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終章【選択・参】要黒の欒②

 闇夜に浮かぶ満月だけが一部始終を捉えていた。  岩場へと打ち上げられた躰が四つ。息も絶え絶えになり乍ら、其れでも一命は取り留めた。疲れ果てた躰の指一本すら動かす力も残ってはおらず、荒い呼吸だけが無人の岩場に響く。 「噫ほら……見てご覧よ中也、月があんなに奇麗だ」  誰よりも早く口火を切ったのは入水経験が多過ぎる太宰だった。亦しても死ねなかった事に対する無念さを微塵も見せず、只目の前に広がる光景に感嘆の声をあげる。 「……手前の体力は……一体全体何処から湧いて来るんだよ」  海から拾い上げた帽子を片手で押さえつつ、息も絶え絶えに芥川の首根を掴んで運んで来た中也は其の肢体を敦の隣に転がす。 「ッ、……太宰さん……御無事で」  芥川が凡てを云い終わる前に其の頭に中也の拳骨が落とされる。隣に転がる敦は当然拳骨を受けた後だった。  苦悶の表情を浮かべつつも頭を抑える迄の体力の回復は間に合わず、一切反応を示さない其の様子は一見して死体の様だった。 「其れ以上やったら本当に死んで仕舞うよ?」  敦は兎も角芥川は元から虚弱体質であり、砂浜なら未だしも衝撃を吸収し難い岩場の上、中也の容赦ない拳骨は命すら奪いかねない事を危惧したが、中也は続いて太宰の頬を拳で打つ。  鈍い音が反響し、太宰は反対方向へ血反吐を吐き出す。 「ッ、だざ、いさっ……!!」  芥川よりも回復の早かった敦は腕を付き上体を起こすが、次の瞬間を目の当たりにして言葉を失った。  ――ばちん  太宰が中也の頬を平手で叩き返した。其れは反射的な行動だったのかもしれない。普段の中也ならば此れで火が付き、時と場所を弁えず殴り合いの応酬になっていただろうが、一発で毒気を抜かれたのか、中也は肺の中の呼気を凡て吐き出す程長い溜息を吐いてから其の場に腰を下ろす。 「……ッたく、」  死ぬ心算が無かった訳では無い。凡てを終わらせたいと願う太宰と共に逝きたいと願ったのは紛れも無い事実だった。  二人で沈む海の中、ただ倖せだった。太宰は緩やかな笑みを浮かべ、其の表情を見て「奇麗だ」と思って仕舞う程に。  男は初めての男になりたがり、女は最期の女になりたがる。自分にもそんな女々しい感情が在ったのかと辟易せざるを得なかったが、自分が太宰の最期の人間になれた事は、中也に満足を覚えさせた。  其れが今はこうして生き永らえ、芥川や敦に対して抱いていた筈の殺意さえ、あの暗い海の底に遺してしまったかの様に途方もない虚無感に苛まれた。  太宰も中也と同じく、深い傷を深い海の底に遺し――凡てを無かった事にして――再び生きる事を【選択】した。  実際の処、救出に入った筈の敦や芥川が溺れかけ、其れを太宰と中也が救出したのが事実ではあった。

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