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〈Ⅰ〉-4

 『(つがい)』とは、α(アルファ)Ω(オメガ)の間にのみ成立する、本能的で特別な関係である。  発情期のΩの(うなじ)にαが噛み跡を付けることで、一生涯消えることのない繋がりを成立させる。  それによりΩのフェロモンは抑制され、『番』の相手にのみ有効となるので、日常生活がずっと送りやすくなるのは利点である。  しかし、『番』の関係は決して対等なものではない。  αは、一方的に『番』の関係を破棄することが可能なのである。そして、何度でも別の相手と関係を結ぶことができる。  しかし、『番』の関係を破棄されたΩはもう二度と、他のαと『番』の関係を結ぶことは出来ないのだ。 「『番』を破棄されたΩの生涯は、苦悩に満ちたものになると聞く。そのような間違いが起こらぬよう、先に『番』となるべき相手を決定しておくのだ。そうすれば、発情を迎えた時に迅速な対応ができるからな」  (まさき)は、自分の受けた衝撃を父に悟られないようにするのが精一杯だった。  しかし、どうしても聞いておかねばならないことがあった。 「兄さんの『番』も……もう、決定しているのですか」  父は「いや……」と苦笑を浮かべた。 「正式な決定はまだだ。候補は挙げてあるが、梓がなかなか首を縦に振らんのでな。……あれの意思も尊重してやりたいとは思っているが、『発情期(ヒート)』が来たら問答無用でその中から(つが)わせる。それは梓も解っているだろう」  ◇  ◇  ◇  柾は、梓の持っている教科書をのぞき込んだ。 「何処がわからないの? この内容だったら教えてあげられるよ」 「ありがとう、柾。助かるよ。ここまでは、計算できたんだけど……」  柾がソファに腰かけると、梓はほっそりとした指でノートを指し示す。 「ああ、ここまでは合ってる。次は、この公式を……」 (兄さんの体――こんなに細くて、頼りなかった?)  すぐ隣で感じる梓の体格は、柾が思っているよりずっと華奢だった。――それは即ち、柾自身の体格の変化でもあった。  柾と梓の身長は、現在170㎝に届かないくらいだ。Ωである梓の身長は恐らくここで頭打ちだが、柾はこれからが成長期である。幼い頃から続けている剣道によって鍛えている体は、αらしい筋肉の付き方に変化しつつあるのだった。 「あ、そうか……こうだね」  柾の説明を理解した梓がノートにペンを走らせる。  そしてふと手を止め、邪魔になったのか左手で髪をすっと耳にかけた。  その時柾は、ふわりと何かが香った気がした。  清涼感のある、微かに甘い花のような香り。 (何の香り……? 兄さんは香水なんてつけないし……) 「――ッ‼︎」  その香りが何であるかの可能性に思い至った柾は、思わず口を押さえて立ち上がった。 「ま、柾? どうしたの?」  梓が、驚きと心配の入り雑じった表情で訊ねてくる。 「ごめ…ん、兄さん。後で、回答合ってるか見るから……ちょっと、部屋に戻る」  顔面蒼白で自分の部屋に辿り着いた柾は、障子を閉めるなりその場にへたり込んだ。 (あれは……あの香りは、まさか――⁉︎)

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