5 / 15

第5話

 加賀美の本社前に着き、受付で社名と名前を告げるとすぐに中年の男が迎えに来てくれた。松田とは面識があるようで軽く挨拶を交わすと上階にある会議室へと案内された。  清潔感のある綺麗な会議室にはまだ誰もいない。プレゼンの用意をするために早めに来たから当たり前なのだが。  SE課にいたときは殆ど他社には行かなかった。どんなに仕事が出来ても無愛想だと怖がられる。社内で出来る仕事ばかり割り振られていたけれど、どんな案件でも完璧にこなした。  しかし今回の仕事は全く畑違いだ。毎日、残業して松田を手伝ってはいたが、睦月に出来ることは邪魔にならないように補佐役に徹するだけだ。  持ってきた資料やノートパソコンを長机に広げて準備をしている途中、会議室のドアが開いた。 「松田、手伝うことはあるか?」  入って来たのは松田と同じくらいの年齢の高そうなスーツに身を包んだ端正な顔付きの男だった。松田とも和泉とも違う、どこか人間離れした印象を与える隙のない男で、睦月はそのまま目を奪われ作業の手が止まってしまった。  どこかで見たことがある気がした。どこだったか思い出すのにはそんなに時間はかからなかった。  経済誌だ。それも最近のもので、若い経営者を特集している記事が載っていた。その表紙と、他の誰よりも多いページ数で書かれていたのが彼だ。名前は確か――。 「加賀美さん、どうしたんです? 暇なんですか?」  そうだ、確か加賀美の会長の孫で今は本社の重役の一人、加賀美陵だ。  ただのSEでは絶対に会うことの出来ない存在。架空の人物ではないかと疑っていたほどだ。 「時間を空けておいたんだ、手伝おうと思って」 「忙しいくせに」  そう言って笑う松田は嬉しそうだった。  こんな笑顔は見たことがない。いつも笑顔で人当たりのいい松田の緩く綻んだ空気。相手に完全に心を許している表情だ。 「すっかり偉い人になっちゃいましたね。雑誌、読みましたよ。ああいうときくらい笑顔を作らないとダメですよ」 「ああ……見たのか……。あれはどうしてもと言われて渋々、引き受けたんだ。これからは積極的に顔も売っていかなければダメだと祖父さんがうるさくてね」 「相変わらずお元気そうですね、会長」 「まだまだ引退はしないだろうな」  楽しそうに談笑する二人を黙って見ているしかなかった。周りへの気配りが完璧な松田が全くこちらを気にしないでおしゃべりに夢中になっている。睦月など最初からいなかったかのような空気に居心地が悪く、不愉快だった。  見たくない、こんな気の抜けた松田の姿なんて。  睦月の気持ちなど知らないまま、談笑しながら手を動かし続ける松田と加賀美。指示をされなくてもここに来る前から下準備をしっかりしていたから松田に訊くことはないけれど、それでも会話に入れてもらえず蚊帳の外のままなのは気分が良くない。  何か話しかけようとしても、二人の会話に割って入ることが出来ないでいる。イライラがつのる。こんな感情を仕事相手に抱いたままこれからも顔を合わせなければいけないのかと思うと憂鬱で仕方ない。  そもそもなんでこんなに不愉快な気分になるのだ。みんなに分け隔てなく優しい松田が加賀美の前でだけ違うからか。ただの職場の先輩なのに、そんなことで気持ちが荒れるなんて自分らしくない。  何事にも動じない。顔に動揺が出ない、無表情で眉間に皺を寄せているいつもの自分は何処に行った。冷静になれ。きっとそう……松田は加賀美と仲がいいから他の誰よりも心を許しているだけだ。この案件もその繋がりで得たのだ。きっと、そうだ。  だから今は、目の前の仕事に集中しなければいけない。

ともだちにシェアしよう!