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嫌いじゃないよ(5)

「えーっと…………あのさ」  ためらいがちに零して視線を戻してきた倉原だったが、僕と目が合うと相変わらずまっすぐに見詰めてきた。 「付き合うんなら、お前と付き合いたいんだけど」  眼差し同様澱みのないその言葉に、頭の中が真っ白になった。  倉原の目は揺るがない。  時間が止まったみたいだと思った時、僕の頭は急速に動き出した。  咄嗟に倉原から顔を背けて考える。  付き合いたいって僕と?  美沙じゃなくてか?  いや、落ち着け。  付き合うって言葉にはほかにも意味がある。  そうだよ。  何を焦ってるんだ。  変に狼狽した自分が可笑しくて、僕は改めて倉原を視界に入れて笑った。 「そりゃあ友達付き合いは続けるよ。わざわざ家にまで連れてきといて、これでバイバイなんて流石にないだろ。まだモスにも連れてってやってないし、お前のゴミ溜めみたいな部屋も見てみたいしさ。掃除はしないけどね」 「そうじゃねぇよ」  苛立たしげに発せられたその声と鋭い眼差しに、僕の頬は笑みの形で固まった。  完全に射竦められた。  両手で顔を掴んできた倉原に唇を塞がれてもまばたきすら出来なかった。  そのままのし掛かるように押し倒されて、僕の体はベッドに沈んだ。  し、舌を入れるな……っ。  ファーストキスって訳じゃないけどこんなキスはしたことないっ。  因みにファーストキスは幼稚園の時に1つ年上の女の子に奪われた。  当然、キスといっても触れるだけの可愛いやつだ。  正直な話、僕のキスの思い出なんてそんな程度のものしかない。  でも、明らかに慣れまくってる倉原にそれを悟られるのが何故か無性に恥ずかしくて、僕は意を決してきつく目を瞑り、オドオドと舌を絡めた。  これでいいのか?  いいのか!?  よくわかんねーよ! 「目ェ開けて」  唇の先が触れ合ったまま、倉原が言ってくる。  その微かな感触は、どういう訳だか必死だったさっきよりえらく生々しく感じられて、顔どころか耳まで熱くなった。  恐る恐る目を開けたら、視界いっぱいに整い過ぎた倉原の笑顔。 「顔真っ赤」 「うるさいなっ」  自分でもわかるほどの顔の赤さを楽しげに指摘されて、僕の羞恥は極限を越えた。  もう間違いなく顔を通り越して頭に血が上ってる。  まるで僕自身が羞恥を測る計器にでもなってしまったかのようだ。  とにかくムカツク。  1人余裕な倉原がより一層ムカツク。  僕の勝手な思い込みだったとはいえ、自分と同類かもしれないと親近感まで抱いたのに思いっきり経験豊富そうなところも激しくムカツク。 「なんなんだよお前っ。いきなりこんな……っ」 「俺が守るよ」 「は!?」  訳がわからず喧嘩腰に聞き返すと、 「お前のことは俺が守ってやる。もう誰にもあんなことさせねぇ。約束する。だから、俺と付き合ってよ」  優しい声で囁かれて、頭の芯が急激に冷えていった。 「どけよ」  倉原の胸を押し退けて体を起こし、怒りに任せて倉原を睨み据えた。 「大きなお世話なんだよ。僕は確かに非力だけど、その代わりに頭使うようにしてるんだ。自分の身くらい自分で守る。同情なんかいらねぇんだよ。大体、襲ったってんならお前も同じじゃねぇか」  何言ってんだろうな、僕は。  キスに応えた時点で合意だってのに。  本当は、僕も倉原がそばにいてくれたら心強いなと思ってるんだ。  頭を使ったところでどうにもならない時だってある。  実際、今日だって倉原に助けてもらえなかったらどうなってたか……。  でも「守るよ」なんて言われて簡単に頷けるほど僕は弱い男じゃない。  そう思いたいんだ。  頷いてしまったら、恐らく僕は倉原に頼り切ってしまう。  僕を最初から《男》として見てくれていた倉原とは、出来れば対等でありたい。  どうしても、倉原の前でまで守られるだけの小さな子供でいるのは嫌だった。  息を詰めた倉原の顔をしばらく見据えていると、 「お前やっぱカッコイイ!」  