4 / 9
〈Ⅰ〉-4
『番 』とは、α とΩ の間にのみ成立する、本能的で特別な関係である。
発情期のΩの項 にαが噛み跡を付けることで、一生涯消えることのない繋がりを成立させる。
それによりΩのフェロモンは抑制され、『番』の相手にのみ有効となるので、日常生活がずっと送りやすくなるのは利点である。
しかし、『番』の関係は決して対等なものではない。
αは、一方的に『番』の関係を破棄することが可能なのである。そして、何度でも別の相手と関係を結ぶことができる。
しかし、『番』の関係を破棄されたΩはもう二度と、他のαと『番』の関係を結ぶことは出来ないのだ。
「『番』を破棄されたΩの生涯は、苦悩に満ちたものになると聞く。そのような間違いが起こらぬよう、先に『番』となるべき相手を決定しておくのだ。そうすれば、発情を迎えた時に迅速な対応ができるからな」
柾 は、自分の受けた衝撃を父に悟られないようにするのが精一杯だった。
しかし、どうしても聞いておかねばならないことがあった。
「兄さんの『番』も……もう、決定しているのですか」
父は「いや……」と苦笑を浮かべた。
「正式な決定はまだだ。候補は挙げてあるが、梓がなかなか首を縦に振らんのでな。……あれの意思も尊重してやりたいとは思っているが、『発情期 』が来たら問答無用でその中から番 わせる。それは梓も解っているだろう」
◇ ◇ ◇
柾は、梓の持っている教科書をのぞき込んだ。
「何処がわからないの? この内容だったら教えてあげられるよ」
「ありがとう、柾。助かるよ。ここまでは、計算できたんだけど……」
柾がソファに腰かけると、梓はほっそりとした指でノートを指し示す。
「ああ、ここまでは合ってる。次は、この公式を……」
(兄さんの体――こんなに細くて、頼りなかった?)
すぐ隣で感じる梓の体格は、柾が思っているよりずっと華奢だった。――それは即ち、柾自身の体格の変化でもあった。
柾と梓の身長は、現在170㎝に届かないくらいだ。Ωである梓の身長は恐らくここで頭打ちだが、柾はこれからが成長期である。幼い頃から続けている剣道によって鍛えている体は、αらしい筋肉の付き方に変化しつつあるのだった。
「あ、そうか……こうだね」
柾の説明を理解した梓がノートにペンを走らせる。
そしてふと手を止め、邪魔になったのか左手で髪をすっと耳にかけた。
その時柾は、ふわりと何かが香った気がした。
清涼感のある、微かに甘い花のような香り。
(何の香り……? 兄さんは香水なんてつけないし……)
「――ッ‼︎」
その香りが何であるかの可能性に思い至った柾は、思わず口を押さえて立ち上がった。
「ま、柾? どうしたの?」
梓が、驚きと心配の入り雑じった表情で訊ねてくる。
「ごめ…ん、兄さん。後で、回答合ってるか見るから……ちょっと、部屋に戻る」
顔面蒼白で自分の部屋に辿り着いた柾は、障子を閉めるなりその場にへたり込んだ。
(あれは……あの香りは、まさか――⁉︎)
ともだちにシェアしよう!