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氷谷桃李1

 桃李というのはことわざ「桃李もの言わざれども下自ら蹊(けい)を成す」というところから来ているらしい。  徳のある人間は何もしなくても慕われ人が周りに集まるという迷惑極まりない意味がある。  俺に徳があるのかはともかく人が周りに集まりやすいのは確かだった。  友達に人徳で生きているなんて言われるぐらいに俺は恵まれていた。    氷谷りうの弟になる前の生活は思い出したくもない程度に悲惨だ。  りうの父親の兄と結婚した相手の連れ子が俺。  だから、氷谷の血は一滴も流れていないし、りうとの正しい関係はイトコってことになる。  りうの父親の兄が子供に暴力を振るうタイプだった、のなら話は早かった。  実際は違う。とても優しい人だった。けれど、俺のことを愛してはくれなかった。  妻の連れ子を愛せないのは仕方がないのかもしれない。  優しいのは口先だけで表面上だと気づいてから俺は自分の父親から距離を取った。  見て欲しい、褒めて欲しい、そんなことは一切思わない。  ただ探していた。もっと良い場所がきっとあると探していた。    そして見つけたのが氷谷りうの家。    優しくてお人好しレベルの氷谷家は居心地が良かった。  その頃、父親の単身赴任が多くなり俺は体調を崩しがちになった。  りうの家で預かってもらうことが増えて俺はいよいよ氷谷の人間になりたくなる。  父親は自分の妻を愛しても妻の子供には興味がない。なら、解放してくれたっていいだろう。そう思って、りうの両親に泣いて訴えた。一人はイヤだという子供の癇癪。淋しいという訴えをお人好しのりうの両親は見なかったことにはしない。  ちょうど海外に半年ほど勤務しないとならないということで父親も悩んでいた時期らしい。  慣れない土地に俺を連れていくのはかわいそうだという建前で父親は自分の弟であるりうの父親に俺を預けていった。    晴れて願い通り俺は氷谷りうの家に居座ることに決まった。  りうに刷り込みのようにお兄ちゃんお兄ちゃん言って甘える。  戸惑っていたりうもお人好しなので俺の存在を受け入れて俺を弟と思ってくれた。    半年なんて言いながら小学校はずっとりうの家にいた。  一人部屋だったりうはそれでも不満を口にしなかった。  俺はりうが自分を受け入れてくれているようで嬉しかった。    それはきっと間違いじゃない。  りうが否定しても俺は信じている。りうは俺のことを嫌いじゃない。    悪いのはりうではないし、俺でもない。    何かがおかしいと気づいた時にはすでに全部が手遅れだった。  中学に入って俺はりうと一緒の部屋にいるのが苦痛になった。  りうが嫌いになったわけじゃない。ただよく分からないままに苦しかった。  家に帰らないことが増えて友達の家を転々としながら夜遊びを繰り返す。    そのことでりうが自分の両親から責められたり家に居づらいことになっていたとは知らなかった。  りうは俺に何も言わなかった。  優しく温和な両親に俺との不仲を勘ぐられるのはりうには耐えがたいことだっただろう。  何も悪いことをしていないのに俺が勝手にりうを無視していたのだ。    そして、見てしまった決定的な光景はもうすでに取り返しがつかなくなっていることを示していた。  久しぶりに帰った家。ゆっくりする気もなくてただいまも言わずに自分の部屋兼りうの部屋の扉を開けた。  りうが居たとしても気にしない。自分の痛みを見ないふりをするために俺はりうの存在を見ないようにしていた。    けれど、さすがにノートの切れ端を食べていたら無視することなんかできないろう。

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