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第2話

生きてる。生きてるぞ。 カンナはコックピットを貫いたダガーナイフの切先から奇跡的に逸れ、その命を保っていた。機体から身を出して、敵の状態を確認することなく、歩き始める。 パイロットスーツと、頑丈に守られるヘルメットの調整を行いながら荒廃した地上を歩き始めると、少しした先に、オアシスがある事を確認した。 「RV濃度は――よし、ここは大丈夫」  パイロットスーツの腕部に搭載された放射線量観測機に視線を寄越した後、オアシスへと向かい、辿り付く。 ヘルメットを脱ぎ――そして外界へその顔を出した。 肩まで伸びる茶髪。整った目鼻立ちの顔をした少年だ。 彼はふぅと息をつくと、そのままオアシスの水に指をつけ、水に含まれている放射線量の測定を開始する。 読み取り完了。人が飲む事が出来る程度までの測定値である事を確認すると、彼は両手で水を掬い上げ、その口内に流し込んだ。 喉を潤される感覚。彼は地に体を付けて、そのまま寝そべった。 「敵は……さすがに死んだかな」  そう言葉を漏らした、次の瞬間だった。 足音が聞こえた。 慌てて起き上がって振り返ると、そこにはパイロットスーツを着込んでヘルメットを脱いだ一人の少年が、だんだんとカンナへと近付いていた。 カンナの着込んでいる、紺色のパイロットスーツとは違い、白を基調としたミューレのパイロットスーツ。 いわゆる――敵だ。 「う、動くな!」  慌てて警告を出し、パイロットスーツに供えられている小型拳銃を取り出そうとしたカンナだったが――どこにも見当たらない。 「なんで!?」  だがすぐに思い出す。コックピット内に放置していて、それを放ったまま機体を捨てて出てきてしまったのだ。無いに決まってる。 律儀にその場で立ち尽くしていた少年は、自らに警告を放ったカンナに銃器がない事を確認したか、フッと息をついて近付いてくる。カンナは焦りと恐怖による鼓動が止まらず、一歩一歩、少年から遠ざかろうとするが―― 少年は、そんなカンナの事を、まるで見えていないかのように通り過ぎると、先ほどの彼と同じく放射線量を確認した上で、水を飲んだ。 「……こ、殺さないのか?」 「ボクにも銃器が無い」  カンナの問いかけに答えた少年は立ち上がり、その視線を互いに合わせた。 カンナには、その少年が一瞬、女の子に見えた。 年は十代前半と言った所だろうか。 短く整った黒髪と、その柔らかそうな肌に似合う、中性的な顔立ちをした少年。身長は大体百五十センチあるかないか程度しかない。もう少し髪が長ければ、女の子と言っても違和感が無いだろう。 「お前、ミューレのパイロット、だよな」 「そういう貴方は、セバルタのパイロット」 「……あの、とりあえず」 「ああ。――生き残る事が最優先」 カンナと少年は互いに頷いて、まずはパイロットスーツに仕込まれている物資を確認した。 互いのパイロットスーツに仕込まれた携帯食料が、合計約五日分。それを分け合う事となった二人は、まずは別れて狼煙を上げた。火の元も、マッチが僅かながらにスーツに仕込まれているので、互いに困ることは無い。 オアシスから少し離れた位置から戻った二人は、まずは一日分の食事をとる事となった。 ビスケット状の固形食糧を互いに食しながら、沈黙を嫌と感じて、カンナが声を上げた。 「お前は、そこそこ出撃頻度高いのか?」 「それなりに」 「俺はこれが初陣なんだけど、最初はここが地上だなんて、嘘みたいだって思ったんだよ。  ――【アンダーグラウンド】の中で今まで暮らしてきたから」  遠い昔の事だ。 人類はリレクティブ・ヴォワチュール――RVと呼ばれる、新たなエネルギー供給方法を生み出した。 それは原子力よりも効率的かつ半永久的に電力を供給する事が可能である特徴を持ち、その技術は世界中に浸透していった。 だが後に問題が発覚した。 本来放射能物質を発生させないと言われていたRVだが、エネルギー源となる廃棄物質から僅かながらに放射線を放出している事、またその放射線が、人体に多大な影響を及ぼすことが判明した。 RV放射能と呼ばれたそれは、扱いを間違えれば世界を崩壊させる程の危険性を持っていたが、人類は効率よくエネルギーを供給できる、半無尽蔵にエネルギーを得る事が出来る技術を、手放すことが出来なかった。 その結果、二百年近い年月をかけ、だんだんと放射能は世界中に浸透していき、人類の約八割を死滅させるに至った。 濃すぎる放射能は薄紫の霧として人々に視認できるレベルまで増加し、草木は枯れ、世界中が死の地と成り果てた。 地球人類は、僅かながらに残る人類を率いて、二つの地下国家・アンダーグラウンドを建設。 それが【ミューレ】と【セバルタ】だ。 二国はその中で平和と繁栄を築いてきたが、そこからまた二百年近い年月が経過すると、地上の放射能汚染が緩和されていき、数十年の年月をかけて除染作業を行えば、人が住むことが可能になる事を観測した。 