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【必狂パラレルワールド】②

 ──朝飯は普通に、いやかなり、美味かった。  どれも葉璃が作ったとは思えねぇ完成度だった。  正直一口目を食うまでは、見た目完璧でも味が独創的ってパターンなんだろうと思ってた。それくらい、葉璃は料理の才能だけは皆無だからだ。  だが、俺の予想は大ハズレ。  色味を考えたり、ひと工夫してあったり、隠し味を入れてたり、まさにそれを得意とする人間が言いそうなことを、あの葉璃が当然のように口にした事が信じられなかった。  四人掛けのダイニングなのにわざわざ隣同士に座って食べるのも、葉璃の咀嚼が小動物みたいで可愛いのも、「美味しいですか?」と首を傾げて俺を見上げてきた魅惑の瞳も、疑う余地なく葉璃で間違いない。  けど何かが違う。違うんだ。  俺の記憶違いといい、何なんだ、この凄まじい違和感は。 「よし、お皿洗い完了ー! 聖南さんのお家の食洗機は使い勝手がよくていいですよね。ていうか買ってもらった電化製品ぜーんぶハイテクすぎて、俺やることないですよ」 「…………」  これだ。  毎日家事をやってるかのような台詞、俺が手を出す前にテキパキと何でもこなす葉璃を見ていると、顔も声も同じなのに別人に見えてくる。  ハハッと茶目っ気たっぷりに微笑むその表情も、葉璃なのに。 「じゃあ俺、お風呂掃除してきますね。あっ! その間にお洗濯もしちゃおーっと! 聖南さん、洗濯するものがあったら出しておいてくださいね! ふふっ、いっつも書斎に脱ぎ散らかしてるんですからー」 「えっ? 俺が!?」 「ほらほら、絶対ありますから! 書斎見てきてくださいっ」 「え、ちょっ、葉璃っ? えぇぇ〜っ?」  無理やり立ち上がらされ、わけが分からないまま背中を押された俺は素っ頓狂な声を上げるしか無かった。  俺がいつ服を脱ぎ散らかしたよ!? そんなのセックスする時ぐらいだぞ!?  てか、一つの事に一点集中したいタイプの葉璃が、風呂掃除と洗濯を同時にやるって?  おかしいぞ、絶対。  マジでいったいどういう事なんだ。  何しろ、いつもの葉璃はこんなにテキパキ動かない。どちらかというと俺の方がせかせか動いてて、葉璃はまったりのんびりしてるんだ。  L字型ソファの角に座って、ふわふわクッションを抱いてぼんやりとテレビを観てるのが、俺の知ってる葉璃なんだよ。  ひとり暮らしが長かった俺と、実家から出た事の無い葉璃じゃ色んな差があって当然だ。  俺は、葉璃に家事を頼みたくて同棲したかったわけじゃない。葉璃は「何も手伝えない」と申し訳なさそうだが、マジで俺はそんな事をしてほしいとは微塵も思ってない。  天性のリズム感を持った葉璃は、ダンスに関しては文句の付けようがないし、デビューして約三年、ボイトレを始めてからはめきめき歌も上達してる。  そうやって人には得手不得手があるものなんだから、葉璃が家事を苦手としたって何もおかしな事じゃない。むしろ、への字眉の葉璃が利き手とは反対の左手で包丁持って困ってる姿を見ると、安心する。  愛おしくてたまんなくなる。  葉璃は何にもしなくていいよって、甘やかしたくなる。  毎日どれだけ葉璃を凝視してると思ってんだ。この俺が、こんな分かりやすい違和感に気付かないはずないだろ。  夢でも見てんだ、きっと。  そう確信して、俺は見慣れた書斎の扉を開けた。  チャキチャキした葉璃から脱ぎ散らかした洗濯物を持ってくるよう、言われたし。 「フッ……俺が脱ぎ散らかすわけねぇじゃん。どっちかっつーと綺麗好きな方……っ」  半笑いで書斎に入った俺は、驚きの光景を前に足を止めてギョッとした。 「なんだこれ……!」  ……散らかってる。  