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【必狂パラレルワールド】③
「──ほんとに……聖南さんじゃないの……」
「…………」
ベッド上で愕然と呟かれて、何とも居心地の悪い空気になった。
いや俺は聖南なんだけど。
鏡で見た俺は、いつもの俺だったんだけど。
何が違うって、葉璃なんだってば。葉璃が違うんだっての。
「謝るのもおかしな話だと思うんだけど……なんかごめん」
「謝らないでください。受け止められなくて、その……ショックなだけなんで」
ベッドの上にぺたんと座った葉璃は、顔こそ同じだがやっぱり中身がまったく違う。
肩を落としてしょんぼりしてる様を可哀想だとは思うが、どういうわけか慰めようって気にならない。
俺の中で、目の前の葉璃を完全に別人として捉えてしまっていた。
「どういう事なんでしょうか……」
「……さぁな」
葉璃も、俺がいつもの〝聖南さん〟じゃねぇと気付いてからは冷静だった。
見慣れた室内。
俺が揃えた家具やベッド。
家もまんま一緒で、俺たちの生業もどうやら同じ。
ただ中身が……二人の内面だけが、真逆。
こんなの受け止めらんなくて当然だ。
煽られたからって軽率に挑発にのった俺も、俺の知ってる葉璃じゃないってだけでアソコが勃たなかった。
ピクリともしなかった。
まずこの葉璃を抱き締めらんねぇし、キスも出来なかった事を思えば、俺のモノはちゃんと脳と意思疎通してる。
「不安じゃないんですか?」
「何が?」
「……なんか……聖南さんの話だと、まるで入れ替わってるみたいなのに。元に戻るのか、不安じゃありませんか?」
「ん〜……」
ごろんと横になった俺を、葉璃が目で追ってくる。
……不安、か。
そういえばそんな風には思ってなかったな。
夢だって決め付けてるし。てか絶対そうだろうし。
どうせ起きたら、変わらない朝がきてる。
俺のよく知る葉璃が、歯磨きしながら「おはようございます、聖南さん」と言って笑いかけてくれる。
何事もなく、俺と葉璃には貴重なフリーの一日が始まるんだ。
ただ目前の葉璃は、そう楽観的になれないらしい。困り顔で俺を凝視してくる辺り、だらしない方の聖南の事がよっぽど好きなんだろう。
「不安か?」
あまりにも可哀想なんで、思わず手を差し伸べた。
おずおずと他人行儀に握り返してくる葉璃の手が、心情を表してるかのように冷たい。
「……はい。聖南さんは夢だって言いますけど、どうしても俺には……」
「リアルだよな」
「……はい」
色味もくっきり鮮明で、到底夢の中で触れたとは思えないほど、触れた手の感触はおろか体温まで感じるんだからな。
そりゃ不安か。
〝聖南さん〟が戻ってくるのかどうか。
〝葉璃〟のそばに帰れるのかどうか。
「ま、こんなの根詰めて考えてもしょうがねぇ。寝て起きてみて変わんなかったら、その時また考えよ」
「寝るんですか?」
「あぁ、寝るよ。今日俺フリーだし。……葉璃を前にして勃たなかったから現実逃避してぇの」
「……ふふっ」
申し訳ねぇのと情けねぇのとで、苦笑しか浮かべられない。
可愛い葉璃。あっちもこっちも、俺を魅了する瞳は変わらない。
でも出来れば、一刻も早く戻りたい。
ぎこちないが、やっと笑顔を見せてくれたこの葉璃も、多分そう思ってるはず。
「……なぁ、葉璃」
「はい?」
「寝て起きて変わんなかったら、またメシ食わせてよ」
「あなたが知ってる葉璃は、料理が出来ないんですか?」
「そう。左手で包丁持って、ぶった切る勢いでそれ振り下ろすんだよ。危ねえから料理禁止命令出してる」
「あはは……っ、そうなんですね」
「この子にも出来ねぇ事があるんだなって安心するけどな。葉璃のポテンシャルで家事まで出来たら、完璧すぎて逆に怖えよ」
「ふふっ……」
この葉璃は家事が完璧だから、自分がそうじゃない想像なんか出来ないに違いない。
対して俺も〝聖南さん〟とは真逆だ。
俺の隣りで遠慮がちに寝そべった葉璃に、興味本位で聞いてみた。
「こっちの俺は随分だらしねぇみたいだな?」
「そうですね……。脱いだら脱ぎっぱなし、食べたら食べっぱなし。朝も自分で起きられないし、しつこく言わなきゃお風呂に入りません」
「ぶはっ……! 超ダメ男じゃん」
