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嫌いじゃないよ(4)

 倉原にとって兄貴は『絶対誰にも負けちゃいけない』存在らしい。  ということは…………おいおい、本当に相手何者だよ……。  とりあえず。  倉原の苛立ちの原因は兄貴への嫉妬か、兄貴の相手への嫉妬か。  それとも、敬慕していた兄貴が女のように扱われていたこと、それを兄貴本人が許容していたことに幻滅したのか。  身内のことだから無理もないんだろうけど、倉原は今自分の感情を把握出来ないほど混乱している。  答えが出れば、少しは楽になるだろうか。 「倉原はさ、その……ケンちゃん?と付き合いたかったの?自分が兄貴の立場だったらよかったのにって思ってる?」 「……そこまでは考えなかった」  倉原が顔を上げることはなかったが、返答は思ったよりも早かった。 「じゃあ、ケンちゃんの立場になりたい?」 「……なりたくはねぇけど……兄ちゃんには勝ちてぇ」  ここでも、挟まれた沈黙はそれほど長くない。  倉原が兄貴とヤりたい気持ちは恋愛感情じゃなくて勝ち負けなのか。  元々兄貴をそういう対象として見ていなかったのか、コイツが性交自体をそんなものとして認識しているのかはわからないけど、それじゃあただのマウンティングだろう。  まさか女に対してもそう思ってるってことはないだろうけど……コイツ、カノジョがいたとかいないとか以前に恋もしたことがないんじゃないか?  だとしたら、兄貴とその相手への気持ちを恋愛感情と錯覚してもおかしくはない……かな。  ということは、 「倉原は、一番強いと思ってた兄貴がケンちゃんに"負けた"ことだけが許せないんじゃないか?目標にしてた兄貴がそうなったことで理想が壊されてイラついて、誇りを貶められたことに自分も負かされたような気分になってムカついた。でもケンちゃんを嫌いにはなれなくて、2人の間に入っていけなかったことに疎外感を覚えて落ち込んだ。そんな感じ?」  言葉を渡すと顔を上げた倉原は、僕の顔をただぼんやりと見詰めた。 「お前スゲェ……。けど、もっと簡単に言って」  簡単に?  どこが難しかったんだ?  いや、倉原に伝わらなかったんなら意味がない。  今度はしっかり伝わるように……、 「あー……多分倉原は、兄貴を取られたとかケンちゃんを取られたってんでムカついたんじゃないと思うよ。2人のことが好きだから、除け者にされたと思ってムカついたんだ。で、絶対負けちゃいけない兄貴が"負けた"ってことは……その……あー……組み敷かれでもしてたか?なのに兄貴は反撃もしない。倉原はそんな兄貴を見て裏切られたような気分になっちゃったんじゃないのかな」  直接的な表現をするのは流石に気が引けて避けたけど、さっき自分が言ったことを噛み砕いて説明すると、 「それだ!」  間髪を容れず、倉原が僕に向かって指を差してきた。  人に指を差すな。  いや、まあ、今度は伝わったようでよかった。  安堵してひとつ息をついた時、 「お前やっぱ超能力者!?俺の頭ん中見えてる!?」  驚愕に目を丸くした倉原が、ベッドに座る僕の隣に勢いよく移動してきた。  そばから顔を覗き込まれて、思わず上半身をのけ反らせる。 「だから超能力者じゃないって。僕は第三者だからお前より冷静に考えられただけだよ」 「けど俺にもわかんねぇことわかったってスゲェよっ。お前カッコイイッ」  ……ああ……またそんなに目をキラキラさせて……。  あんな些細なことでここまで感動出来るって、まるっきり幼児だな。  僕は「スゲェ」なんて言われるほどのことはしてない。  それに、元々僕は自分にとっての《普通》を素晴らしい能力のように褒めちぎられることもあまり好きじゃない。  何よりやっぱり、純粋過ぎるほど純粋な倉原のこの目が苦手だ。  でも、悪い気はしない。  