
脳みそ沸いてんじゃねぇのか。
「お友達じゃ、ダメ?」
「そっか。いきなり行って男が恋人なんて言ったらお母さんビックリしちゃうもんね」
そうじゃねぇよ。
これはもうはっきり言わないとダメか?
「ねぇ……あの、僕ね……君のことよく知らないし……好きって言ってくれたのは嬉しいんだけど、まずはお友達から……」
恥ずかしそうに目を伏せる。
自分で言うのもなんだけど、僕は結構演技派だ。
これで納得してくれよ。
いい加減手も離してくれ。
「俺のこと知らないって、どういうこと?」
……は?
目を上げてみたら、男は相変わらずニコニコ笑ってた。
だけど、突然僕の手首を掴む手に力を込めてくる。
「なんでそんな意地悪言うかなぁ。ミズキちゃん、いつも俺のこと見てたじゃん。そんで目が合うとニコッて笑ってくれたよね?知らねぇ訳ねぇじゃん。俺のこと好きだから見てたんだろ?」
「痛い……っ、手離して……っ」
離せこの勘違い野郎!
と声を荒らげなかった自分を褒めたい。
でも「痛い」というのはフリじゃなくて本当だ。
そして僕は背後の壁に押し付けられて、完全に逃げ場を失った。
「素直になろうよ、ミズキちゃん。俺のこと好きなんだろ?ね?」
何が「ね?」だ!
顔近いんだよ!離れろよ!
おいコラ!どこ触ってんだよ!
ヤバイ。
このままじゃ確実にヤられる。
流石にもう地を出してキレたっていいよな?
こんな路地裏でこんな勘違い野郎にヤられるなんて冗談じゃない!
「この……!」
「何やってんだよテメェ」
僕の声を遮るように別の男の声がした。
次の瞬間、いきなり割って入って来た男が勘違い野郎の胸倉を横から掴んで、そのまま数歩前進して僕から引き離した。
男が着ていた制服は紺のブレザー。
うちの学校の生徒じゃない。
でも紺のブレザーなんてよくあるから、どこの学校の生徒かは判らなかった。
襟に付いた校章バッジか、せめてネクタイでも見えればわかるかもしれないが、彼が僕の前を通り過ぎたのはほんの一瞬で、今は後ろ姿しか見えない。
男が肩から下げてるスクバにプリントされてた校章が見えた。
うちの学校と同じくらい馬鹿校で有名な高校の校章だった。
あの学校に、こんな茶髪の知り合いなんていたっけ……?
「コイツ嫌がってたじゃん。無理矢理何しようとしてたんだよ」
勘違い野郎の胸倉を片手で締め上げて、茶髪が静かな口調で問い掛ける。
勘違い野郎は顔を引き攣らせて、怯えたように茶髪を凝視するだけだった。
そんなに怖い顔なんだろうか、この茶髪。
顔の怖い茶髪の知り合いなんていないぞ。
じゃあ通りすがりに助けてくれたのか。
いい奴だな。
そんなことを思った矢先、茶髪が勘違い野郎を軽く引き倒すなりその腹に膝をぶち込んで足払いを食らわせた。
顔を歪めて腹を抱え、咳込みながら地面に横倒れになった勘違い野郎が、苦しげに体を丸めて呻く。
ちょっと待てよ……。
胸倉掴まれただけでビビってた奴相手にそこまでする!?
「ソッコーダッシュ!」
唖然としてたら、振り向きざまそう言って走り出した茶髪に左の二の腕を取られた。
「ちょ……っ、何!?」
足がもつれて転びそうになって咄嗟に声が出た。
しっかり腕を掴まれていたから転ぶことはなかったけど、茶髪は僕の問いに答えるどころか振り返りもせず、僕を引っ張ったまま足を止めることもなかった。
茶髪に引きずられるように走って、駅近くの大通りに出た時だ。
「何ここ!どこ!?」
ようやく立ち止まって僕の腕から手を離した茶髪が、息も切らさずに声を上げた。
こっちは両手を膝についてゼェゼェ言ってるっていうのに。
僕の体力がないだけと言ってしまえばそれまでだけど、それにしたって彼はタフだ。
「なあっ、ここどこ!?どこ!?」
なんだか1人で迷子になってるみたいだけど。
その慌て振りが可笑しくて思わず体を起こした僕は、そこで初めて茶髪の顔をまともに見ることが出来た。
……整い過ぎだろ、顔。
CGかコイツは。
さっき勘違い野郎がひどく怯えてた理由がわかった気がした。
こんな現実味のない顔の奴にいきなり胸倉を掴まれたら確かに怖い。
でもこの茶髪、なんとなくだけど…………倉原先輩に似てないか?
