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第9話

 昼は食堂に行くから基本的には作らない。  その分、夕飯は豪華なものにしようと頑張っている。    今日も僕を含めた三人で食堂に向かって移動していた。  ただ食べる前に一人がトイレに立ち寄った。  よくあることなので二人でトイレの外で待っている間に僕はさらわれてしまった。  僕のそばにいた彼がどうなったのかは確認していない。    これは僕と一緒にいた相手がどうしてちゃんと見ていなかったのかと責められるパターンだ。  彼は悪くない。僕の護衛ではなく音が聞こえないことからくる不都合をサポートするために傍にいてくれたのだ。  学園の風紀が荒れていたのは知っていた。  それなのに油断をしていたような僕が悪い。    見知らぬ場所とはいえ校舎の中なのできっと誰か助けてくれるだろう。  僕を引きずってきた体格のいい生徒以外に三人がイヤな笑いでこちらを見る。  何かを言っているようだけれど生憎と聞こえない。脅し文句なら聞こえない方が精神衛生上いいだろう。    耳が聞こえないことの利点として自分の声がどれだけうるさくても気にならないところかもしれない。  調理中に調子の外れた歌をうたっていると友人に教えられたりする。  以前は自分の声が聞こえていたので歌をうたってもすぐにやめてしまった。  自分の声が聞こえないから音階がとりにくいんだろうと友人の言葉を周りはフォローしてくたけれど僕は元々あまり歌が上手くない。弟は上手かった。両親はカラオケセットを買って弟に好きに歌わせていた。毎日毎日。かわいい、うまい、格好いい、ソックリ、女の子みたい、セクシー、いろんな褒め言葉を毎日毎日。    僕もマイクを渡されたことはあるけれどそのカラオケセットで歌ったことは一度もないしカラオケボックスにも行ったことはない。鼻歌もお風呂場や部屋でしてもすぐにやめる。    僕は僕の浅ましさを誰よりも理解している。  自分自身のことだから分かる。  僕は醜く汚らしい。    図書室委員になったのは静かな空間だからだ。  僕を苛む音がない。  本を読んでいれば現実からの逃避も出来る。  図書委員長をしていた先輩は優しかったから僕をただの図書委員にしていてくれた。  もし、図書委員長になっていたら風紀委員長である榛名と対等ではなかったとしても今より近くに居られただろう。  いまさらありえない仮定。    自分の鼓膜を気にせず張り上げた大声は超音波のように僕を取り囲んだ相手を襲った。  それも一瞬のことだ。  気を取り直した彼らの一人が僕を殴りつけて首を締めてきた。  殺すつもりではなく逆らったらどうなるのかと分からせようとしているみたいだ。  口を手で覆うのではなく喉笛をわしづかみしてくるあたり彼らはこういったことをするのがお馴染みなのかもしれない。  スモモくんもこういった被害を受けそうになったのだろうか。  それなら榛名が心配するのも分かる。  好きな相手じゃなくても風紀委員長の立場だから警戒して対策を取らないといけないだろう。    シャツを脱がされながら咳き込む。  涙で滲む世界の中で思ったのは榛名の涼し気な美貌。   『俺のこと気になるの、お姫様?』    告げられた声は甘く魅力的でおとぎ話の王子様でも不思議がなかった。  でも、王子様はここにはいない。  僕がお姫様でも何でもなかったということだろう。  心が醜い僕はお姫様に相応しくないと舞台から降ろされたんだ。  そのことにも気づくのが遅れてこの有様。    何も聞こえないでいたのは良かった。  下卑た笑みと共に吐き出される言葉を聞かないで済む。  目を閉じてやり過ごせばいい。  何も聞こえないなら何もない。  見えないし聞こえない。触れられたとしても気にしないでいればいい。きっと気のせいだから。

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