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第1話
「お会計702円です。……丁度頂きます、あざしたぁ」
深夜のコンビニアルバイト。
店内に居た唯一の客を見送ったところで、裏から店長のタケさんが商品の在庫表を持って現れた。
「佐藤、具合どうだ?」
酒とタバコで喉が潰れてて、髪の毛だってギシギシの金髪。見た目通りこの街一番の不良校を卒業したってのに、県内でも上位に食い込むこの店舗の店長をやってる。
その上、就職してひと月も経たずにクビになる様な不出来な俺を根気よく面倒見てくれる、人情味溢れる優しい人だ。
「今日も平気です。でも、また来週病院に行かなきゃなんなくて」
「センチネル…だっけか」
俺、佐藤光(さとうひかる)は一週間前、バイト中に急に気分が悪くなってぶっ倒れた。襲い来る眩暈と吐き気、なぜか目は眩しくて開けられないし、耳からは爆音が入り脳みそが爆発しそうだった。
結局その場に居た店長が緊急要請し、救急車が来た頃にはもう俺の意識は無かった。
そうして運ばれた病院にて、最近ポツポツと世間の話題に上り始めた“センチネル”に俺が覚醒したと分かったのだ。
センチネルである事は隠しておく人が多いそうだが、随分とお世話になってるバイト先で騒動を起こしたのだ。
店長には嘘をつきたくなかったし、今後の為にも知っておいて欲しいと思い、俺はセンチネルとガイドについて店長に話した。流石に治療方法は隠したけど。
「すいません、ガイドの人が普通の社会人なんでギリギリにしか予定が分かんない上に、夜しか無理だって言われて」
「一日くらい構わねぇよ、予定が決まったらまた教えてくれ。誰か代わり探すから」
「あざす」
店長はチェック表を挟んだボードで軽く二度俺の頭をポンポンとすると、そのまま在庫チェックに戻る。それと同時に男の客がひとり入って来て、雑誌コーナーに立った。
いつも夜中に二時間以上立ち読みに来て、そのまま何も買わずに帰る客だ。
暫く暇になるな…。
全然好みで無い今時のJ-POPが流れる店内を見つめながら、俺は記憶を数日前に遡らせた。
◇
一週間前のあの日。
その日の内に俺がセンチネルだと判明し、その上性的接触でしか回復を見込めない事も分かった。
医師は直ぐに性的接触治療を行う女性のセカンドガイドを派遣すると言った。
男性のセンチネルに女性のガイドを当てがうなんて何だか非情な気もしなくないが、どうやら国はあわよくばプライベートなパートナーへの発展を期待している様だった。
そうなれば彼らは夫婦として支え合う事になり、セカンドガイドとして保障金を支払う必要が無くなるからだ。その分国が楽になる、簡単に言えばそういう話だ。
だが、俺はその話に首を横へ振る。
『俺、ゲイなんです』
まだ特定の誰かを好きになった事は無かったが、女に興味を持てないことは間違いなかった。だからあの場で両親に言えたことはラッキーだと思う。
もうこれ以上、無駄に何かを期待されるのはごめんだったから。
同性を対処出来るセカンドガイドを探すのには随分と苦労したらしく、ガイドが見つかったのは倒れてから三日後の事だった。
二時間の身体的接触だけでは回復出来ていなかった俺の体は、その三日で随分と衰弱してしまった。
補聴器では抑えられない爆音と、それに刺激されて起きる激しい頭痛、吐き気。
サングラスをかけても目を突き刺すような痛みを与える光の波に、正直死んだ方がマシなんじゃないかと本気で思った。
個室に隔離され、兎に角殆んど人の出入りを無くしてもらい、ただひたすらジッとしてどの位経ったのか…真夜中に突然ドアが開いた。それと共につけられた室内灯に、俺は耐えられず呻き声を上げる。
サングラスをかけていない瞼越しに、眼球へと激痛が走った。
「ッ……っ、う……」
「光くんごめんね、苦しいね。今ガイドさんを連れて来たから…もう楽になるからね」
ひっそりと話したのは、多分俺の担当医。
目も開けられず、辛すぎて仰向けになったまま寝返りも打てずに居た俺に、担当医に変わって誰かが覆い被さった。
顔の右側で大きくガサリと音がして、少しだけ枕が沈んだと認識した途端、顎を冷たい指に固定され気付けば口付けられていた。
いや、実際口付けらたと認識したのは全てが終わった後だ。
不思議な感覚だった。
力の入らない唇はすんなりと誰かのそれを受け入れて、舌を伝わせ少しずつ流し込まれる唾液を少しの抵抗も無く嚥下した。
体の具合があまりに悪過ぎて、嫌悪とか、そんなの感じる余裕も無かったんだと思う。
そうしてその感覚はやって来た。
「んっ…んく、ん………んんっ」
与えられる唾液を飲み込むたびに、細胞一つ一つに何かが浸透していくのが分かる。それはまるで湧き水の様に清らかなもので、身体中に蔓延っていたイバラがするすると外れていく様だった。
「はっ、ん…ん、はっ、んく…」
もっと
もっと
もっと…
俺を楽にしてくれるそれが、もっと欲しい。
いつの間にか動ける様になっていた身体が、思わず目の前の人物へと腕を伸ばしていた。けど…
「はふっ…」
捕まえようと伸ばした腕は手首を取られ、相手に触れる前に元に戻された。
ぴちゅ…と水音を立てて離される唇。
互いが細い銀糸で繋がり、やがてプツリと切れたのを見て、俺は漸く目の前の男に目を向ける。
「……ぇ、っと、」
「気分は?」
「え…」
「楽になった?」
