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第4話 between the sheets

「じゃあこれで飲み会は締めます。二次会組は駅前のいつものカラオケ予約してあるから行くよー」   総務課長が声を掛けながら会計に立った。 わらわらと鞄を探す人、スマホを確認する人、トイレに立つ人で混雑していたが、しばらくすると人の流れが整い始めた。 でも店の一角で動きのない塊があった。 壁際ですっかり脱力した天羽が気持ちよさそうに目をつむっている。隣にいる人事の嘱託社員が熊谷の姿を探して店内を見回していた。 「いたいた、熊谷くーん、お一人様脱落してる」 「あー、はいはい。天羽さんですね。途中までは大丈夫そうだったのに、寝ちゃったか。じゃあ俺がお預かりしまーす」 「悪いね。いつも頼んじゃって」 そう言いつつも悪びれる様子は全くない。もちろん、熊谷もいやいや引き受けているわけではない。だらだら飲み続けるのも嫌いではないけれど、オールでホテルに泊まるのも面倒なので、酔っ払い送り届け担当の一人として立候補しているだけだった。 「天羽さん、T駅だから」 「個人情報だだもれっすね。T駅なら近いから楽です」 「遠かったら頼まないよ。後で送迎料せしめなよ。俺は時々社長とタクシー相乗りして送り届けるけど、玄関先で奥さんがビールくれるんだよね」 「あはは、酔っ払いにさらにビールっていいっすね。でも天羽さん、独身ですよね? 流石に酔っ払った本人からビールせしめるのは......」 「ははっ、じゃあ今度また別で飲みに行こう。私がおごるから」 「まじすか、棚ぼた! ありがとうございます。じゃあ、連れて行きますんで、みなさんカラオケ楽しんでください」 「おう、おやすみ、またね」   小さな会社だけあって付き合いは密だけれど、気楽な部分もあるのがありがたい。 T駅なら送り届けた後でカラオケに合流できるのだが、こういう時はいつもそのまま帰るようにしている。電車に乗ったりして宴会のテンションが抜けると、また戻すのが大変だ。   ビールの後に、社長や部長に付き合って日本酒まで飲んだらしい天羽はすっかりふにゃふにゃになっていた。 今日はかなり楽しそうだった。もしかしたら、女性に緊張したり、酔っ払ってキスしてくる方が本来の天羽なのかもしれない。 俯いた頭を撫でると、子犬のように掌に頭を擦りつけてくる。さっきキスした時のように、引きずりこまれる感じはもうなかった。   「あーあ、しょうがねーなぁ、天羽さん帰るよー」   熊谷の声に、うーんと唸るような返事があった。促してみると、一応立てるようだ。忘れ物がないか確認して、天羽の鞄を手に出口に向かう。歩いてはいるものの足元がおぼつかない。 熊谷が腕を掴むと、ぐっと体重をかけてきた。   「おおっ、重いって!」   割と本気で困った声を出すと、綺麗に整えられた黒髪が胸元にこてんと倒れてきた。肩が揺れている、笑いをかみ殺しているみたいだ。   「くくく……ふ、あははははー、ごめんなさーい」 「笑い上戸ですか。ほらー、歩いてください。足を交互に出すんですよ」   酔っ払いにはなれている。ぐだぐだになっている天羽にを宥めすかして歩かせるのなんて、お手のものだ。 店の外に出ると、まだ数人が立ち話をしていた。挨拶を交わし、二人駅へと向かった。 ++++ 急行で数駅先のT駅に着いて改札を抜けても、熊谷はまだ半分眠った状態だった。   「天羽さん、お家どっちですか?」   一人で帰れそうなら、ここでペットボトル一本でも手渡して去るのだが、あまりの無防備な酔っ払い方に放置するのも躊躇われる。置いておいたら財布を取られたり、もしかすると本当にお持ち帰りされるかもしれない。 山下が指摘した通り天羽は見た目もいいし、仕事もできる。