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甘くない(1)

 2年くらい前、継母(かあ)さんと弟が貴重品と少ない荷物を抱えて家から出てった。  それからは僕と親父の二人暮らしだったんだけど、親父は昔からあんま家に寄り付かなかったから、ほぼ一人暮らし状態になった。  その頃僕は中3になったばっかで、淋しいとかよりとにかくもうその解放感にワクワクした。  学校サボって家でゴロゴロしてようが、女連れ込もうが、誰に怒られることも誰に心配されることもない。こんな最高なことってあるか?  いや、ちょくちょく継母さんから「大丈夫?何か困ったりしてない?」「いつでもご飯食べに来て」「志信が淋しがってる。私も淋しいから今度3人で出掛けよう」なんてLINE来て……。そのたびにちょっと涙ぐんで、申し訳ないなぁって思ったけど……。  今でも継母さんのLINEや電話は続いてる。  なんであんなクソみたいな親父と一緒になったのか心底わかんねぇくらいいい人だ。  だから僕のお袋みたいに、心と体壊して取り返しがつかないことになる前に、親父から離れてくれて本当によかったと思ってる。  でも親父も、お袋が死んで継母さんに去られて流石になんか感じたのか、昔より大分丸くなった。  継母さんに頭を下げて離婚を踏みとどまってもらって、養育費やらなんやら結構な額をしっかり払い続けてるっぽい。  帰ってくるなり僕を怒鳴りつけることも、それに反抗した僕と殴り合うこともなくなった。  僕がまだ小さかった頃は、親父が帰ってくるってわかるとお袋が僕を背中に隠して包丁構えてたこともあったからなぁ……。  小6ん時、お袋に手上げた親父がどうしても許せなくて殴り掛かったら、気がついた時には病院のベッドに寝かされてて全治3ヶ月とか医者に言われた。  ベッドの横で僕の手握ってボロボロ泣いてるお袋見て、もっと強くなんなきゃって思った。  だから僕は、強かったお袋みたいに継母さんと弟を背中に庇ったし、弟と2人で継母さんを守ったりもした。  その弟は今や親父にそっくりなコワモテマッスルゴリラだけど、中身は継母さんに似て大らかで優しい。  あれなら1人でも継母さんのことをしっかり守ってくれそうだ。  まだヤンチャはしてるみたいだけど、そんなコワモテマッスルゴリラを蹴り倒せる元気なお友達も出来たみたいで、僕も継母さんもちょっと安心してる。  それにノブとミノリがつるんでる連中は、見た目はヤベェけど常識あって礼儀も正しいから、継母さんも奴等のことをかなり気に入ってるみたいだ。  一方、親ゴリラは丸くなっても相変わらず家には寄り付かない。  代わりに最近、知らねぇ男が家に住み着いた。  ソイツは僕のことを「坊ちゃん」なんて呼ぶ。  歳は多分30前後。  昭和の二枚目俳優みたいな顔してて愛想がいいせいか、近所のオバサン連中に評判がいい。  親父からは「家政夫みたいなもんだから気ィ遣うことねぇぞ」なんて言われたけど、半袖なんか着てると腕の和彫りがチラチラ見える奴で、あからさまにカタギじゃなかった。  でもそれさえ見えなければごくごく普通の兄ちゃんだ。  だけど、 「坊ちゃんは本当に姐さんに似ていらっしゃる……」  人の顔うっとり見つめて呟くコレ!  コレだけはなんとかなんねぇかな! 「池又さんさぁ……」  僕はメシを食う箸を止めて、げんなり溜め息をついた。  ダイニングテーブルを挟み、僕の向かいに座ってうっとりしてた池又さんが、我に返ったように目を見開いた。 「気軽にハルかハルイって呼んで下さいって言ってるじゃないですか、坊ちゃんっ」 「……春威さん」 「惜しいっ」  いや、なんも惜しくねぇから。  因みにメシはこの人、池又春威さんが作った。  悔しいが旨い。 「春威さん、前から思ってたんだけど、まずその『坊ちゃん』ってのやめてほしい」 「『若』のほうがよろしかったんで?」 「もっとやだよ。あからさまだよ。疑いようもなくヤー公の倅だよ。マジ勘弁だよ」 「そうですか……」  いい大人が高校生に言い返されただけでそんなしょんぼりすんなよ……。  叱られた犬かよ……。  ていうかこの人、親父が帰ってくるとダッシュで玄関まで行って兄貴兄貴って鳴くし、マジで犬みたいなんだよな。  