7 / 9

〈Ⅱ〉-2

「だい、じょうぶ……僕が、前を見てなかったから」  (まさき)の助けを借りずに立ち上がろうとした(あずさ)だったが、柾が梓の手を取って立ち上がらせる方が早かった。 (柾の手……いつの間に、こんなに大きくなったんだろう。それに、改めて近くに立つと、背丈の差が……)  梓の身長は166㎝で止まってしまったが、柾は既に175㎝以上はありそうだった。 「気をつけろよ。病み上がりなんだから」 「うん。ありがとう」  ちらと梓に一瞥をくれて、柾は先に食卓のある広間へと入っていく。  梓は、柾が中学校に上がった頃から、何となく距離を置かれているように感じていた。  リビングで他愛もない会話をするようなことはほぼ無くなり、壁を感じるような話し方になった。  まだ『発情期(ヒート)』を迎えていないとは言え、きっとα(アルファ)性が成長するにつれ、Ω(オメガ)性の近くにいるのは居心地のいいものではなくなるのだろう。 (αを誘惑するフェロモンは、ほんの少しずつだけど『発情期(ヒート)』前から分泌されるようだし。僕は柾にとって、自分の理性を失わせるかもしれない相手なんだから……)  先ほど自分を見下ろしていた、柾の黒々とした瞳を思い出す。  星の煌めく夜のような美しさの奥に、ひどく(くら)い光を感じてぞくりとした。 (柾は、僕の(けが)らわしい感情に気がついて距離を置いた? だからあんな、突き放すような瞳を――いや、そんなはずはない。この感情は、ずっと押し込めてきたんだ。誰にも気づかれないように――) 「梓兄さん、大丈夫? まだ顔色が優れないんじゃない?」  母屋からやって来た小学5年生の弟、(みずき)が、心配そうにのぞき込んできた。  柾の同母弟、そしてαである椋は、数年前の柾によく似ている。だが、総じて大人びていた柾よりも、年相応のやんちゃな雰囲気がある。 「大丈夫だよ、椋。さあ、朝食を食べに行こう」  梓は微笑みを浮かべて、椋を食事の広間へ促した。  ◇  ◇  ◇  鳳麟(ほうりん)学園は、中等部・高等部を有する、百年以上の歴史を持つ由緒正しき名門男子校である。  外部受験で門戸を開いている高等部とは異なり、中等部に在籍している生徒は、特権階級や名の通った家柄の子息ばかりだ。  各学年少人数の2クラス編成で、きめ細やかな学習指導、そして高等部への持ち上がりがほぼ確約されているため、志望倍率は毎年かなり高くなっている。  それを無事くぐり抜けた梓だが、クラスメイトの大部分はαで、もちろん学習内容も高度なので、ついていくのが精一杯だった。 (そのうえ、3年になってから休みがちだから……また補習だなあ……)  少し憂鬱な気持ちになりながら、梓は3年B組の教室へ足を踏み入れる。  始業チャイムまでまだ時間があるので、生徒の姿はまばらだ。  梓の席は、窓際から2列め、後ろから2番目の机。その左隣の席に座ってノートにペンを走らせていた少年が、梓を見て柔らかく微笑んだ。 「おはよう、梓」 「おはよう、淳弥」  遡れば旧華族の血を引いている高倉家の後継、高倉(たかくら)淳弥(じゅんや)。  彼は、梓が父から言い渡されている『(つがい)』の筆頭候補である――

ともだちにシェアしよう!