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第3話
風見の姿を見た瞬間、俺は慌ててドアを閉めた。
いや、閉めようとした。
「………」
「あっ!」
風見はドアの隙間に足を挟みこじ開けると、そのまま勝手に部屋の中へと入って来る。
「ちょ、おい!何勝手に入ってッッ!!」
そこまで言ったところで風見の大きな手のひらで口を塞がれた。背中をドアに打ち付け、手のひらの中に呻き声が漏れる。
「煩い。お前の兄貴が気付いたらどうする」
「うぐ…」
こんな変な時間に、それも兄の客として来た癖に、その兄を放って勝手に俺の部屋に来ておいて随分な言い草だ。とは思いつつも、兄に見つかれば何を言われるか分からない。
不満は多々あるが、兄が関わることが一番厄介だと判断した俺は一先ず全てを呑み込んだ。そんな俺の様子を見ていた風見が漸くその手を離す。
耳に届いた聞きなれた施錠音。
つい先ほどまでは安心できたその音が密室である事を主張し、今度は俺を追い詰める側に回った。
(なんで…俺が…)
カタカタと小刻みに震える体を自身で抱きしめる。
本来なら、こんな夜中に、それも防音の行き届いたアルファの寝所へオメガが訪れるなど自殺行為に等しい愚行だ。
何故なら、アルファが発するフェロモンはオメガにとって媚薬にも等しいもので、それを嗅いでしまえば例え相手が想い人でなくとも思考を溶かされ、その気にさせられてしまうからだ。
兄はそのフェロモンが非常に強く、モノにしたいと思ったオメガには容赦無くその手を使って来た。なのに何故、風見はここに来られたのだろうか。確かに兄は今夜、風見を手中に収めるつもりだったはずなのに…
そんな疑問が頭の中に浮かびながらも、俺の体はまだ風見に怯え震えていた。
何故アルファである俺がこんなにも風見に怯えなければならないのだろう。
分からない。
コンプレックスを刺激されるからなのか、それとも別の何かなのか…俺がこの風見と言う男を怖いと思うのは生徒会長の座を攫われたからだけじゃない。もう、理屈では説明出来ないことだった。
そんな俺を気にもせず、風見は興味深げに部屋の中を見回している。点けられているのがベッドヘッドに有る小さな電気一つと非常灯程度では、部屋の中など大して見えはしないだろうに。
俺は少しでもこの体の震えを止めたくて、先ほどまで眠っていたベッドへ戻り毛布を手に取った。別に寒いわけじゃない。けど、それしか方法が見つからなかったのだ。
そんな俺を振り返り、風見が口を開く。
「流石アルファ、凄い部屋に住んでるな」
「……悪趣味なだけだろ」
「言えてる」
ふっと鼻にかけて笑った風見は、何を思ったのか必死で毛布に包まろうとしている俺に近付いて来た。
「学校辞めて、なにしてる」
「は?」
「ずっとこの部屋に閉じ篭ってんのか?」
その言葉にカチンと来て、俺は毛布を風見に投げつけた。だが風見はそれをいとも容易く受け取り、そして床に落としてしまう。確かに毛布など投げたところで大した威力は無いが、それでもその余裕は俺の頭に血を登らせるのには十分な所作だった。
「俺だって! 篭もりたくて篭ってる訳じゃねぇよ!!」
何もかもが揃っている様でいて、何も無い、豪華に見えるだだっ広い部屋。誰かが訪れる訳でもなく、ただ只管静寂が広がり、気が狂うのを待つだけの部屋。
そんな所に、誰が好き好んで自ら閉じ篭ると言うのか。
「出たいのか?」
「当たり前だろう!」
「じゃあ、何で出ない」
「出られないからここに居るんだろ!?」
閉じ込められてるんだよ!とヒステリーを起こして叫び、今度は枕を投げつけた。風見はそれを受け取る事なく床に叩き落とすと、そのまま優雅に体勢を崩し口元を吊り上げた。
「出してやろうか」
言われた言葉が信じられなくて、俺は思わず時間を止めた。そんな俺を見て風見が目を細める。
「出たいんだろ? この部屋からも、この家からも」
「…………」
「俺なら、お前をここから出してやる術を持ってる。その上お前は家族を見返す事だって出来る。まさに一石二鳥ってやつだな」
「……どう言う事だよ」
そんな美味い話があるのだろうか。疑わしいと思うのに、俺の喉が期待でゴクリと鳴った。
風見は崩していた体を戻したかと思うと、何故か俺のベッドへと近づき腰を下ろし、「まぁ座れよ」と隣をポンポンと叩いた。
訳も分からず同じ様にベッドへ腰掛けると、風見は俺の顔をジッと見ながら言う。
「俺がお前の番になってやる」
「……へ……え?」
「織部はいま、【風見】の知名度と資産が欲しくて堪らないらしい。お前の両親にとっちゃ、俺がお前と番おうが兄貴と番おうが、風見と繋がる事が出来ればどっちだって良いんだよ」
「風見って…御曹司なの?」
「知らなかったのか」
「そうか、だから兄さんは…そ、そうだ、兄さんだ。兄さんは風見を欲しがってる」
「俺が“お前が良い”と言えばそれまでだ。兄貴なんかに出る幕は無い。それに、俺は始めからあの男の物になる気なんか無ぇよ」
そう言うと風見は、今度こそ本当に馬鹿にして鼻で笑った。
何を言われているのか、分かるようで…良く分からない。
俺がウロウロと視線を彷徨わせていると、それを見た風見が俺の顔に手を添え振り向かせ、強制的に目を合わせた。
風見の余った方の手は無理矢理俺の手を掴み、その形を教える様にして風見の顔へと持って行かされる。
「良いか、今お前の目の前にある“風見雅人”の存在価値をよく考えろ」
美しくも男らしく、端正に整った顔。周りにいるアルファは皆、彼を自分の番に欲しがった。あの傲慢で自分大好きな兄ですら、きっとこの男を手に入れる為ならプライドを幾つか折って見せるかもしれない。
そして両親が本当に風見との繋がりが欲しくて堪らないのだとしたら、きっと、俺は今度こそ“織部”の人間として認めて貰えるかもしれない。
そんな凄い価値を持った男を、俺が……手に、入れる?