そこからは、とんとん拍子に戦争が決まった。 生き残った人類たちによる、ただっ広い領地を得るための戦争。 それが、今対面している二人の現実だった。 「お前、年は?」  カンナが少年に問いかけると、少年はしばし俯いたまま、首を横に振った。 「分からない」 「分かんない事はないだろう」 「生まれて、物心ついた時から、ボクは戦場に居た。覚えがある年月を数えようとしても、もう記憶が無い」  ミューレは、総人口が元々セバルタより少ない。おまけに自国で供給できる食料もエアーも少ないので、人口政策を行っているほどだと言う。 「生まれて、戦える年になれば、戦う。二十年生き残れば、後は軍上層部にのし上がれて、安穏とした生活を送れる。それが、ミューレの現実だ」 「そんな事、有り得ていいはずがない」  ミューレとは違い、セバルタは志願制を採用している。操縦技術が必要なプロスパーを取り扱う為には、練度の低い兵役制では教育に時間がかかり過ぎる。きちんとした教育を施した上で、戦場に出すべきだとされているのだ。 「ミューレは、プロスパーの生産技術が高い。だから低コスト生産が可能となっている。――子供は使い捨てにぴったりだ」  つまり。 死にたくなければ生き残れ、と言う非情な現実を、生まれて間もない子供に押し付けているのだ。 子供達は、自ら置かれた状況を理解出来ずも、死にたくない一心で、ただ敵を殺す為に、心を殺す。 「おかしい、おかしすぎる! なんでお前はそんな所に居る!? 子供は守られるべきだ。それで年を取ってから戦争の現実を知り、その現実を変えたいと思うからこそ――」 「変わると、思うのか?」  カンナの言葉を。彼は遮ってそう言った。 「……え?」 「人類の歴史は、戦争の歴史だ。一時の平和はあっても、戦いは終わらない。例えこの領土戦争が終わりを告げても、今度は食物・輸入・技術……様々な戦争の火種がある」  変わらないんだと、彼は言う。 「ならばボクは戦う。戦う事しか、人間には出来ないと言うのなら――ボクは」 「そんなの……悲しすぎるだろ。キスの一つだって経験ねぇだろ、そんなんじゃ」 「キス……?」  彼は、侮蔑の表情では無く、本当に単語の意味すら知らぬと言うように、首を傾げた。 ――小さな子供が、異性とのキスすら知らず、ただ命を浪費していく。 ――そんな現実が、あっていいはずがない! カンナは、そう叫びたい心を、何とか押し留めた。 彼らは今、何の間違いか、こうして話が出来る立場に居る。 本来は話をする事が無い、関わる事の無い二人なのだ。 ただ殺し合う、戦争の道具である二人だ。 自分の叫びは、ただセバルタの常識でしかない。 ミューレの常識で生きる彼には、カンナの常識は非常識でしかないのだ。 だが、そんな彼の心を知らず。 「……キスの意味を、教えて欲しい」  少年は、その無邪気な瞳を輝かせ、ただカンナへそう問いかけた。 「え、えーと。それは」  カンナとて、経験があるわけでは無い。  セバルタ内の人口政策で一応男女の交配は義務付けられているものの、兵役した場合は免除が受けられる。  免除を受ける為に志願したわけでは無いが、幼い頃から女性を知らず生きて来た彼にとっては、行為の意味を上手く説明する事は出来ない。 「キスって言うのは、唇と唇を重ね合わせる行為で」 「それだけか」 「えっ、と」 「それだけの行為に、何の意味がある」 「い、意味……意味、意味……!」  頭を捻って、その意味を探索するが、何の意味も思い浮かばない。性欲? それとも支配欲? 経験の無いカンナにも、その答えは分からない。 ――と、その時だ。 少年は、カンナの肩をガッと掴み。 自身の唇と、カンナの唇を――おもむろに、重ね合わせた。 少年の小さな鼻から僅かに感じる鼻息。 唇から伝わる、ほんのりと温かな吐息。 柔らかな唇と唇の、触れ合うだけのキス。 そのいきなりの行為に、驚きを隠せないカンナ。 二人の唇は離れ、少年は口を拭いながら―― 「意味は無いな。分かった」 「ちょ――お前っ」  顔を真っ赤にさせながら、飄々とした顔の少年に向けて激昂したカンナに。 「……だが、悪くは無い。そう感じる事も出来た」  少年はフッと微笑みを見せた。 カンナはその笑みを見て――視線を逸らすことも出来なかった。 見惚れていたと、言っても良い。 それ程、彼の微笑みは、魅力に満ちていたのだ。 「ボクは、セルン」  少年が、カンナの眼前で、そう言葉を述べる。 「それがボクの名だ。貴方は?」 「……カンナ。カンナ・アルジェ」  名乗りを終わらせると。 セルンは立ち上がり、狼煙の方向へと歩みを進める。 彼の元へ、救援が来たのだ。 今この時。 二人の戦争は、幕を開けたのだろう。

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