いきなり抱き着かれて僕はまたベッドに沈んだ。 「俺、されるほうでもいいよっ。付き合ってよっ」  なんなんだ、耳元で大はしゃぎしてるこの生き物は。  というか、されるほう? 「されるほうってなんだよ」 「え?エッチする時の。女役?あ、チンコ突っ込まれるほうっ」  無邪気だなぁ……。  さっき僕にあんなキスした癖に、なんでコイツはこんなに無邪気なんだ……。  とりあえず、されるほうでもいいってのは、つまり……。 「倉原さ、そんなとこまで兄貴に対抗意識燃やさなくてもいいと思うよ」  天井に向かって溜め息混じりに吐き出せば、 「兄ちゃんは関係ねぇよっ。俺がそうしたいのっ」  キスどころか多分その先のことも相当慣れてるんだろうに、今僕にしがみついている倉原はまんま幼児だ。  全く、大人なんだか子供なんだか……。  それより、 「苦しいよ。いい加減離れてくれる?」  ガッチリと僕に抱き着いたまま離れようとしない倉原の背中を数度軽く叩いた。  すると倉原は両手を僕の顔の脇に置いてすぐに体を起こしたものの、そのまま笑顔で僕の顔を見下ろしてくる。 「何?」  怪訝に思って問い掛けると、 「キスして」  ……お前は女子か。  より一層倉原がわからなくなった。 「やだよ。早くそこどいて」 「してよ」  言うなり目を閉じた倉原に「はいっ」と唇を突き出されて催促され、僕は苦笑しながら少し体を起こして触れるだけのキスをした。 「終わり!?」  すぐさま言われて、倉原が唖然としているのをいいことに押し退ける。 「終わり終わり。しただろ、ちゃんと」 「えーっ」 「えーじゃないよ」  適当にあしらっていたら、今度は背後から抱き着かれた。 「しつこい」  言いはしても、僕は逃げずにじっとしていた。 「じゃあまた俺がしちゃうよ?」  耳元で囁く声は幼児でも女子でもなく、大人の男の声だった。  どれが本当の倉原なのか、さっぱりわからない。  だけど、どれも倉原なのは事実だ。  コイツは僕よりいろんな顔を持ってる。  まだまだ僕の知らない顔をたくさん持っているのかもしれない。  それを眺め続けられたら楽しいだろうな。  そうは思うけど、 「すんな」 「なんでだよー。いいじゃん、キスくらいー」  拗ねた声で文句を言ってきた倉原に、抱き着かれた背中ごと前後に揺さ振られる。 「さっきしたからもういいだろ」 「ねーチューしてー」 「聞けよ、人の話」 「じゃあ今日泊めてー」 「だから…………え?」  振り返ったら、鼻頭が付きそうなほど近くに倉原の顔があった。 「帰ってもさ、まだちょっと兄ちゃんの顔見る勇気ねぇんだよ。ダメ?」  そんな困り果てたような表情で言われてしまうと……。  いや、甘やかしちゃダメだ。  部屋の掃除くらい自分でやれと倉原を突き放したタツヤ君を見習って、僕も心を鬼にするんだ。  僕はひとつ息をついて正面に顔を戻した。 「夕飯食ったら帰れ」 「えーっ」 「えーじゃないって、だから」 「……やっぱ女と違ってキスくらいじゃ泊めてくんないかぁ……」  ぼそりと零された声に思わず背後の倉原を振り返る。 「お前女んち泊めてもらう時いつもあんなことしてんの!?」 「え?エッチもしてるよ。つか何もしないって逆に悪くね?」 「悪くねぇよ!お前やっぱ美沙とは付き合うなっ。あんなんでも僕の姉ちゃんだっ。ヤリチンの餌食になんかさせらんねぇっ」 「だからー、俺が付き合いたいのはお姉さんじゃなくてお前だってー」  両手どころか両足でまでホールドされて、身動きひとつ取れない。  そんな状況に焦ってはいるけど恐怖は感じてない。  出会って間もない奴にキスされて、こんなふうに抱き着かれても、僕は嫌悪を感じるどころか少し癒されてしまっている。  しかし、このまま流されるのは僕のプライドが許さない。 「友達じゃダメか?」  まさかこの台詞を素で言う日が来るとは思わなかった。  だけどやっぱり、僕は本心を隠したままだ。

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