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朝比奈あずみ1
氷谷りうは美しい。
きっとこの世で一番美しい。
俺は氷谷りうに近づくべきじゃなかった。俺は綺麗なものを汚すことしか出来ない人間だ。
自分の中にあるドロドロとした醜い腐った匂いのするものを他人にどうにかしてもらおうなんて思わない。そんなこと耐えられない。
この醜さを受け入れられる人間なんか存在しない。居てもらっては困る。
俺が望んでいるのは自分の見たくない場所に触れることのない誰かだろう。
氷谷りうはその希有な人間であり俺の醜さに汚染されないだけの自己を持っている。
少なくとも俺にはそう見える。
だから分かっている。氷谷りうは俺のことを責めない。そんな考えは思い浮かばない。
朝比奈の名前と自分の容姿を考えれば学園内でどういう立場になるのかは入学前から分かっていた。
物心ついたときにはもう自分がどういう道を進むのか父親から教えられていた。
無表情でいれば冷たい、怖いと言われる髪の色と瞳の色。
エスカレーター式の学園ではなく外の私立に行く選択肢もあった。
揉め事があっても対処できる今の学園を希望したのは自分だ。
親族全員がその系列の学園に通うからという理由もある。
どんな学校に行ったところで変わらないと絶望していたからでもあった。
自分の中にあるぬぐいきれない絶望感の理由は知らない。
朝比奈の人間はどうしても屈折して粘ついた感情を蓄えてしまうと父親は言った。
これはもう一族の習性だという。
愛する人が出来たならマイナスの感情はプラスに転じるから運命の出会いを大切にするように言われた。
兄弟たちも含めて俺は父親のその意見を鼻で笑っていた。
今なら氷谷りうにとって俺との出会いが迷惑だったとしても俺の救いになったと声を大にして言いたい。
人を愛することで世界はキラキラと輝いた。
同時に手に入らない絶望に嘆く。
それでも氷谷りうと出会わなかった場合の日々を想像してゾッとする。
時間を巻き戻して何度やり直したとしても、俺の気持ちが間違いだとしても、どうしても俺は彼を愛するのだろう。
氷谷りうからすれば大したことのない当たり前の優しさがまぶしくて近寄りたくて仕方がない。
俺は分不相応にりうに恋して近づいた。
そばにいられるだけでいいと思った。
りうが風紀委員長を好きだとしても構わなかった。
思いを返してもらえるなんて期待はしていない。
愛したからといって愛されるわけがない。
そんな当たり前のこと、分かりきっていた。
そのくせ傷ついては愛されたがっている心を押し殺している。
自分の親衛隊が起こした行動を泣きながら謝るのは自己満足に他ならない。
耳が聞こえなくなっているりうに一方的な謝罪をして自分の罪悪感を払拭しようという汚い行為。
俺はどこまでも醜い。
自分のことしか考えていない浅ましさで泣いている。
高校生にもなって恥ずかしい。
それでも涙が止まらずにいた。
どれだけ望んでも手に入らないだろうという空虚感や悲しみは消えない。
愛する人の幸せを願いながらそのために動けないでいる俺は最低だ。
風紀委員長がスモモと一緒にいればいるだけ氷谷りうは食事を俺を含めたいつものメンバーと共にする。
スモモの護衛が終われば風紀委員長はりうの隣に戻り、夕食は高確率でふたりきりで摂るようになるのだろう。
恋人同士なのだから当たり前だ。
りうは相手を尊重する。自分の気持ちを表に出さずに相手の出方を見て行動をする。
恋人であるとそれがより顕著になる。
受け身だとか消極的というわけじゃない。
ごく自然に譲ることができるのだ。
尽くすことを苦痛に感じたりしない。
その姿が美しいと思った。
ある種、他人に対して理想的な姿だ。
俺には決してできない無私、無償。
人間味がない、自主性がない、そんな風にスモモがりうに言っているのを見たことがある。
りうはただ微笑むだけで反論しなかった。
スモモに自分の気持ちが理解できないと諦めていたのか、理解されることを求めていないのかは分からない。
俺はりうの精神が美しいと思った。
風紀委員長がやってきて直前で阻止して具体的に何もなかったとはいえショックを受けているりう。
そのりうを支えられず風紀委員長に任せないとならないのは胸が張り裂けそうだ。
所詮、自分は氷谷りうの恋人ではない。
今回のことを思えば友人にすらなれないかもしれない。
俺のせいで受けた被害であるのは明白だ。
これを機に俺から離れたいと思うに決まっている。
いくら、りうが優しかったとしても限度がある。
絶望だけが俺の中を満たしていく。
何もかもが終わりだと思った。
けれど、りうは俺を庇って風紀委員長から殴られた。
それは何を言いあっているか分からないからこそなのか、俺を許してくれているからなのか。
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