「お前も道わかんねぇの!?ヤベェーッ、ガチで迷子んなったーっ!」
人生最大の困難にでもぶち当たったかのように、CG男は頭を抱えて苦悩し始めた。
ここまで大袈裟だとウケを狙ってやってるとしか思えない。
だから僕もそれに乗ってやることにした。
「どうしようか。誰かにここから一番近い駅とか聞いてみる?」
駅はすぐそこだ。
わざわざ聞かなくてもわかってる。
流石にこのCG男も「駅そこじゃん!」とツッコミを入れてくるに違いない。
「あ、そっか!聞きゃいいんだよな!お前頭いい!」
……本気で言ってんのか?
冗談なのかそうでないのかわかり兼ねてCG男を観察していたら、
「カッチ君ならこの辺わかっかもっ」
言いながら、CG男はスクバから引っ張りだしたスマホの画面を見て、そして固まった。
「どうしたの?」
まばたきもしないで完全に動きを止めてるCG男に声を掛けたら、すぐさま再び頭を抱え込まれてしまった。
「カッチ君に聞いちゃダメだろっ。テキジョーシシャチュの意味ねぇじゃんっ」
テキジョーシシャチュってなんだ?
「ああ、敵情視察って言いたかったのか」
「そう言ったじゃん!」
怒られてしまった。
言ったじゃんって、どう聞いてもシシャチュだったぞ。
でも、
「敵情視察?どういうこと?なんのために?」
尋ねてみると、頭から手を離したCG男はスマホをスクバにしまいながら口を開いた。
「友達がカッチ君に勉強教わってて……あ、カッチ君知ってる?眼鏡で頭良くて2年生の」
僕とその《カッチ君》が同じ学校の生徒であることを前提に問い掛けてくるのは、多分僕が着てる制服を見てのことだろう。
そういえば、尾藤先輩の友達で眼鏡を掛けてる人が「カッチ」って呼ばれてたような気がする。
……まさかコイツ、尾藤先輩とも知り合いなんじゃないだろうな。
微妙に倉原先輩と被る顔で尾藤先輩と知り合いだなんて、ただの友達だったとしても面白くない。
いや、倉原先輩も尾藤先輩と付き合ってた訳じゃなかったんだけど、あの人は生理的に無理というか、僕の内面を見透かしたようなあの目がウザくて仕方がない。
「それだけじゃわからないな。名前は?」
2年生で眼鏡の《カッチ君》だけでは尾藤先輩の友達かどうか断定出来ないのと、彼の顔を見ているうちに沸いてきたちょっとした意地悪心で僕は彼に聞き返した。
すると彼は、
「名前?名前は加藤……加藤……あれ?加藤なんだっけ……?加藤……うあ、カッチ君の名前わかんねぇーっ」
また頭を抱えた。
「余計わかんなくなったな。加藤って苗字の奴はたくさんいるし」
などと言いながらも、彼が言ってるのは恐らく尾藤先輩の友達のことだろうと思っていると、
「じゃあシュウちゃん!武藤修作!あとマサヤン!マサヤン……名前わかんねぇ……!」
顔を上げたかと思えばまた頭を抱え出す。
CGみたいなクールな顔立ちのわりにはずいぶんと落ち着きのない男だ。
これで年上ってことはないだろうから、多分コイツも高1だな。
とりあえず、今上げられた名前で《カッチ君》が僕の予想した人物だったことと、コイツが尾藤先輩の知り合いであることが確定した。
やっぱり知り合いなのか……。
ということは、
「君、お兄さんいない?」
試しに聞いてみると、
「うお……!今兄ちゃんの話すんな……!」
頭を抱えたまましゃがみ込まれた。
どういう反応だよ、それ。
でも兄貴がいるってことは間違いないみたいだ。
「もしかして君、倉原君?」
さらに尋ねてみたら、彼は頭を抱える手を少しだけ浮かせて、考え込むように数秒の間を置いてから僕を見上げた。
「超能力者!?」
目を見開いたその表情から察するに、彼は本気で驚いてる。
なんでそんなに……っ。
気付けば僕は吹き出していた。
「超能力者じゃないよ。倉原先輩と顔が似てたから、そうかなって」
「笑うほど似てんのかよ!似てねぇよ!どう見たって俺のがカッケェじゃん!」
立ち上がって向かってこられても笑いを抑えることが出来なかった。
寧ろもっと可笑しくなった。
カッコイイかはともかくとして、倉原先輩と比べたら大分頭弱そうだな、コイツ。
