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 それから何ヶ月かが経ち、母はいきなり産気付いた。  予定日にはまだ少し早く、緊急搬送のまま出産となった。  白い廊下で父と椅子に座って、心細くなりながらも待っていると、「ふにゃあ…」と微かな泣き声が聞こえる。  母の他に何人かお腹の大きな女の人達が入って行ったのは知っているが、瑠維には何となく判っていた。  自分のきょうだいが生まれたのだと。  何故なら、瑠維を誘うような甘やかな香りが強くなっていたから…。  夏の終わりに月足らずで生まれた璃音は、小さくてあまり泣かない赤ん坊だった。  一ヶ月ほど新生児集中治療室(NICU)に入院して、体調が安定してから漸く両親が家に連れてきた。  璃音の髪も瞳も闇を溶かしたように真っ黒で、「荊櫻にそっくり」と、父の晶が目を細めて喜んでいる。  不思議な事に、声を出す事は少ないが、始終ご機嫌で本当に手のかからない赤ん坊だった。  保育園から帰った瑠維を目で追い、近づくと手で頬をぺちぺちしたり、髪を引っ張ったりする。  瑠維に良く懐いていて、どんな赤ちゃんよりも可愛いと思った。 「うー」  瑠維と遊ぶ時、「うー」と何度も言う璃音。 「お前を呼んでるみたいだな」  晶と荊櫻が笑った。 「パパ」や「ママ」と言う前に、「うー(るい)」と呼んでくれたのが嬉しくて、毎日話し掛けたり抱っこをした。  ミルクと違う甘い香りは両親には判らないらしく、瑠維だけに香っている。  そして、その甘い香りは、瑠維の中にある何かを刺激してやまない。  可愛い弟への思慕とは違う、なにか生々しいもののようで、瑠維は怖いと思った。 『りおんをギューッと、だっこしたい』 『りおんにチュッてしたい』 『りおんがスキ…、だいすき』  そう思うと、何だか体の中が熱いような、ゾワゾワするような、変な気持ちになって、ますます触りたくなる。  スベスベの頬っぺたに口づけるのではなく、璃音の唇に口づけたくて仕方なくて、瑠維は毎日焦れ焦れしてしまう。  璃音の体から香る甘い香りはますます瑠維を煽り立てて、まだ3歳の自分の中で渦巻く不思議な気持ちを持て余し、どうにもならなくなりはじめた。  そんな焦れ焦れした瑠維と、あまり大きくならない璃音を連れて、母が実家に立ち寄った。  それが後々の事を決定づけてしまう分岐点になるとも知らずに…。

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