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第2話
始めは異変だなんて思わなかった。
(ダリィよなぁ)
「え?」
「……は?」
話しかけられたと思って聞き返すが、逆に俺が聞き返される…何てことがポツポツと起き始めた。
それこそ最初は気のせいかとも思ったが、そんな事が余りに頻繁に起き始めた為、聞いてはいたが信じていなかった“アレ”をネットで調べてみた。
【センチネル 第六感】
そんな検索ワードで簡単に話は繋がった。
【ひとの寿命が分かる様になった】【死人が見える様になった】
大抵のセンチネルの悩みは有名サイトの掲示板にて晒され叩かれていたが、自身に起きている事を考えれば嘘だと簡単に撥ね付けることは出来なかった。
話しかけられ振り向いても知らん顔。
途中まではからかわれているのかと思ったが、どうもそんな感じではないと思いながら暫く経ち、こうして先輩センチネルたちの悩みを見て思い当たる。
(心ン中の声…か?)
電波の調子が悪いラジオみたいに聞こえる時も有れば、耳元で囁かれている様にハッキリと聞こえる時もある。激しい気持ちを持てあました奴なんて大声で叫んでいるくらいだ。
相手との距離は重要で、遠ければ声と同じで聞こえない。だが、隣に立つ人間、もしくは数メートル程の範囲なら声はノイズが混ざるか混ざらないかの違いだけで、殆んどが耳に入る様になった。
ネットでもセンチネルのお悩み投稿数は物凄く少なかったけれど、少ないなりに情報は収集出来た。その中で一番俺を引きつけた情報は、第六感が目覚めた切っ掛けだ。
「ガイドとの接触、及びガイドによる治療後から異変を感じ…」
その文字を見つけたのは、栗原さんから4度目の治療を受ける三日前の事だった。
栗原さんは、相変わらずの無表情で治療室に入って来た。
俺は既にパイプ椅子に座っており、栗原さんの後ろから共に入って来た担当医はすぐ隣のパーテーション裏へそっと姿を消す。
(さてと…直ぐに終わるかな)
担当医の声になっていない声がひっそりと聞こえ、俺は僅かに視線を下げる。
その視線は手入れの行き届いた革靴をとらえ、目の前に栗原さんが立ったことを教えてくれた。
見上げる様に顔を上げれば、予想通り美麗な瞳は俺を見下ろしており、直ぐに次の工程へと移ろうとしていた。
「ねぇ、栗原さんは第六感とか信じる?」
感情の無い瞳を見つめながらそう言えば、俺の顎を捕えようとしていた栗原さんの手がピクリと跳ねた。
「聞いたこと無いですか? センチネルに第六感が生まれるって話」
「……何か、あった?」
栗原さんは信じるとも、信じないとも言わずにそれだけ口にした。僅かに瞳の奥が揺れた様な気がしたが、これだけ近くに居るのに不思議と栗原さんの心の声は俺に届かない。
その代わりとでも言いたげに、先ほどから担当医の心の声が流れ込んでくる。
(どうしよう、止めた方が良いかな)
(第六感、光くんにも出ちゃったのかな)
(どうしよう、どうしような、栗原君はどうするかな)
優柔不断でうるせぇ…。けれど考えることを止めろなんて言えないし、心が読めるとも言いたくなかった。
「さぁ、どうかな。でもね、俺調べてみたんですけど、大抵のセンチネルはガイドとの接触を機に第六感を覚醒させてるんです。そのうえ、その力はガイドと会うたびに強くなっていくらしいんです」
俺がまだ話していると言うのに、栗原さんが手を伸ばす。
「だったら何? ガイドとの接触を断てる訳でもないだろうに」
クイ、と顎を取り唇を重ねようとするのを、俺は反射的に拒絶していた。パシっと弾かれた手が小気味良い音を鳴らした。
「断てるよ」
「……断てない」
「断てる」
「断てない」
「断てるッ!! このまま貴方に会わなければ良いだけだ!」
「そっ、それは駄目だよ光くん! 死んでしまうよ!」
パーテーションの裏からついに担当医が慌てて顔を出す。矢張り心の声と実際の声では張りが違うなぁと場違いな事を考えた。