男と場所を入れ替わり医師が話しかけてくるが集中出来ず、俺の目は男を追っていた。
黒いスーツを身に纏った男は多分、今年25になる俺より少し上くらい。
色素の薄いちょっと長めの髪を後ろに撫でつけ、長い睫毛に縁取られた瞳は綺麗な二重なのに鋭く精悍さが滲み、男らしさを強調している。
その容姿はホストと言うには品が有りすぎて、有り触れたサラリーマンと表すには少し異色過ぎた。
「光くん、目、しっかり開けられる? 補聴器も取ってみようか」
医師に言われて初めて気付くが、既に全身のどこにも痛みや不快感は無く、あれ程自分を苦しめていた全ての五感が今正常に戻っている。
「どう?」
「全く何も……普通に戻りました」
医師はホッとした表情で軽く俺を診察すると、小さく「凄いな」と声を漏らした。
「光くんは結構症状が重い方なんだけど…こんな短時間で完全回復するだなんて、君たちはよっぽど相性が良いんだろうな」
俺は医師の後ろに居る男をチラリと見る。すると男も俺を見ていた。やはり、とんでもない美形だ。何の感情もない目で俺をジッと見ている。
「光くん、彼がこれから君のセカンドガイドになってくれる、栗原啓(くりはらけい)さん。初めの一カ月は一週間置き、次の月からは二週間置き…といった感じで段々間隔を置く様にしていくからね。これから長い付き合いになるんだ、仲良くするんだよ」
そう言って笑った医師とは反対に、男は少しも笑うこと無くただ一言だけ「よろしく」と俺に呟く。
それは“バリトン”と言う程低く掠れてはいないが、けれども妙に腰にくる甘い声だった。
そもそも昔から俺は人の話を聞かないタチだったし、どんな時も“説明書”と言った物には触らずにやって来た。
だから勘違いや間違いも多々起きるわけだが、今回もその弊害が顕著に現れた。
「え、セックスしなくて良いんですか」
二度目の治療日。目の前の美形…栗原さんが、俺がシャツを脱ごうとボタンに手を掛けた所で“待った”をかけた。
「説明、受けたんだよね」
「えぇっと…多分、」
「パンフレットは?」
「……貰った、と思います」
「読んで無いんだね」
栗原さんがハッと小さく息を吐く。呆れられている事実より、思ったよりも優しい話し方に気を取られていた。
「性交渉をするのは、婚約、または結婚しているパートナーだけだよ」
「え、何でですか? キスするより断然持続力有るんでしょ、精液って」
俺の明け透けな物言いに栗原さんは凄く微妙な顔をして、整えられた自身の髪を掻き混ぜた。
「待たせてごめんね! じゃあ、始めて良いよ」
俺の担当医が慌ただしくやって来ると、何故だかパーテーションを挟んで滞在する。
「何で先生も居んの?」
恥ずかしいんだけど、と呟く俺に、栗原さんは今度こそ大きく溜息を吐いて先生を呼んだ。
「もう一度ちゃんと説明してやって下さい」
◇
まず、センチネルはガイドが居なければ生きていけないが、ガイドはセンチネルが居なくても生きていけるって事が大前提としてある。
それだけセンチネルにとってガイドは必要不可欠な存在だが、その分、関わる毎に依存性も強くなる。
特にガイドの精液を取り込んだセンチネルは、その精液の持ち主であるガイドしか受け付けられなくなるほど依存する。“細胞が拒否する”とでも言うのか、他の人間の体液を受け付けられなくなるんだとか。
そんな体質を利用した、悪質ガイドによる洗脳的性犯罪も少なからず起きていると言う。
だから医師が必ず治療の部屋に付き添う決まりになっているのだ。
生命力そのものをカラダに受け入れるんだから、センチネルがそうなってしまうのも無理は無い気がした。
「勿論口からの摂取も駄目だよ」
「つまり…例え頻度は多くなっても、俺には唾液交換しか方法が無いってことですか」
「君たちは相性が良いみたいだから、一カ月に一度交わすだけで済みそうだけどね」
「でもこれって、死ぬまで続くんですよね?」
医師も、栗原さんも俺を見た。
「栗原さんが恋人とか結婚とかの関係で拒否したら、俺はまた別のガイドを探さないといけないんですよね?」
ガイドはセンチネルが居なくても生きていける。つまりそれは、ガイドはいつだってセンチネルを切り捨てられると言うことだ。
でも、センチネル側はそうはいかない。
一生ガイドの施しを受けて生きなければならない。それも、好きではない相手から義務的な触れ合いを求めて。
ガイドのパートナーが出来れば一番幸せだ。だけどそんな確率、無いに等しい。
誰かを好きになっても、好きでも無いガイドにキスを強請らなければならない。そしてもしも…もしもガイドに叶わぬ恋をしてしまったなら。
「センチネルって、何か哀れですね」
今まで何となく生きてきたけれど、何の為に生きているのか本格的に分からなくなった瞬間だった。
パイプ椅子に座った俺に、立ったままの栗原さんが影を落とす。目を閉じぬまま流した俺の視線はパーテーションを捉え、その先の存在に背徳感を覚え身が震えた。
重なる唇。
この全身が浄化される感覚はやっぱり嫌いでは無いが、食む様にされても、舌を絡められても、無感情な触れ合いにエクスタシーは感じ無い。虚しいだけだ。
そうして虚無感溢れる俺に“第六感”なんて厄介なモノが目覚めたのは、栗原さんから四度目の治療を受ける少し前のことだった。
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