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第3話

「ちょ、調子はどう?」 「…まさか本当に来るとはね」  チャイムに呼ばれ玄関を開ければ、はははっと乾いた笑を浮かべた担当医が立っていた。その後ろには矢張り、無表情な栗原さん。  例のあの日からきっかり一週間後のことだ。 「あの、今日は診療日だから…その、」 「必要ないって言ったはずですけど」 (わぁ~やっぱり光くん怒ってるよ! だから言ったのに!)  睨みつけると担当医の心がうるさく騒ぐ。 「俺、もうバイト行かなきゃならないんで帰ってください」  何もかもが面倒臭くって、担当医を玄関先から押し出し扉を閉めようとする。だがその手首は彼の後ろから伸びて来た手に捕まった。  またこのパターンか、と腕を引っ込めようとするが上手くいかず、それは玄関の外へと引っ張り出された。 「ちょぉお!? 何すんだっ」  よ、まで言い終わる前に俺の体は壁に押し付けられる。目の前では無表情な美形が俺を見下ろしていた。 「バイトは夜だろう、出るにはまだ早いよね」 「………」 「外で滅茶苦茶に舌を突っ込まれたくなきゃ、部屋にちゃんと入れてくれ」  信じられない男だ。アレだけ無口無感情で大人しかった癖に、一週間前のあの時から何かを取り払ったみたいに強引で横暴になっている。 「何それ、脅しのつもりですか」 「つもりじゃない、脅してる。俺はこの辺りに住んでないから関係ないけど、キミは見られたら困るんじゃないの」  鼻先がくっ付くほど近くで凄む栗原さんの体の向こう側に、何事かと足を止める通行人が見えた。 「あんた相当だな」 「君ほどじゃない」  チッ、と舌打ちした俺を見て栗原さんが素早く身を引く。シワくちゃになったTシャツを乱暴に直してから、俺はもう一度玄関の扉を開いた。その後中で行われたことはまぁ…先週と同じだ。  ハァ、ハァ、ハァ…  抵抗虚しくセンチネルとしてガイドに治療を受けさせられた俺は、またもや唇を濡らしたまま床に横たわっていた。  担当医は相変わらず口でも心の中でも慌てふためいて煩い。 「アンタさ…何なの?」 「先週言った通り、治療を止めさせるつもりが無いだけだ」 「だからってこんなのっ」 「治療だ」 「はぁ!? これのどこがっ」 「治療だ」 「ッ………」  結局言い負けたのは俺。栗原さんは引きつった俺の顔から目を反らして、白々しく宙を見ている。子供かよ。 「何なの、ほんと…」  俺がぐったりした体を持ち上げ立ち上がり、水を取りに冷蔵庫へと向かうと奴らは帰り支度を始めた。 「何だよ、帰りは案外さっさと帰るんだな」  玄関先まで一応見送りに出て行くと、振り向いた栗原さんが「また来週」と言う。きっと俺が病院に行かなくたって、また同じような形で来週会うことになるのだろう。  苦々しい気持ちで追い出すようにドアを閉める瞬間、担当医が(絶対怒られるよ!)と心の中で叫んでた。  今更何を言ってんだとリビングに戻り、水を煽りながらテーブルを見る。ふと、その上に置かれた携帯に目がいった。  先程まで放置しっぱなしだったはずのそれが、画面のライトを煌々と点けていたからだ。 「あれ?」  そうしてそれを手に取って見えた【登録完了】の文字。 「あんの野郎ぉおッ!!」  俺が水を取りに行っている少しの間に、栗原さんは俺の携帯に自分の連絡先を登録していたのだ。そしてきっと、自分のものには俺の番号を。  ◇  その日は朝から不調だった。数日前には栗原さんから治療を受けたはずなのに、起き抜けから強烈な頭痛と眩暈に襲われた。何とか手持ちの頭痛薬や、センチネル専用のその場凌ぎ的な薬を飲んで持ち直したが、これでは次の治療日まで持たないかもしれない。  どうしてだろうと不安に思いながらも、ここ最近出張に出ていた店長が今日は戻ってくると聞いて、自分に喝を入れてバイトに出た。 「店長、お久しぶりですっ」 「おう、体調はどうだ?」 「はい、取り敢えずなんとか…でも今日は何か」 「勘弁してくれよな」 「……え?」 「ん? どうした?具合悪いのか?」 「………」  聞こえた言葉に耳を疑うが、目の前の店長を見ても可笑しいところは何もない。いつも通りの面倒見のいい店長だ。 「いや、あの…大丈夫です」 「そうか、なら良かった。あんまり無理はすんなよ」 「はい…」  少し前の俺だったら、単なる聞き間違いとして流していたに違いない。けど、今の俺には分かってしまう。 『勘弁してくれよ』  その言葉が、単なる聞き違えなんかではなく…そう、彼の心の言葉であることを。  それを知ってしまった俺は、見事に仕事をしくじりまくった。  品出しの位置を間違え、期限切れを引き損ねる。物は床にバラまくし、夜中の数少ないレジを打ち間違える。 「オイオイ、お前本当に大丈夫か?」 (何やってんだコイツ、ふざけんなよ) 「やっぱまだ本調子じゃ無いんじゃねぇの?」 (何がセンチネルだよ気持ち悪ぃ) 「もし辛ぇなら早めに言えよ、無理はすんな?」 (ただのポンコツじゃねぇか、使えねぇ) 「はい……有難うございます」  昔から要領の悪い俺は、罵られる事になんか慣れてるはずだった。  でも、辛くて仕方なかった。  泣きたくて仕方なかった。  だって、兄のように思ってた。  親でさえ厄介者扱いする俺を、強面だけど笑顔で受け入れてくれたんだ、店長は。なのに…まさか心の中ではあんな風に思われていたなんて…。 「店長、あの…やっぱり今日は帰らせてください」  そんな俺への返答は、口から出るよりも先に心が答えた。 『ふざけんな、役立たずのフリーター野郎』  小雨が降る真夜中を、小さな子供みたいに泣きながら帰った。  帰り道がこんなに長かったなんて知らなくて、途方もないほど遠く感じながら。  気付けば俺は、握り締めた携帯で栗原さんの番号を開いてた。  名前を見るだけで何故かもっと涙が溢れて来て、縋りたくもないのに指はあの人の声を聞こうと動く。  そうしてワンコール鳴らしてからハッとした。  何やってんだよ、俺は。  無償の愛をくれる家族でも無ければ、時間関係なしに悩みを聞いてくれる友達でもない。  あの人は、国から課せられた義務を果たしている唯のガイドだ。それ以上でも、それ以下でもない。  案の定繋がりを切った携帯は震えることなく静かなままで、俺の孤独を一層強めてくれた。  濡れ鼠になった俺は、至る所が建て付けの悪いボロアパートに雪崩込んだ。  着替える気力もなく、ただ涙を垂れ流す。  頭は痛いし耳の奥も痛い。濡れた体は寒いし心だって凍えそうだ。  だけどそれを緩和する術が俺には無かった。  ただそっと、苦しみを我慢して目を閉じる。  ああ、やっぱり俺には何も無い…  途方もない孤独感。  だがそこに、ひとつの光が飛び込む。  それはこの時より、二時間が経過した頃のことだった。

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