僕は末っ子で、親類の中でも一番年下だ。  幼い頃から体も小さくて、どこへ行っても「可愛い」と言われて庇護下に置かれて、多少の我が儘も許された。  そういった経緯から、可愛くあることが僕にとっての武装になったんだと思う。  ただ、可愛いと言われ続けることに抵抗を感じない訳じゃなかった。  いつまで経っても庇護の対象であるということは、いつまで経っても小さな子供であるのと同じで、誰も僕を《男》としては見てくれない。  それを逆手に取ることでプライドを保ってはいても、胸の内で常に否を唱えている以上やっぱりストレスは溜まる。  そんな僕の目に、ゆるふわな尾藤先輩の和やかな笑顔はたまらなく魅力的に映った。  この人なら僕を癒してくれるかもしれない、そう思った。  僕は尾藤先輩に甘えたかったんだ。  だから、他人の庇護欲を掻き立てるらしい武装した僕を先輩に見せた。  僕みたいな奴に少しも攻撃的な目を向けなかった先輩には、より《惣田瑞樹》を演じたほうが効果的だろうと踏んで。  可愛いと言われることにストレスを溜めながらも、結局僕はそれに頼った。  ……本当は、自分を偽り続けてきたせいで、ありのままの自分を見せることが怖くなっていた。  でも倉原先輩に仮面を剥がされて、結果的には素の自分を尾藤先輩の前に曝すことになってしまったけど。  余計なことしやがって、あのクソヤンキー。  いや、倉原先輩が出てこなくても僕は確実に振られていた。  が、僕の本性をあばくためだけにあの人は尾藤先輩にキスをしたんだ。  ちょっとくらい恨んだって罰は当たらないだろ。  でも倉原先輩は、僕のことをずっと《男》として見てくれてたんだよな。  それから、今目の前にいるその弟も。  しかも弟のほうは手放しに僕を称賛している。  それも、僕には縁遠いと思っていた「カッコイイ」なんて言葉でだ。  ありのままの自分を見せた相手にそう言われるのは、少し擽ったいけど嬉しいもんだな。  中学時代は後輩の前でもブリッコ演技をし通して年上とすら思われていなかったから、倉原のような反応は本当に新鮮だった。  そのせいか、ちょっと気も大きくなってきた。 「まあさ、兄貴も人間ってことだよ。お前が思ってるほど完璧じゃないし、兄貴も兄貴でいろいろ考えてんだ。だからもう兄貴に理想押し付けんのはやめにして、お前もお前の好きにすればいいんじゃないか?部屋片付けてくれるカノジョ作るとかさ」  ちょっと年上気分でアドバイスをして、 「例えばうちの姉ちゃんとか。さっきの、美沙っていうんだけど、お前のこと気に入ったらしいよ」  冗談めかして言ってみた。  言うつもりはなかったが、ノリと勢いってやつだ。  ちゃんと言ったぞ、美沙。  僕はお前に仲を取り持てとまでは言われてないし、結果がどうでも僕を恨むなよ。 「え?あのお姉さんが?」  少し驚いたような顔をして倉原が聞いてきた。  僕はそれに半笑いで頷く。 「そう、あのお姉さんが」 「あのお姉さんが……」  倉原は僕から目を逸らしてオウム返しに呟くと、それきり口を閉ざしてしまった。  どこか遠くを見詰めて、何やら真剣に考えているふうにも見える。  ……脈ありか?  美沙と倉原が付き合うのか?  ありえない。  第一美沙は倉原の外見が目当てなだけじゃないか。  ……あれ?  なんで僕は不愉快になってるんだ?  美沙と倉原が付き合おうが僕には関係ない。  僕は上手くいくはずがないという予想を覆されるのが嫌なだけだ。  人間、物事が予想通りに進まないと苛々したりする時もある。  つまりそういうことだ。 「どうする?倉原。お前がいいなら美沙連れてくるけど」  倉原の口から美沙と付き合う気はないという言葉を聞きたくて、あえて返答を急かした。

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