キスも慣れてるみたいなのに、女性社員にぐいぐい来られて緊張しているのが不思議なくらいだ。   腕をとって支えながら歩きだすけれど、いちいち脱力されて危なっかしいことこの上ない。   「えーと、ちょっと腰持ちますよ。セクハラで訴えないで下さいね」   腕を腰に回すと、多少身体が安定した。ただし、その分相手が自分に寄り掛かってきているような気もする。華奢な天羽だからいいもののこれが別の同僚なら絶対に支えられないし、そもそも腰に手を回すのも大変だ。 夜風に吹かれながらプラットホームをのろのろと歩いていると、二人の服についていた居酒屋の匂いも少しましになった。煙草の匂いの奥に、さっき嗅いだ香水の匂いがして、甘く絡んできた舌の感触が蘇る。 変な人だなぁ。いや、変なのは自分か。どうしてそのままキスし続けてしまったのか。   「ほら、天羽さん、お家まで行きますよ。南出口でいいですか?」 「そうそう、北改札ね」 「なんだ、起きてるじゃないですか。歩いて下さいよ、北出口に出て自分で帰れますか?」 「どうかな......帰れないかも」   うなだれた頭を上から見ると前髪の隙間からつるりとした鼻先だけが見えている。と思ったら、顔がぐっと上を向いた。額にかかる前髪の隙間から薄目でこちらを見据えていた。 間近でみる天羽の顔はやはり涼やかで整っていた。黒目が大きいせいか、警戒心の強い動物に見られているような気になっている。何秒くらいたったのだろう。天羽は突然目を閉じて、『違う』とでも言いたげに首を横に振り、ため息をついた。 取り敢えず北出口に向かってゆくと、天羽は寄り掛かりながらも歩いてゆく。おぼつかない足元ながら改札を抜けて階段を上がり、むしろこちらを引き摺るように進んでゆく。 もう一人で大丈夫なんじゃないのかと思いつつ、熊谷はこの状況を楽しんでいた。十五分ほど歩くと、単身用にしては少し高そうなマンションについた。オートロックを解錠し、エレベータに乗る。しんとした箱の中で、天羽は目を閉じて考え事をしているようだ。そして扉の前にたどり着いたけれど、熊谷にしがみついたまま動く気配はない。   「天羽さん、鍵は?」   いやいや結構です、とでもいうように首を振るばかりで取り出す気配はない。   「もう! 失礼しますよ」   マナー違反なのは承知で、スラックスの後ろポケットと横ポケットを順に探ると、困ったように身体をこわばらせた。固い感触のあった左の横ポケットから勝手に鍵を取り出してドアを開けたら、一人暮らしにしては広めの間取りが広がっている。   靴を脱がせ、寝室であろうと見当をつけた奥の部屋を開けると、予想通りベッドがあった。   「おお、でかい。クイーンサイズ? 人んちで見るの初めてだ」 「んー、キング」 「あー、はいはい、失礼しました」   真面目に答えてくるあたりがおかしくってくすくす笑うと、危なっかしい足取りでベッドに近づき、すとんと端に腰かけた。 ベッドが大きい分やけに華奢に見える。 玄関にも、寝室にも女性が住んでいる雰囲気はなかった。寝相がめちゃくちゃ悪いのか、過去に同棲相手がいたのか。 天羽はさっさと整えられたシーツの上に自分で横たわり、何がおかしいのか熊谷を見上げながらくすくす笑っている。子供かよ。   無駄な肉も付いておらず、いつも細身のスーツをきれいに着こなしている。歳も変わらないように見えるけれど、天羽は熊谷より五つ年上だから、今年で三十歳のはずだ。 モテるんだろうな、でも女を抱いている姿は全く想像できなかった。 普段の、あまりにもきちんとした外見のせいなのかもしれない。季節で言えば冬のような凛としたたたずまいがよく似合っている。   ベッドを見下ろすと、今の天羽は動物のように身体をもぞもぞさせておさまりのいい体勢になろうとしていた。 ああ、これはかわいい。雪の中で動き回る生き物のようだ。色白で、すらりとした手脚を丸めている様子は、子供の頃に本で見たオコジョを思い出させた。 