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番外編:風見雅人 前編
織部群司は、いつもそこにいた。
学園内では一番ひと気の少ない、静かな図書館の中。たくさんある机の中でも、一番奥の窓際の席。そこで、いつも落ちてゆく夕日を眺めていた。
手元には、山の様に積まれた参考書。
「ああ、彼はあれでもアルファなんですよ」
含み笑いをする少年の言う通り、背は高いとは言えず、日に焼けていない肌は白いが、それ以外に特別な何かを持っているようにはとても見えない。
国のトップを目指し、またその伴侶となることを目指す者たちが集まるこの学園には不釣り合いな、酷く凡庸な少年。
「……アルファ?」
「信じられないでしょう? だけど正真正銘、あのアルファの名家【織部】の次男坊。彼のご両親も、性別を疑って三度もバース検査をさせたって噂ですよ」
軽蔑を露わに笑った取り巻きの少年は、本来アルファに媚を売ってまわるはずのオメガだ。
「成績だってパッとしない。時にはベータに抜かれる時もあるって言うじゃないですか。彼と番になろうっていうオメガがいるなら、是非見てみたいもんですよ」
聞こえよがしに言う少年の声は、きっと彼の耳にも届いている。だが、その視線は少しも夕日から外れない。俺が図書館へと足を踏み入れたその時から、あらゆる方向から視線がこちらへと向けられているのに……彼の視線だけが別の方へと向けられている。
それが酷く癇に障った。
「織部群司だな、俺は風見雅人だ」
【風見】の名前を聞いても、彼の視線は動かない。
「お前も学園の王座を狙っているんだろう? だったら、お前の前に立ちふさがる壁は俺だ」
その言葉で、漸くゆっくりと織部群司の視線がこちらへと向く。そうしてその目が俺を捉え……、
「俺の壁は、アンタじゃない」
「な……」
「アンタに構っている暇はないんだ」
「あ…おいっ!」
「風見様!」
去っていく織部群司を追いかけそうになった俺を、取り巻きの少年が引きとめる。
「あなたが彼に目をかけてやる必要なんてないですよ!」
違う。
「あんな、失礼な目つきで風見様を見て!」
違う、
「見ていなかった」
「え…?」
確かに視線はこちらへと向いた。俺と、目が合ったはずだったのだ。だけどその瞳はまるで夜の海の様に底知れない暗さで澱み、もっと別の何かを見ていた。
「アイツは、俺の事など少しも見ていなかった」
俺を見ようともしないアイツに手が震える。
俺がオメガだからか? アルファじゃないからなのか? だったら、どうしたらお前は俺を見る? お前は一体、何を見ている?
「またアンタか」
「学年首位、逃したな」
「……逃したどころか、ギリギリ10番以内に滑り込んだところだ。首位おめでとう。これで満足か?」
「待てよ!」
「何なんだよ、しつこいな」
俺を見る瞳。だがそこに、生気はない。
「俺がオメガだからか?」
「……なに?」
「俺がアルファだったら、お前は俺をライバルとして見るのか?」
織部群司が笑う。
「アンタにライバルなんていないだろう? でも、確かに…アンタがアルファだったなら、俺にも少しはマシな道が残されたかもしれないな」
「それはどういう意味だ」
「アンタには関係ないことだ、俺の……織部の話だ」
そのまま、簡単に俺に背を向け去っていく。呆気なく取り残された俺は、ただ手を握り締めるしかなかった。
「関係ないなんて、二度と言わせない。絶対に、学園の王を手に入れてみせるッ」
そうして風見雅人を王とした学園から、織部群司は音もなく消えてしまった。
◇
テラスに出た群司が、ぼうっと夕日を眺めている。
「群司」
声をかければ、その視線はすぐに夕日から俺へと向けられた。
結婚して、二年。その目は、ちゃんと俺を見ているのだろうか?
「群司」
ただ名前を呼ぶだけの俺に、群司がふっと笑う。
「どうしたんだ、雅人。何かあった?」
出逢った頃よりも、随分と柔らかな口調になった群司に胸がギュッと掴まれる。
「最近、よくここで夕日を見ているな」
「……ああ、そうかも」
「何を考えている? ただ夕日を見ているだけではないんだろう」
学生のころからそうだった。群司はいつも、落ち行く夕日を眺めながら何かを考えこんでいた。それを、ずっと俺は見ていたのだ。
「学園での図書館のこと、覚えているか」
「図書館……? ああ、雅人がよく絡んできたやつか」
「お前はちっとも相手にしなかったけどな」
俺の言葉に群司が苦笑する。あの頃の群司の目には、あの忌々しい兄、宗一の背中しか見えていなかったのだろう。
「どうやったら兄さんのようにアルファらしくなれるのか……織部の者として認められるのか、そればかり考えていた」
「俺のことなど眼中に無かったな。俺の家柄すら知らなかった」
「本当に、織部にしか俺の生きる道がないと思ってたんだ」
「今は?」
「え?」
「今は、もう別の生きる道が見えているのか? それとも……」
「雅人」
群司が、困ったように眉を下げる。その頬に手を当て、親指で優しく撫でた。
「群司、聞いてほしいことがある。今までずっと、話せていなかったことだ」
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