「笑うなって!あーもー!怒ると腹減るんだよ俺!」
唐突に何言ってんだか。
まあ、助けてもらったことだし、腹が減ったというなら奢らせてもらおうじゃないか。
「じゃあなんか食べに……」
「ちょっと待ってて」
いきなり僕の後ろのほうに視線を飛ばした倉原は、視点を固定したまま僕の肩を軽く叩いて駆け出していった。
どうしたんだろうかと後ろを振り返り、その姿を目で追う。
倉原は制服姿のギャル2人組を呼び止めて、楽しそうに話し始めた。
友達を見付けたのか。
結構可愛い子達だ。
ギャルはタイプじゃないけど、どっちかって言われたら右側の子だな。
左側の子より化粧薄いし、化粧落としても別人にはならなそうだ。
毎日母さんと3人の姉ちゃん達の偽装工作を見てるせいか、僕は化粧美人が信用出来なかった。
アイツ等、寝起きの顔と化粧したあとの顔が明らかに違うし。
その上胸は寄せて上げてさらにパット詰めてるし、ボディスーツで腹凹ませてるし。
女って怖いよ、本当……。
そう思ったから恋愛対象に男も入ったのかどうかはわからないけど、僕は付き合いたいと思う相手の性別にあまり関心がない。
どっちも人間ならどっちでもいいじゃんって思う。
だけど本気で好きになった人には必ずと言っていいほどほかに好きな人がいて、僕も誰でもいいって訳じゃないから、恋人いない歴は年齢分ってやつだった。
……あ。
CGみたいな美形に危ないところを助けてもらったとか、よくよく考えてみたら姉ちゃん達が好きな少女漫画みたいじゃないか。
僕が少女漫画のヒロインだったら、この出会いが恋に発展したりするんだろうな。
したら笑ってやる。
もしそうなったらフリフリのエプロンでも着けて、砂糖と塩を間違えた手料理を倉原に振る舞ってやってもいい。
なんてことを考えながら倉原を眺めていたら、不意にこっちを振り返った倉原に手招きされた。
何故僕を呼ぶのか不思議に思いつつ駆け寄っていってみると、
「ヤベェーッ、超可愛いんだけどーっ」
「マジ可愛いーっ。てかさ、アイドルにいそうじゃねっ?」
「いそーっ、マジいそーっ」
ギャル達が僕を見るなり手を叩きながらゲラゲラ笑った。
馬鹿にしてんのか?
いや、そうじゃないのはわかってる。
こういう反応にも慣れてるから、僕は条件反射でカワイイ笑顔を作ってた。
「なんだよ君等。それさっき俺にも言ったじゃん」
倉原がギャル達に笑いながら文句を言う。
さっき?
友達じゃないのか?
「えー?カッコイイと可愛いじゃ全然違うしー。てかさー、メシ食ったらカラオケ行かね?」
「つかカラオケで食えばいんじゃね?ウチ等バイトの給料入ったばっかで今超リッチだし、行こうよっ」
左側の化粧濃い方のギャルに制服の袖を引っ張られる。
どうなってんだよ一体。
僕は隣に立つ倉原に目で問い掛けた。
「お前も腹減ってない?彼女等奢ってくれるってさ」
さらっと言われて一瞬目眩がした。
コイツ、奢らせるためにナンパしたのか……。
僕はひとつ溜め息をついてギャル達に視線を向けた。
渾身の笑顔で。
「ありがと。でも、ごめんね。やっぱり女の子に奢ってもらう訳にはいかないよ。コイツには僕が餌与えておくから。ホントにごめんね」
ギャル達に笑い掛けたまま体の向きだけを変えて、倉原の腕を掴んで歩き出す。
その僕の言動に唖然としてたギャル達は、僕が完全に背を向けると「はいっ女子会決行ーっ」だの「エサとかマジウケるーっ」だの言って、手を叩きながらゲラゲラ笑ってた。
倉原は倉原で、
「え?なんで?奢ってくれるっつってたのに」
全く悪意がないどころか、首を傾げてひどく不思議そうに視線を寄越してきた。
僕も計算で似たようなことを学校でしてるけど、コイツの場合は計算なんかじゃない。
腹が減ったと言えば女が奢ってくれる、それがコイツにとっては当たり前のことなんだ。
コイツは周囲の奴等を利用するためにキャラを作ってる僕とは違う。
100%天然ものだ。
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