服もそうだけど、床のあちこちに本や紙が散乱していて、仕事道具でもあるパソコン周りなんか目も当てられないほどだった。 「これは……俺の仕事部屋か……? ホントに俺の……?」  呟いても答えなんか出ない。  どうやったらこんな汚部屋になるんだ。俺にはまず、ここまでの散らかし方が分かんねぇよ。  葉璃の様子が違うと思ったら、今度は俺の書斎まで違う。  何から手を付けたらいいか分からないほど汚れた部屋に立ち入ると、スリッパ越しに正体不明のグニャッとしたものを踏んだ。 「うッ……!? ……ゆ、夢だ。絶対夢だ。そうとしか考えられねぇ」  一気にテンションが下がった俺は、自分に言い聞かせた。  テキパキした葉璃はまだ、新鮮味があって何より可愛いから〝いい夢じゃん〟で堪能出来たかもしれない。  だがこの夢の世界だと、俺はめちゃめちゃズボラらしい。  そんなの許せない。てか……これが夢の中の自分だと分かってても、なんかすげぇ恥ずかしい。 「聖南さーん、早く早く〜! 洗濯機回しちゃいますよー!」 「あ、あぁ、今行く!」  ……って、言ったはいいものの。  何を持って行ったらいいんだ。  靴下とかシャツとかはまだしも、使用済みらしきパンツまであるじゃん。  いや無理。触れねぇ。  俺が履いてたとしても触れるか、あんなの! 「いやぁ、葉璃ちゃんお待たせー。あんま無かったよ、今日は」  それらしく言いながら、触れるのに一番抵抗が少なかったカッターシャツを二枚、葉璃に手渡した。  ドイツ製の洗濯機の前で、両手を腰にあてた葉璃が疑いの目を向けてくる。 「えー? ホントですか? パンツと靴下の数が足りないと思うんだけどなぁ。書斎の海に眠ってません?」 「……書斎の海?」 「いい加減、あの部屋お片付けしましょうよ。俺も手伝いますからー」 「ご、ごめん……」  書斎を海にしたのは俺じゃねぇけどな!  でも、葉璃がなんだか困ってそうだから謝るしかなかった。……この世界の俺の設定、クソじゃん。 「……葉璃、それ使い方分かんの?」 「洗濯機ですか? そりゃ分かりますよ。聖南さんより詳しいですよ、俺」 「へぇ……」  ピッ、ピッ、とドイツ製の洗濯機を使いこなす葉璃の横顔を見ていると、やっぱりどこか他人のように感じて複雑な気持ちになる。  使い方が分かんねぇからって、洗濯一つのために熱心にメモを取りながら俺の説明を聞いてた葉璃が懐かしい。  ふわふわになった洗濯物を大事そうに抱えて、「初めて洗濯が成功した」とそれはもう可愛くニコニコしてた葉璃が、途端に恋しくなった。  目の前に居るのも葉璃に違いないんだけど、いつもみたいに気安く抱き締められない。  それどころか、今日は一回もキスしてないし。  普段の俺なら、起きた直後から葉璃にベタベタ甘えて、並んで歯磨きして、何ならシャワーも一緒に浴びて、今頃……。 「……なんか聖南さん、今日違う人みたいですね」 「えっ?」  朝イチのセックスがまたいいんだよなぁ……と耽ってたところに、葉璃からトレーナーの袖を引っ張られた。  たったそれだけの事に、ドキッとする。 「ち、違う?」 「はい。だって……触ってくれないし」 「…………っ!」  俯いた葉璃の見慣れたつむじがしおらしさを表していて、俺は驚いた。  これは葉璃っぽい。あ、いや……この葉璃も葉璃なんだから〝葉璃っぽい〟が適切だとは思わねぇけど。  あと、こっちのズボラな俺め……。片付けもしないで葉璃を困らせてるくせに、やることはやってんのか。 「あの、お風呂なんですけど、綺麗に洗って今……お湯張ってます。一緒にどうですか」 「い、い、一緒に……っ!? あ、いや、俺は後から入るよ。葉璃ちゃんゆっくり浸かっといで」 「……一人で?」 「そうそう、一人で」  葉璃だけど葉璃じゃねぇ子と、風呂になんか入れるか! ……言ってて自分でもワケが分かんなくなるな。  