「治療を受けなければ、センチネルはその苦しみから必ず心を壊してしまう。辛くて自ら命を絶ってしまう子も少なくないんだよ? 治療を止めるだなんて自殺行為だよ…何かあったの?」
その言葉に何故か栗原さんが強く手を握りしめた。けど、俺にはその理由は分からないし、知りたいとも思わなかった。
「じゃあ、そのまま第六感を…変化を受け入れろって事ですか?」
「命には…代えられないと、私は思うから……」
自信なさ気なその台詞が俺の神経を逆撫でし、心を氷の様に冷たくした。
「死んだ方が楽だったりして」
主治医も、栗原さんも、驚いた顔をして俺を見た。
「俺、もう治療は受けない。今日は来てもらって申し訳ないですけど……もう次からは結構なんで」
床に置いていた小さなショルダーバッグを手に掴むと、パイプ椅子から立ち上がり栗原さんの横を通り過ぎた……瞬間。
「ッ!?」
体が引力に飲み込まれたかと思うと、気付いた時には視界が栗原さんでいっぱいになっていた。
右腕と後頭部をがっしりと掴まれ、その手の力には加減がなく掴まれた部分が痛い。
無理矢理に合わせられた唇はいつもより強引に舌を捩じ込み俺の中へと入って来た。早急にとろりとした物を流し込む動作に、俺は必死に抵抗する。
「ん"ん"ッ! んっ! ん…やめっ!」
みちゃっ、と厭らしい音を立て漸く放した唇から飲めなかった唾液が溢れるが、拭う余裕も無く栗原さんから逃げる様に体を捩る。
だが、俺を掴んだ手は逃すまいと更に力を強め、絡み合った足が縺れてふたりで横倒しになった。
「いっ、やだ! 嫌っ! ンぅうっ!」
「く…栗原くん!」
覆い被さられて分かる体格差。背は高いと知っていたが、甘いマスクに似合いの細身だと思っていた体には明らかに俺よりも男らしい力を携えてる。
両手首を取られ、からだ全体で押さえつけられれば抵抗の余地なんて俺には残されて無かった。
オロオロと周りを彷徨く主治医も、全くもって何の役にも立たなかった。
ハァハァと荒い息をしたまま、解放されたのに動けない俺はまだ床の上に転がっている。
暴れたお陰で服は乱れ、口の周りは溢れた唾液で濡れそぼっているんだ、これじゃあまるで…そう、まるで…。
「こんなの、レイプと一緒だ」
栗原さんは反応しなかった。乱れたスーツを黙々と整え、主治医に向かって口を開く。
「来週から、二週間に一度でしたね」
「え、えぇ…そう、ですが」
「このまま週一にして下さい。この子は放っておくと危険です」
頭にカッと血が上った。
「俺は来ないからな!? もう二度と、病院には来ないッ!!」
「君が来ないなら行くまでだ」
「はっ!?」
「治療の為だ。主治医が同行すれば君の家に行くことなんて簡単なんだよ」
俺は乱れた体を跳ね起こし栗原さんに飛びかかる。
センチネルを覚醒させてひと月、俺はもうこの体質に根を上げていた。
襲い来る激痛と吐き気、細胞が腐る感覚。
それを浄化されていく感覚は嫌いでは無く、寧ろ気持ちよくさえあった。が、それが第六感を引き起こすのなら話はまた別だった。
「ざっけんじゃねぇよ! 俺は要らないって言ってんだ! アンタらに俺の気持ちが分かんのか!? どんどんヒトじゃ無くなってく怖さが分かんのかッ!!」
整えたはずの胸元のシャツを掴み上げる。そうして睨みあげても、栗原さんの表情は変わらない。
「分からない。理解出来るとも思ってない、俺はセンチネルじゃないから」
「だったら!」
「それでも、俺は止めさせない」
胸元の俺の手を意外にも優しく外すと、落とすのでは無く握り直した。
見つめ合った栗原さんの瞳は、揺れているのに強い光を放ってた。俺に伝えたいことがあるみたいに、ゆらゆらと揺れながらもそれは一直線に俺へと向かっている。
「狂わせたりさせない。絶対に」
それでも、やっぱり俺には栗原さんの心の声は聞こえて来なかった。
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