そんなだから立派な彫りもん入れてる癖に僕みたいなガキのお守り役なんてやらされるんだよ。 「あのさ、親父に何言われてっか知んねぇけど、僕1人で全然平気だから。たまに様子見に来てくれる程度でいいよ本当」 「いや、そういう訳には。それに坊ちゃんといると楽しいというか……幸せというか……」  うわー……めっちゃ照れてるー……。 「もしかしてさぁ、僕に気でもあんの?」  否定してほしくて、あえて茶化した感じで聞いてみた。  春威さんは僕の顔をちらっと見て、すぐに視線を落として黙り込んだ。  いや!黙んなよ! 「僕がお袋に似てるから?お袋のこと好きだったの?」  あんなうっとりして、はっきり「似てる」って言ってんだ。  この人は僕じゃなくて、僕の顔にお袋を見てる。  確かに僕はお袋似だ。  ノブの見た目には親父要素しかないけど、僕の見た目にはお袋要素しかない。  親父のDNAよ、なんで俺の時には頑張れなかったんだ……。  とは言え、僕も親父とノブみたいなコワモテマッスルゴリラになりたかった訳じゃない。人類やめたくねぇし。  でも、身長……180超えはやっぱ羨ましい……!  ノブなんかもうちょっとで190とか言いやがってたし!  僕172cmなんだけど!?  つか!僕の身長は平均なんだよ!  周りがデカ過ぎるだけなんだよ!  170あるのに見下ろされまくって「ちっちゃい生き物」扱いされんのマジでキツイ!  そういえば春威さんも180くらいあるな。  だから余計、春威さんのこと見てる時の近所のオバサン達の目が恋する乙女みたいになってんだ、きっと……。  僕もあと10cm……いや、せめて5cm……。 「俺が坊ちゃんくらいの歳の時、かなり馬鹿やってましてね」  唐突に、春威さんが赤い顔で目を伏せたまま話し始めた。 「そん時、兄貴と姐さん……坊ちゃんのお父さんとお母さんですね、お2人にとてもよくしていただいて。俺はお2人に惚れたんですよ」 「惚れた?お袋はあくまで恩人で、恋愛感情は一切持ってませんでしたってこと?」 「……いや……姐さんえらいべっぴんさんだったし……そりゃあ男ならちょっとはそういう気にも……」 「僕男だからー!顔は似てても男だからー!ごめんだけど男だからー!」 「わかってます!大丈夫です!それはちゃんとわかってます!」  そんな真っ赤な顔で言われても説得力ないんですけどー!  つか、僕くらいの歳の時、僕の親に会ってるってことは……、 「覚えてねぇんだけど、僕と春威さん、昔会ったことある?」 「ええ、坊ちゃんがまだ赤ん坊の頃に。いやぁ、その頃から姐さんそっくりな綺麗な顔してて。俺、あんな綺麗な赤ん坊見たことなかったです」 「……やめて、恥ずかしい……」  今度は僕が赤くなって俯いた。  だってそんな面と向かって綺麗綺麗って……。  あー……グラは生まれた時からこれ聞いて育ったのか……。  だからアイツ、「女みたい」って言われると不機嫌になるけど「綺麗」はスルー出来るんだな。言われ慣れてっから。  でも僕は言われ慣れてないんで! 「綺麗っていやぁあっちの姐さんもべっぴんさんだけど、志信坊ちゃんは完全に兄貴似ですね。赤ん坊の頃から貫禄あったもんなぁ志信坊ちゃん……」 「ノブが赤ん坊の頃のことも知ってんだ?」 「ええまあ。昔兄貴の付き人みたいなことやらせてもらってたんで」 「ふーん」  じゃあ助けに来てくれてもよかったろ。  お袋に惚れてたんならさ。  惚れた女死なせてんじゃねぇよ。  なんつって、この人がその当時のウチの事情知ってたところで何か出来た訳じゃない。  親父の付き人なんてやってたんなら寧ろ何も出来なかったはずだ。  しかもその時はこの人もまだ相当若かったんだろうし。  この人を恨むのはお門違いだ。  わかってるんだけど、あのクソ親父の味方ってだけで腹が立つんだよな。正直言うと。  思わず春威さんにガン垂れてたら、春威さんはまた顔を赤らめて目を伏せた。 「坊ちゃん……そんな見つめないで下さいよ……」 「見つめてませんー!つかアンタどんだけ僕の顔好きなんだよ!僕の顔ってかお袋の顔か!」 「出来れば……髭を剃っていただきたい……」 「剃りませんー!絶対剃りませんー!」  死んでも髭剃るもんか。  僕は心に誓った。

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