俺の知ってる葉璃からのお誘いなら、喜んでお供するんだけど。  こっちの葉璃は、ズボラな俺を好きって事だろ?  俺は綺麗好きな方の聖南だし、無理だ。  触るのもキスするのも、こんなに躊躇してんだから。  やんわり断ると、傷付いた表情で葉璃がパッと顔を上げた。断り方がわざとらしかったのかと焦った俺に、葉璃は思わぬ台詞を吐く。 「……いつもは聖南さんが俺を連れ込むのに。やっぱり今日はおかしいです。ご飯食べてる時から、様子違いましたもんね」 「バレてたのか!」 「…………」  そう思ってたの、俺だけじゃなかったんだ!  とてつもない違和感を覚えてた俺と同じく、葉璃も〝何かヘン〟だと思いながら接してたとは、なんだろう……ホッとした。 「誰なんですか? 聖南さんの顔だし、声も同じだし、身長も変わらないですけど、別人みたいです。あなたは誰……?」 「誰って、俺は聖南だ! 聖南だけど……っ! てか俺のこと別人に見えてるって言うけど、葉璃もそうじゃん! 俺の知ってる葉璃じゃねぇよ!」 「……え? 俺……?」  訝しむこっちの葉璃の瞳も最終兵器に違いなく、上目遣いで見上げられた俺はたじろいで一歩引いた。  俺から存在そのものを否定されたような気になったのか、葉璃の瞳がふっと揺らいだ。  傷付けたいわけじゃねぇが、他にどう言えばいいんだ。  違うけど、違わない。でも違う。……難しいっつーの。 「あぁ、いや、ごめん。悪く言うつもりは無えんだけど、マジで違うんだよ。葉璃が言ってた俺の違和感と、俺が葉璃に感じてる違和感は同じだと思う。……夢なんだ、きっとこれは」 「夢……? 何言ってるんですか?」 「ちょっ、おい……! やめっ……!」  諭してみた俺の気遣いが、突然のボディータッチで台無しになった。  なんとこっちの葉璃は、俺が「夢だ」とごねると大胆にも股間をサラッと触りやがったんだ。  俺の知ってる葉璃と、目の前に居る葉璃はどうやら中身が逆らしい。  あっちの葉璃なら、俺が否定するような事を言ったら顔をクシャッと歪めて「もういいです」とか言って家を飛び出そうとするだろ。  だがこっちの葉璃は、股間を触られてたじろぐ俺を見て、薄く笑ってる。  いやいや、ここは不敵に可愛く笑うとこじゃねぇよ。  不意に葉璃に触られて、俺はめちゃめちゃ動揺した。 「な、なんで触っ……!?」 「ほら、簡単に触れるじゃないですか。夢だとしても、こんなにリアルな夢あります? あなたは聖南さんに見えるけど、聖南さんじゃないって言う。俺の事も、違うって言う。意味が分かりません。じゃあ俺の聖南さんはどこに行ったんですか? あなたの葉璃は、どこですか?」 「えぇ……? そんなこと言われても……」 「試してみたらいいじゃないですか。俺がほんとに〝葉璃〟かどうか。……もしかして、出来ないんですか?」 「はぁっ!? 出来ないわけねぇじゃん! 葉璃は葉璃なんだろっ!? や、ヤる! ヤるに決まってる!」 「ふふっ……そうこなくっちゃ」  可愛く微笑んだ葉璃が、さっそく俺の服を脱がせ始める。小さな手のひらで、時々俺の体をいやらしく撫でながらのそれは、明らかに俺を挑発していた。  俺が葉璃の服を脱がせる前に行動に移したこの子は、どこからどう見ても〝葉璃〟。  でもやっぱ、違う。  葉璃はこんなに積極的じゃない。  何十回、何百回と体を重ねてきても、欲情した俺の目を見たら瞬時にほっぺたを真っ赤にして、初々しい反応で俺を誘うんだ。  ただ、誘い受けの葉璃も可愛いと思ってしまった事だけは、夢から覚めたら本人に謝りたい。  好きな人から「出来る」か「出来ないか」を問われれば、どんなに違和感を覚えてたって選択するのは前者しか無いじゃん。

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