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第18話

※チャット表現注意 美術:生徒会長が浮気したらどうなるのか見ものだね りう:先輩、いじわるです    僕のいくつかあるバイトの一つにヌードモデルというのがある。  耳が聞こえなくても大丈夫だと微笑む先輩に甘えて夏休みもお世話になる予定だ。  ヌードモデルといってもこれからは「ヌード」は抜きになる。  今も服を着ている。休憩時間ではなくお願いして変更してもらった。  恋人がいる手前ふつうの配慮だろう。  榛名と恋人の時はまだ先輩とのことを話していなかった。  でも、あずみくんには一番に話した。それはあずみくんがどんな反応をするのか分かっていたからかもしれない。  榛名はきっと面白くなさそうな顔をしても先輩の芸術性が高い作品を思って反対したりしないだろう。   りう:僕は間違っていると思いますか? 美術:相手があの『朝比奈』だから……まあ……なんともね 美術:よかったな、とは言いにくい  チャットでの会話に僕は微笑む。  心は凪いでいる。  やっと僕は僕を取り戻した。    転入生であるスモモくんが来る前の僕。  心に劣等感をため込んだりしない僕。  周囲に不満なんかない。ゆるやかな気持ちで生きていける。  ここは痛みのない、僕を傷つけるものがない場所。  僕は頑張らなくていいし、心を押し殺す必要もない。    そう感じるのは自分のフィールドじゃないからだろう。  美術部の先輩が持つ自室とは別のアトリエ。  学園内でありながらここよりも静かな場所はないと言えるほど誰も近寄らないある種の聖域。  他の誰もいないふたりの空間で僕は先輩と文字で話をする。  音はいまだに怖かった。僕は常に弱かった。  完全な無音の中にいるわけじゃない。今も先輩の息遣いや窓の外の風の音は聞こえる。自分の声は聞こえないかもしれない。   りう:あずみくんがスモモくんと僕を別の部屋にしてくれました 美術:聞いている 美術:権力の使い方を分かっている男だよ、彼は 美術:だからこそ敵に回せなくて面倒くさい りう:まわさないでくださいよ    先輩はどこまでも芸術家肌なのでスイッチが入らないと描き始めない。  逆にスイッチが入ると僕なんか目に入らない状態でスケッチブックやキャンバスに向かう。  そこに僕が描かれることはあったりなかったり。  だから先輩にとって僕はモデルというよりは絵を描くための燃料なんだろう。  僕がいることで先輩はインスピレーションを刺激される。  楽な仕事ではあるけれどビックリするようなことも頼まれるので心構えは必要だ。    たとえばこの部屋の中で僕のプライベートはない。  僕が何を感じてどう思っているのかなど全部聞かれたら答えないといけない。  それが先輩との約束だからだ。    このアトリエの中で秘密はなし。  ただ答えたくなかったら話題をそらしてもいい。  先輩は深く追及してこない。   美術:分野が同じだから朝比奈の次男をよく知っている 美術:家柄は間違いないからこそ好き勝手するタイプだったんだよね……りうが心配だ りう:好き勝手? りう:あずみくんはいつでも僕を優先して気を遣ってくれますよ? 美術:なるほど 美術:好きな相手には尽くし系なのかい 美術:自分に好意を寄せる相手をゴミのように扱うと聞いたけど りう:あずみくんにとって自分に向けられる好意がわずらわしかったんじゃないですか? りう:だから僕のことを好きになったんだと思います    僕は榛名と別れたけれど、あずみくんと付き合っているわけではない。まだ。   りう:僕があずみくんを好きだといったらあずみくんの気持ちは変わってしまうかもしれません 美術:それはないな  先輩の断言に気に入らなくて少しムッとしていたらスマホを見せられた。  何度も着信が来ている。気が付かなかった。  どうも僕はスマホの呼び出し音や怒声や子供の甲高い声が聞こえないようになっている。  スモモくんを連想するものを切り捨てているんだろうか。自分でもよく分からない。  病院で検査をしたときは問題なく聞こえたし肉体的には問題ないとされている。   美術:朝比奈は男でも女でも生まれも育ちも関係なく自分たちの領域に引き込む 美術:ただ『朝比奈』の付属品にされる 美術:りうの意思で別れたり離れたりすることはできない 美術:朝比奈の怖さはそういうところにある    いま、僕とあずみくんの関係は保留状態だから『朝比奈』から何のリアクションもない。  