7 / 9

番外編:兄 後編

◇ 「いつまでそこに居るつもりですか?」  ハッと気を取り戻した時には、既に部屋の中に群司の姿はなくなっていた。 「アイツは…」 「先に戻らせました。あなたに見られたなんて知ったら、自殺しかねないですから」  風見は笑う。だが、俺が笑える訳がないだろう。 「ふざけるなよ…お前、どういうつもりだ」 「なにがですか?」 「とぼけるなッ!」  風見の仕立てのいいスーツに掴みかかる。まるで何事も無かったかのように綺麗に戻っていたそれが、無性にカンに触った。 「アイツを脅したんだろう!? 何が目的だッ!」  地位か、名誉か、それとも金か? いきり立つ俺を風見が鼻で笑い掴みかかった手を振り払う。 「目的? そんなの一つしかない。あなた達が要らないと放っていたモノが、俺は喉から手が出るほど欲しかった。ただそれだけです」  風見は恍惚とした表情を浮かべ、天を仰いだ。 「さっきの愛らしい群司を見たでしょう? 彼は遂に俺の下まで堕ちたんですよ」 「なに…?」 「初めはアルファの性に縋って泣きましたけどね、押さえつけて挿れてやれば、直ぐに後ろで得る快楽を覚えましたよ」 「…やめろ」 「今ではもう、後ろなしではイけない躰になってしまった。嫌だと泣いて、そのくせ涎を垂らして善がるんです」 「やめろと言っているだろうッ!」  部屋の外まで漏れるほどの大声だった。 「アルファのくせに、男に、それもオメガに股を開けるなんて、アルファの恥晒しも良いところだ!」  ただでさえ出来損ないだったのに、遂にそこまで落ちぶれたか。唾でも吐き捨てるように言葉を吐き出すが、気分は少しもすっきりしない。 「お前と話すのも汚らわしい」  話はここまでだ。背を向け扉へと足を向けた俺に、風見が笑い声を上げた。 「今のあなたは、まるで嫉妬に狂った女みたいだ」 「なッ!?」  思わず足を止める。 「ねぇ、織部宗一さん。彼や俺を汚らわしいと言うなら、その下半身は一体なにに反応したんでしょうね?」  自身の躰の変化を気づかれていたことに、カッと頭に血が登った。しかし何も言い返せぬまま、乱暴に扉を開閉し外へ出る。運悪く出くわした給仕係が驚いて飛び上がった。 「退けっ!」  そいつを押し退けて進むが、その足は会場へ行かずそのまま出口へと向かう。一秒でも早く、この場所から遠ざかりたかった。  ◇ 「兄さんっ!」  無駄に長い螺旋階段を下りてエントランスへ足をつけたところで、後ろから暫く聞かなくなった声に呼び止められた。無視して進もうとするが、どうしてか躰はピタリとその場に留まる。  階段を慌てて走って降りてくる愚弟。その頬は薄紅色に色づいて、瞳は潤んでいる。 「兄さん、もう帰るんですか…? 俺、あの…少し話が、」  乱れた呼吸、シワの寄ったシャツ、額に滲んだ汗。それは、いま俺を追いかけて作られたものか? それとも…。  弟の問いかけに答えるよりも先に、手が動いていた。肌の上で珠になった汗に、俺の指が伸びる。 「ッ…?」  殴られるとでも思ったのか、群司はビクリと肩を揺らし目をギュッと強く閉じた。  あの男への態度と大きく異なるそれ。あの男には、全てを曝け出しその身の内奥深くまで入り込ませたのに、俺には、こんな少しの動きにさえ怯えるのか。  差し出した手を元に戻す。 「お前はもう織部じゃない、風見の人間だ。気安く俺を兄と呼ぶな」 「そんな、俺は…」 「織部の名を捨てた人間と、いつまでも家族ごっこをする気はない」  言った瞬間に見せた弟の悲壮感溢れる顔に、少しの胸の痛みと、それを上回る高揚感を覚えた。  あの出来損ないが、あの家の誰よりもアルファであり、織部の人間であることに固執していたのは知っている。だからこそアルファらしい俺の言葉に傷つき、見返したいと俺を意識していたことも知っている。  そうして弟の意識が自分に向くたび、仄暗い喜びを得ていた自分にも気づいてた。だが、それがどういった類のものかまでは知らなかったのだ、つい、先ほどまでは。  あの男は敏い。きっと俺よりも先に、この仄暗く醜い想いに気付いていたのだろう。あの男の指摘通り、この躰はオメガの風見にではなく…実の弟である群司の痴態に反応を見せた。  漸く知った己の欲望。だからとて今さら何を言ったところで、何をしたところで、弟との関係性が変わるわけではない。だったら。  ――永遠に俺を憎み、忘れるな  織部に認められたくて、アルファらしいアルファである俺に認められたくて、見返したくて。そんな想いから風見の手を取ったのであれば、織部から切り離そうとする俺をアイツは、酷く憎むだろう。  叫ぶように俺を呼び駆け寄ってくる弟を振り切り、待ち構えていた車に躰を投げ込む。 「出してくれ」  短く返事をした運転手は、ゆっくりと車を発進させた。  見栄の塊のような車の乗り心地は最高だが、窓越しの景色の色彩は曖昧だ。  色が、徐々に消えてゆく。  そうして会場と共に弟の姿が完全に見えなくなった頃。遂に、俺の世界は全ての色を失った。  END

ともだちにシェアしよう!