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第9話

 あっけない終わり方だった。言い争うわけでもなく、すがりつくわけでもない。泣いたりもしなかった。  ただ、淡々と消えていった恋心に終わりを告げただけ。  荷物を片手にビジネスホテルに泊まろうと会社近くに移動した。どうせなら職場に近い場所の方が通勤に便利だと思ったからだ。  いっそのこと、実家に帰ろうかとも考えた。けれど、こんな時間に帰れば家族は心配するだろう。何より、通勤するのに時間がかかってしまう。そんな時間があれば少しでも眠っていたい。営業は体力が必要だ。そして十分な休息も。  今はまだ実感があまりないけれど、そのうち彼女との別れがじんわりと心にダメージを与えるだろう。弱った兄の姿を弟たちには見せたくない。頼れる兄でいたい。次の休みに部屋を探して決めてしまおう。引っ越しが済んでから家族には話そう。その頃には自分の気持ちも落ち着いているだろう。  もっと貶したり泣き喚いたり、汚い言葉を投げつけられた方が楽だった。しかし、彼女はそうしなかった。それが彼女の強さであり、魅力だ。本当に自分には勿体ないくらいよく出来た彼女だった。不甲斐ない彼氏で申し訳ない。 「清沢くん?」 「え?」  ビジネスホテルの前で後ろから声を掛けられ振り返ると、松田と和泉、そして加賀美が揃っていた。 「どうしたの? 今日は早めに帰ったよね?」  変な組み合わせだと思った。加賀美に片思いの松田、それを知っていて三人が一緒にいる。よく平気でいられる。どんなメンタルをしているんだ。 「あー……ちょっと、色々ありまして家がなくなりました」 「ええっ、何それっ、大丈夫なの!?」  和泉が驚いて声を上げる。松田も怪訝な顔で睦月を覗き込んだ。加賀美だけが一歩下がって静観していた。 「大丈夫です、次の休みに部屋探ししますからそれまでの間なんで」 「え、でも、清沢くんって確か……彼女と同棲してなかったっけ?」 「別れました。だから家も出ました」  松田と和泉は何か言いたそうにしながら互いの顔を見合った。 「吏央、先に帰ろう」  加賀美が後ろから和泉に声をかけ、睦月はそちらを見た。  何を考えているのかわからない、無表情な加賀美はプレゼンのときに松田と談笑していた雰囲気とは違って冷たく感じた。  けれどきっと、誰よりも場の空気を読める人なのだろう。これ以上、深く話を聞かれたくなかったから助かった。  それじゃあ、何かあったらいつでも言ってね、と和泉が心配そうに何度もこちらを振り返りながら加賀美と一緒に帰って行く。タクシーに乗り込んで発進するのを見送ると、緊張の糸が切れてホッとした。加賀美がいるだけで緊張する。大企業の跡取りだからだけではなく、加賀美がまとう空気が独特なのだ。 「一緒に帰ってくんですね」  タクシーを見送りながらなんとなく疑問に思ったことを口走った。松田が苦い顔をする。 「一緒に暮らしてるんだよ、あの二人」 「そうなんですか……」  恋人同士なら一緒に暮らしていて当たり前か。自分もそうだったのだから、ついさっきまで。 「それで、清沢くん、これからうちに来ない?」 「え? 松田さんのとこですか?」 「部屋が見つかるまでうちに泊まれば? プライベートまで職場の人間と一緒が嫌じゃなければ、だけど」  苦い笑顔のまま、松田は手を上げてタクシーを止めた。 「乗って」  突然のことで何も考えずにタクシーの乗り込んだ。その横に松田が乗り込んで、運転手に住所を伝える。  松田からは微かにアルコールの匂いがした。三人で飲んでいたのだろう。どんな気持ちであの二人と酒を酌み交わしていたのか想像も出来ない。 「あの……迷惑じゃないですか?」 「ぜーんぜん。こういうときは一人でいない方がいいよ」 「はあ……」  むしろ、一人でゆっくり考えるべきなのではと思うけれど松田の親切を断ることは睦月には出来なかった。彼女に好きかと問われたときに脳裏に浮かんだのは松田だった。その理由を知りたかった。松田の傍にもっといればそれがわかる気がした。  松田の住むマンションに着いてタクシーを降り、部屋へと案内され中に入る。彼の仕事ぶりからは想像出来ないほど殺伐とした部屋だった。段ボールに入れたままの荷物、やたらと買いだめされた下着や靴下、テレビはなく代わりに新聞が何紙も山になって積まれていた。  いつも着ているオーダーメイドのスーツはきちんとハンガーにかけられ、どれもがクリーニングから戻ってきたあとのようでしっかりとカバーがかけられている。 「じゃ、適当にしてて。オレ、シャワーしてくるから」 「え、でも……」  適当になんて他人の家で出来るわけない。シャワーにさっさと行ってしまった松田を恨めしく思いつつ、荷物を邪魔にならないように部屋の隅に置くとその横に腰をおろした。  寂しい部屋だ。人が住んでいるとは思えない。こんな部屋に毎日帰って来て一人で過ごしているのかと思うと切なくなる。

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