「ほんとに手がかかる……困った人です。でも……俺のことすごく大事にしてくれます。俺が不安がるから、毎日言葉で愛情表現してくれて、家の中だとベタベタ甘えてきます。それが嬉しくて……」
「そうなんだ」
あの書斎を見れば、こっちの俺のダメっぷりは簡単に想像出来た。とは言っても、この照れくさそうな表情が〝聖南さん〟への好意を物語っている。
少々ダメなところがあっても、それさえ愛おしいと思う……そんなやわらかな気持ちが溢れ出ていた。
俺も葉璃も、願いは同じ。
違和感を覚えて「好き」と言い合えないのは、喉に何かが引っかかってるような息苦しさを覚えるもんな。
「夢オチに賭けて、寝てみるか」
「そうですね」
「……じゃ、おやすみ」
「……おやすみなさい、聖南さん」
葉璃が隣りに居て腕枕をしないのは、違和感でしかなかった。
いつもなら葉璃を後ろから羽交い締めにしてないと眠れないのに、あろう事か背中を向けて寝た俺は明瞭そのもの。
デジタル時計が〝11:38〟と示しているのを最後に、俺の意識は遠のいた。
■ ■ ■
「……ん」
覚醒したのが、自分で分かった。
ついさっきまでの記憶はバッチリある。
腕に懐かしい重みを感じ、恐る恐る薄目を開けてみた。
「葉璃……か?」
少し体をずらして、こちらを向いてる葉璃の顔を覗き見る。……が、見た目は同じだったんだから寝顔だけじゃ判断がつかない。
夢オチであってほしい。
そう思うといても立ってもいられなかった。
「葉璃、葉璃ちゃん。起きて」
「……ん、……」
寝てる葉璃を起こすなんて無体は、普段じゃ考えられない事だ。
華奢な肩を揺さぶって、無理やり目を開けさせる。するとすぐには焦点の合わない魅惑の瞳が、じわりと俺を捕らえた。
「聖南、さん……?」
「葉璃……?」
名前を呼ばれた。
声とイントネーションはよく知る葉璃のものに聞こえたが……この葉璃は……どっちだ?
どちらからともなく数秒見つめ合った後、訝る俺を前に葉璃がパチッと目を見開いて叫んだ。
「聖南さんっ?」
「葉璃かっ!?」
「せっ、聖南さんですか!?」
「葉璃なのか!?」
葉璃だ……!! 俺の葉璃だ!!
嬉しさのあまり、思わず葉璃の体をギュッと抱き締めた。
お互いを探り合う不可解で奇妙なやり取りだったが、ちょっとした表情や声色で葉璃だと認識した俺の心が安堵に包まれる。
「はぁ……良かったぁ……! やっぱ夢オチだったか!」
「俺も良かったぁ……! 聖南さんが戻ってきてくれて!」
「ん……? 葉璃、いま「俺が戻ってきてくれて良かった」って言った……?」
「言いましたよ! もう……っ、大変だったんですから!」
「…………っ?」
何気ない葉璃の言い回しが気になった。
俺が見た夢を、いかにも葉璃が知っているかのような〝違和感〟。
その理由を聞いた俺は、ただただ唖然となった。
「──マジかよ。そんな事あんの……?」
なんと葉璃も、俺と同じ経験をしてたんだ。
例のだらしない方の聖南がここに居たらしい。ただ葉璃は、すぐに俺の様子がおかしいと気付いて混乱していたという。
ちなみに葉璃が違和感を覚えたのは、俺がボサボサ頭をボリボリかきながら「葉璃ちゃん、朝メシまだ?」と言ってきたからだって。
……俺はそんなセリフ、口が裂けても言わない。
「俺が聞きたいですよ! どこに行ってたんですか、聖南さん!」
「いや実は俺も……」
どこに行ってたも何も、まったく同じ体験をしたって事を葉璃に語って聞かせた。
話してくうちに、徐々に上体を起こして唖然とした葉璃は「信じられない……」と二回呟いた。
だよな。……俺も信じらんねぇよ。
こんな話、実際に体験した俺たちじゃなきゃ笑って済まされる。
それくらい現実離れした空想話だ。
「──えぇ!? そんな事があるんですか!?」
「ある、らしいな」
「そんな……」
「こういうのどっかで……。なんだっけ……? そう、パラレルワールドってやつだ!」
「……パラレルワールド……」
次元が同じの、現実と並行してる世界。
難しい話はよく分かんねぇが、そういう世界の存在の可能性はあるって何かで読んだ。……情報番組だっけか。
夢オチなんてとんでもなく、俺と葉璃は数時間その不思議な世界に触れたって事だ。
正確には、あっちの聖南と俺が入れ替わったって……そういう事、だよな?