落ち着いたポジションが見つかったのか、天羽は本格的に寝る気配を見せていた。   「ネクタイつけたまま寝るんですか? シワになるから外しますよ」というと、目を閉じたまま顎を突き出した。襟元を晒しているから、外していい、ということなのだろう。   首元からシュッと音を立ててネクタイを引き抜くと、後ろめたいことをしているような気分になってきた。 整ったものを乱す。折り目正しいもの、きれいであろうとしているものを、荒らす。理性を本能で凌駕するような、倒錯的な興奮の欠片を感じて、体温がふっと上がった。   気持ちを落ち着かせるために大きく深呼吸した。横顔にかかった髪を、起こさないように静かに避けると、口元が緩み幸せそうに微笑んだ。   シンプルで無駄なものがない寝室だった。ヘッドボードにはスマホスタンドと香水以外何も置いてない。 清潔な香りの残るシーツに居酒屋の匂いは似合わない。熊谷は少し逡巡したのち、シャツを脱がすことにした。細身の身体に合わせたシャツは、着たまま寝るにはいささか窮屈そうだった。 ボタンを外すごとに、紅色に染まった肌がダウンライトにさらされる。されるがままになっているその身体は、壮絶に艶めかしく見えた。 スラックスはどうする? 気心の知れた友達なら遠慮なく脱がせるけれど、天羽は嫌がるかもしれない。でも皺になるし、ベルトをしていると身体に痕が残りそうだ。迷いつつも、ベルトを抜き、ボタンを外してファスナーを下ろす。足元に畳んで置いてあった上掛けで腰回りを覆い、スラックスを脚から抜いた。    くったりとした手脚を投げ出している天羽は睡眠薬でものんで眠っているようにすら見えた。   まったく、襲ってくれと言っているようなものだ。薄っすらと開かれた唇の隙間に、店で感じた咥内の濡れた感触をまた思いだして身震いした。 柔らかく、溶ける寸前で形を保っているような舌。一度頭の中で言葉にすると、そのイメージが頭から離れない。 相手は、男の同僚だ。そう自分に言い聞かせたのに、唾を飲みこんだ音が耳の中に大きく響いてうろたえてしまう。なんなんだこの感覚は。 その時、天羽が小さな声を上げ、ガーゼケットを跳ねのけながら寝返りを打った。    「ケイタ......」   そう聞こえた気がした。ケイタ? 男の名前か、聞き間違いか。 下着だけで、膝を抱えるように背中を丸めている。ふと熊谷の目が天羽の脚の付け根で止まった。目を逸らさなければ、と分かっているのに思わず凝視したのは、小さなホクロとそれを囲むように弧を描く断続的な赤い線だった。   噛み痕か。 よく見ると肩にもうっすらと線が見える。治りきっていない傷のような、まだ周りの皮膚になじんでいない痕がお酒のせいで赤くなっている様だ。 仕事と恋愛の顔は別物なのか。割り切るようなタイプには見えなかったから、正直驚いた。 思わず噛まれている天羽を想像していた。相手の見せる独占欲に、髪を振り乱して眉根を寄せ、噛まれる痛みにこらえている男を。 腹の奥でむずむずと不可解な熱が高まってゆく。 熊谷もモテない訳ではない。 ただ、相手からあれこれ求められることが苦手だった。週末は必ず一緒にいたい、構ってほしい、自分だけを見て、毎日連絡して。もっと優しい人だと思ったのに。押し付けられることが多すぎて、気持ちがもたずに別れることが多かった。恋愛にのめり込むほど執着できる相手に会ったことはなかったし、どうして相手が自分を独占したがるのがも理解できなかった。  それにしても、内腿や背中に噛み痕を付けるなんて、淡泊に見えて激しいセックスが好きなご様子で。 そこまでの独占欲に縛られるのも、天羽のような人間であれば案外似あうのかもしれない。   そんな想像をしながら部屋を後にした。

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