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第2話

「別に無理して笑う必要はないと思うよ。楽しいときに笑えれば、それでいいんじゃないかな? って、課長に言ったら渋い顔しそうだよね」  流れた汗を手の甲で拭って少しも悪びれた様子もなく、また笑う。  よく笑う人だな、と無表情で睦月はそのコロコロ変わる顔を眺めた。 「松田さんはよく笑いますね」 「そうかなぁ? 普通だと思うけど。オレと清沢くんは両極端だね」  松田が指導係になってから、なかなか笑顔を見せない睦月を一度も怒ったり注意したことはなかった。笑えとも言わない。それで指導係として成り立っているのかこちらが心配になってしまう。  それでも無理に笑えと言われるよりはずっとマシだ。松田の下で働くのは最初こそ不安だったが、今では心地よく思う。  他人が何を感じ、何を求めているのか、彼は全てを把握しているようだった。  笑いたくないわけではない。笑うのが苦手なだけだ。そういう睦月を理解してくれる人間は松田だけではないし、今まで生きてきてさして困ったこともない。就活でも面接の際に笑顔を見せたりしなかったが大手の企業に希望の職種で入ることが出来た。  要は真面目でさえあればいい。何事にも真剣に取り組み、与えられた仕事をきちんとこなし、出来ることがあれば手を貸す。そうすることで初対面では無表情で怖いと言われがちな睦月でも信用される。  真面目に頑張る。ただそれだけだ。  我が儘放題に育った弟が三人、その面倒をみるうちに自分のことは何でも後回しだった。長男としてしっかりしなければならないと我慢してばかりいて笑う余裕もないまま大人になった。いつも眉間に皺が寄ったまま、表情筋はそれで固まって動かなくなった。  だからといって弟たちや仕事で忙しい中、懸命に子育てをしてくれた両親を恨んではいない。ようやく自分で稼げるようになったのだから金銭的にも両親を助けられる。まだ学生の弟たちにも進学させてやれる。  それにこんな無表情な男を好きだと言ってくれる彼女もいる。社会人になってから実家を出て一緒に暮らし始めた彼女は睦月を誰よりも理解してくれていると思う。 「そうだ、清沢くん。来週から新しいお仕事に入るからちょっと忙しくなるよ。残業も増えるかもしれないから、体調面しっかりね」 「新しい仕事ですか?」 「うん。加賀美って大きい会社あるでしょ?」 「あの、加賀美ですか?」  松田が言う加賀美が睦月の予想と同じなら、知らない人間なんていない。子供でも知っている大企業だ。いくつもの子会社や系列会社、そこから枝分かれしたものまで含めたら数え切れない。 「そうそう、そこと一緒にお仕事するよ。楽しみだねぇ」  気のせいか松田がいつもよりソワソワしているように見える。  そんな大企業との取り引きなら浮き足立つのも尤もだ。しかし、それ以上に何か特別な感情があるように思えて、皺の寄っている眉間に更に皺を寄せた。 「そんなわけでこれから帰社して準備するから、お手伝いよろしく」 「は、はい」  期間限定の一介のSEがそんな大きな仕事に関われるなんてきっと二度とないだろう。それが将来、何かの役に立つかはわからないが無駄にはならない。  頑張ろう。真面目に、一生懸命。  笑顔なんて作らなくても真面目に頑張ればそれに見合った評価が得られるのだと。

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