「何か裏が有るんだろ」
俺が風見を見つめながら言えば、癖なのか風見はまたスっと目を細めた。
「まぁ、一応条件がひとつ有る」
「………なに」
嫌な予感がした。だって、風見が持ち込んだ話はあまりに美味すぎる。
誰からも必要とされない落ちこぼれのアルファが、誰も彼もがヨダレを垂らして欲しがる極上のオメガを何の苦労もなく手に入れるだなんて、そんな美味すぎる話が有るだろうか。
いや、有り得ない。有り得るはずがない。だとすれば、風見はきっととんでもない条件を付けてくるはずだ。
どんな恐ろしい条件をつけてくるのだろうかと、俺はぐっと唇噛んで風見を伺う。その視線の先で、風見が口角を高く持ち上げた。
「お前が、俺に抱かれるのが条件」
「…は……?」
耳を疑った。けど、口元は笑っていても風見のその目は真剣そのもので。
「おれっ、俺が…?」
「じゃあ俺を抱くか?」
「いや…それは……」
俺に圧倒的に足りないもの。それは、アルファとしての自信と…欲求。
周りのアルファと同じ様にプライドは有っても、不思議とオメガを組み敷きたいとも、その身を喰らい尽くしたいとも思ったことがなかった。それはアルファとしては致命的な欠陥だ。だからこそ、誰にも言う事が出来なかったのだ。
俺は思わず俯いた。そんな俺を咎めるように、俺の手を掴む風見の力が強まる。
「俺は元からアルファに抱かれてやる気なんてなかったし、これからも無い。でも、俺がオメガで有る限り発情期と番の問題が纏わり付くだろ」
「だから、俺? ……待てよ、なにも俺じゃなくても、風見を欲しがる奴なんていくらでも居るだろ?」
「プライドの高いアルファが、オメガ相手に大人しく抱かれると思うか?」
そんなこと、アルファに限って絶対に有り得ない。それはアルファの中で暮らしてきた俺が、嫌という程思い知らされてきた事だった。
「お前が織部(ここ)から出るには、オメガの力を借りて織部の名を捨てるしか無い。けど、落ちこぼれの烙印を押されたアルファを欲しがるオメガは居ない。そうだろ?」
「ッ、」
「安心しろ、ちゃんと人前ではお前を立ててやる。俺がお前をアルファとして押し上げてやるよ。その代わり、」
裏での主導権は俺が握らせてもらう。そう言って風見は俺をベッドへ押し倒した。無駄に広いそこがギシリと軋む。
この織部の家は兄が継ぐ。だとすれば俺は家を出るしかなくなるが、これ程まで劣等具合いが酷いと織部の名を名乗り生きて行くことを許して貰えない。ではどうなるか。
その結果が、今の軟禁状態に繋がるわけだ。
一生ここで存在しない者として飼い殺されるか、それとも、偽りであったとしても『極上のオメガを手に入れたアルファ』として表の世界に戻るか。例えその身をオメガに喰い尽くされる羽目になろうとも、俺は…。
腐っても鯛。
出来損ないでもアルファ。
俺の体の中には間違いなくアルファの遺伝子が泳いでる。
見た目や中身が平凡でしかなくても、性は『アルファ』を主張したのだ。それを亡きものにする事はどうしても避けたかった。
きっとそれこそが、俺に息づく遺伝子……アルファのプライドなのかもしれない。
何も言わず目を伏せて、抵抗を見せない俺を見下ろし風見が言う。
「契約成立、だな」
風見が着ていたハイネックを脱ぎ捨てる。そうして曝け出された首元で、銀色の貞操帯が光った。
勝手に番にされたりしないようオメガ自身でしか外すことの出来ない貞操帯。それに男らしく節ばった指がかかり、ゆっくりと鍵が外されて行く。
その首に、俺が噛み付けば番が成立する。そうして俺は、やっとアルファとしての生活を手に入れられることになる。
それは俺の目の前に差した一筋の光。
そう…
確かに光に見えたのだ、その時は―――――
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