正式付き合うことになったら窮屈な暮らしを強いられるらしい。    それでも僕は微笑めた。  それこそ僕が求めたものかもしれない。    愛されたい、必要とされたい、大事にされて求められたい。  他の誰でもない氷谷りうを欲しがってほしい。   美術:朝比奈、朝峰、朝霧、この御三家には近づかない方が平和に暮らせるんだけどな りう:幸せになる呪いがかけられている家だって聞きましたけど? 美術:おかしなことが多いんだよ 美術:古い家だから後ろ暗いことの一つや二つあってもいいけど 美術:どうもそういうのとも違う りう:あずみくんが怖がられてる理由は見た目じゃなくて『朝比奈』だからですか? 美術:そういうのもあるよ、当然 美術:うちの生徒たちは御三家の残した嘘か本当か分からない伝説がいっぱい知ってるから 美術:幸せになるっていうのが相対的なものなら対象以外の人間が不幸になるってことだ    あずみくんのお父さんの話。  初等部のころ学園のバスが事故って足に一生消えない怪我を負ってしまったらしい。  それだけとりあげれば不幸なことだけれどその事故で命を亡くした生徒もあずみくんのお父さんよりもひどい怪我を負った生徒も数多い。  一生消えない怪我とはいえあずみくんのお父さんは事故の悲惨さから見れば幸運だったといえる。  そして、病院であずみくんのお母さんになる相手と出会ったということからお父さんにとって事故はマイナスのイメージはない。自分の愛する人を見つけるためなら足の怪我など安いものなのだという。  こういった逸話が多いのが先輩が話題に出した『朝』とつく名字の御三家。  不可思議な力が働いているとしか思えないから畏怖され、愛され、遠巻きにされ、執着され、所有しようとする人間が出てくる。   美術:りうも知っている通り愛情のベクトルは正負どちらにもありえるものだ 美術:愛しているから相手に幸せでいてもらいたいと誰もが思ってるわけじゃない 美術:転入生の件に関してはノーコメントだけど 美術:りうが風紀委員長と離れる決断をした、それもまた愛の形だ 美術:そうだろう?    榛名重蔵は優しい。目の前で困った人間がいれば隣に僕がいても構わずに駆け出して手を差し伸べるだろう。  それに異を唱える僕が悪い。わかっている。  わがままだし、自分が優先されないことが苦しい。  僕は榛名のそばで榛名の行動をすごいとか偉いと言えない。それが悲しい。   美術:望めば風紀委員長はりうのよどんだ心を浄化できたかもしれない 美術:そのためには苦しみを味わわないといけない  僕は向き合うことを恐れていた。  ギリギリの心で吐きだした言葉ですらスモモくんじゃなくて僕を優先してくれというものじゃなかった。  言えない。どうあっても僕は僕の本心を吐きだせない。    今回のことが仮に円満に終わってもまた同じことは起きるだろう。  僕はどうあっても欲しがれないのだから不満は当然溜まってしまう。  榛名は何も悪くないのに勝手に不満を溜めて悲劇を気取る。  自分の性質をわかっていながら対処できず榛名の傍にいるのは榛名に失礼だろう。    スモモくんはいつでも榛名との話をした。  自分がこうしたから榛名がこうしてくれた、自分がこういったから榛名はこう返してくれた。  見方を変えればそれは彼なりのアドバイスだったのかもしれない。  でも、僕は出来ない。    好きに泣いて笑って生きている彼に勝手に劣等感を覚えて苦しくなるだけ。  僕の浅ましさは劣等感を勝手に覚えているのではなく彼が故意にこの状況を作り出しているのではないのかと被害妄想にとりつかれているところだ。  自分の醜さを他人のせいにする精神が許せない。  人を責めずにいられない自分が嫌だ。   美術:醜くても美しくても氷谷りうの生き様を肯定しよう 美術:君の味方でいる人間は数多い、それを忘れないことだ りう:先輩たちにとって使い物になる間は、ですね 美術:りうと話していると創作意欲がわく 美術:いまも空気を読まずに筆を執りたいところだ りう:いいですよ、描いてください。ポーズはいりませんよね 美術:あぁ、必要ない 美術:描きたいのはタマシイの貪欲さだから    先輩の言葉はよくわからないけれど僕のおかげで描くべきモチーフが決まったと礼を言われた。  いつものことだ。

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