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氷谷桃李8
俺は煽るように自分が重蔵に惹かれているように見せたし、重蔵が俺に特別甘い顔をしているかのように話した。
それは揺さぶりをかけるなんてものじゃない。氷谷りうの心を引き裂いてやろうという悪意が根底にあったからこそできたことだ。
俺はりうが弱音を吐くのを待っていた。
榛名重蔵が好きなら聞きたくない言葉ばかりを俺は並べ立てたのだから「もうやめて」とその一言が聞きたかった。
この際、りうが俺を氷谷桃李と認識しなくてもいい。転入生のスモモでいいから自分が榛名重蔵と付き合っているという事実を語って欲しかった。重蔵が自分のモノだと主張しないりうに俺はムカついていたのだ。
知らない間に恋人なんて作っているりうにイラつき、恋人を紹介しないりうに苛立ち、恋人との仲を妨害されているにもかかわらず行動を起こさないりうにその程度の気持ちしかないなら榛名重蔵と別れてしまえと強く思った。
それは決して榛名重蔵の味方だからじゃない。
俺じゃない誰かを選ぶなら相手が誰であったとしても方法が違っても俺は妨害するために動くのだろう。
無自覚に氷谷りうを踏みにじり、そのたびに後悔しながら愛を免罪符にして同じことを繰り返す。
俺の中にはきっと氷谷りうの弟と恋に狂った男がいる。
兄の幸せを願い自分のことを後回しに出来る氷谷りうの弟。
自分の幸せと満足だけを求めてそれが得られないことに腹を立て周りを壊して回る恋に狂った男。
願ったこと全てが叶うわけもないのに俺は氷谷りうが手に入らないことを受け入れられずにいる。
上手な失恋も出来ず想いをくすぶらせている。
弟としてはストーカー事件で心に傷を負っただろう、りうをそっとしておくのが一番だと結論付けた。
だから、別々の高校に進学して大人になってほとぼりが冷めてから落ち着いて会える時間を作るつもりだった。
それができなかったのはどうしても諦めきれなかったからだ。
氷谷りうには氷谷桃李がいないといけない、そう思った。思い込んだ。自分ほどりうに似合う、りうを理解できる人間はいないと感じた。狂った考えにとりつかれて暴走していた。
何としてでも、りうのそばにいたかった。
俺はそれを自分の為ではなくりうのためだと思い込んだ。
りうも俺が傍にいることを望んでいるに決まっている。
一瞬でも都合のいい考えを思いついたらもうダメだ。
それらしい理由で転入した。自分が今まで作り上げていた人脈は有用だった。
実行に移すことに躊躇いはなかった。
氷谷りうを愛しているから氷谷桃李がすることは何でも恋する相手のためになる。
それは嘘だ。その嘘はもう通用しない。
泣きだす俺をりうの友人である放送部員が慰めてくれた。
りうのことを「周りに気を遣う奴だから、お前に分からないようにしてたんだろうな」と苦しそうな声を出す。
俺が泣いていたのは何も知らない自分への不甲斐なさや悔しさからじゃない。
気づいたからだ。すでになされた別離の宣告。りうからの声なき拒絶。
りうの言動が嘘でも本当でも演技でも心の病でも関係なく俺は氷谷りうに近寄れない。
口にした精液の味をなかったことにするために味覚障害なったのなら、音が聞こえなくなったのは俺の言葉をなかったことにするためだ。
自分が調理したものなら普通に味わえるようにきっと音も限定的に聞こえるようになるのだろう。
けれど、俺はその中に含まれない。
どれだけかわいらしくて周りに有り難がられたとしても深夜に嘔吐物として消えていったバースデーケーキと同じ。
氷谷りうの外側の存在にされている。
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