にわかには信じられない話だけど、実際に経験してしまった俺と葉璃はしばし無言で空想に耽った。
信じざるを得ない現状が腑に落ちた俺は、呆然としてる葉璃の腕を取る。
目が覚めた時から気になってた事を尋問するためだ。
「……ところで葉璃ちゃん。なんで裸なのかな?」
「えっ? あっ、こ、これは……っ」
「もしかしてあっちの俺とヤった?」
「いやっ、あのっ……あのっ……」
かろうじてパンツは履いてるが、裸で寝てたなんて何かがあったとしか思えねぇだろ。
そしてこの狼狽えっぷり。
マジかよ。ウソだろ? 俺は俺でも、違う俺なんだぞ?
頼むからそんなに狼狽えるなよ……。
「やっちゃいました、ごめんなさい」なんて言われたら、俺怒り狂ってナニするか分かんねぇよ……?
ガキくさい俺は、葉璃をビビらせてしまうと分かってて険しい表情を無意識に作る。
「で、出来なかったんです、……」
とうとう気まずそうに俯いてしまった葉璃は、弁解のように「してないです」と重ねた。
「……マジ?」
「俺も、向こうの聖南さんも、なんか違うねって話になって……」
「でも裸になってるって事は脱がされたんだろ? 葉璃が自分で脱いだっての?」
「ち、ちち違うんです! 着てたパーカーがあっちの聖南さんの鼻血で汚れちゃって……!」
「鼻血〜?」
そんなの、パラレルワールドより信じられない話だ。
俺も常々、葉璃を見てたら鼻の奥がソワソワして鼻血の確認をするが、実際に出た事なんか無え。
裸になってる言い訳にしちゃお粗末すぎねぇか……?
疑いの目を向けると、俺に信じてほしい葉璃も躍起になる。
「いつも興奮すると鼻血出ちゃうそうなんですっ。エッチする前とか、気持ちが昂ると……ドバって。すごく謝られました」
「………だからって裸で寝るかな。相手は俺だけど俺じゃねぇんだぞ。別人と言っていい男に裸見せんのはアウトだ」
「そんな……っ! ほら、よく見てください! 全裸ってわけじゃないですよっ? パンツ履いてます!」
「いや知ってるけど余裕でアウト」
「えぇ……っ」
無理無理。焦って早口になってんのは可愛いけど、それで許してもらおうってのは甘いぜ、葉璃ちゃん。
〝俺〟以外の男と裸で添い寝とか、許せるわけねぇじゃん。
でもまぁ、……。
「ヤろうとしたって点では俺も人の事は言えねぇけどな」
「え……聖南さんも、あっちの俺と……?」
「あぁ。でも出来なかったんだ。葉璃だけど葉璃じゃねぇから。ココ、少しも反応しなかった」
「あの、じゃあ……キスは……しました?」
「いいや、してない。……ん、っ? もしかして葉璃、あっちの俺とキスしたのか?」
「…………っ!」
「おい!」
「…………っっ!!」
はぁ〜〜っ!?!? キスしただぁ!?
添い寝よりダメじゃん!!
なんでそれで許されると思ったんだ!
俺の知ってる葉璃に会えて温まった心が、氷水でビッショリ濡れて冷えきった。
俺は器が激狭なんだぜ。
それは誰よりも知ってるよな、葉璃。
「完全アウト。葉璃ちゃん、お仕置き決定」
「そんなぁぁっ! 聖南さんが聖南さんじゃないって気付く前だったからしょうがな……っ」
「葉璃。浮気したな?」
「浮気じゃないもんー!!」
「誰が何と言おうと、それは浮気だ」
「えぇん!」
俺の腕から逃げ出そうとした葉璃を捕まえて、力ずくで押し倒す。
自分に嫉妬するみたいでよく分かんねぇ事態だが、葉璃が〝俺〟じゃない男とキスしたって事実は確かだ。
なかなか出来ない体験したな、なんて笑い合ってる場合じゃない。コックリングで射精管理しよう。泣いても許さない。
だってな、これは由々しき問題だ。
パラレルワールド……いやもう一人の俺、マジでクソ食らえ。
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