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第四章 血塗られた剣士は王子を飼う

 リーンハルトは、久しぶりにヴェンデル王城へと足を踏み入れた。  軍事国家だというのに、王城は堅牢というより華美な造りだ。  緑豊かな庭園迷路(ラビリンス)に木製のカゼボ。人工の池に、小高い山。  正面玄関には巨大な噴水があり、瓶を肩に担いだ女性の彫刻が備えつけられている。  風光明媚な仕様の城庭だが、今は殺伐としていた。  拘束された王城警備兵や親衛隊が一カ所に固まって座らされており、皆力なく項垂れている。  馬は正面玄関(アプローチ)の前で止まった。テオドールの手を借り馬を下りる。  そのまま手を引かれエントランスを通り抜けると、大広間に出た。  城庭も酷い有様だが、ここも陰惨な光景が広がっていた。  床にも壁にも鮮血があちこちに飛び散り、いたるところに人が倒れている。  誰もまったくピクリともしないから、もしかしたら死んでいるのかもしれない。  謀反だとしても、こうも一方的に倒されるだろうか。  ウェンデル王国は、巨大軍事国家として名を馳せている。  いくらここ数年大きな戦争や侵略がなかったはいえ、訓練された兵が無抵抗というのはにわかに信じがたい。 「軍事国家とは思えないありさまだ……」  リーンハルトの呟きが聞こえたのか、テオドールが振り向くと目を細める。 「残念だがリーンが思っているより、ヴェンデル王国は腐敗に満ちている。王城警備兵や親衛隊は上位貴族や権力者の息子や孫で占められ、専門の学校に行ったわけでも日々訓練していたわけでもない連中ばかりだ」 「……それは」 「そんな連中、我が国の精鋭部隊と血気に溢れた義勇軍の敵ではない。あっけなかったぞ。知らなかったわけじゃあるまい」  実のところ、リーンハルトも知っていた。  父母は、王家に進言する良識ある人物を辺境や前線に追いやり、耳障りのいい言葉だけを吐く人物だけを登用していた。筆頭宰相など、それの最たる例だ。  要職は王族及びそれに関連する人々で占められ、自分たちにのみ都合のいい政治を行っていた。  軍事国家という張りぼての金箔の内側は、実に中身のないスカスカな状態だったのだ。  それを何回も諫めようとしたが、リーンハルトにそれだけの発言力はなかった。  ウェンデル王家で一番年下という理由だからではない。  それはリーンハルトが――――。 「オメガだからと、王家の連中から疎外されていたのか」  テオドールが真実を突くので、リーンハルトは無言で俯く。  父であるヴェンデル国王アルヴァンはアルファだ。王妃ヘラもアルファで、リーンハルトを覗く兄弟もすべてアルファ。  アルファだけのヴェンデル王家の中で、たったひとり生まれてしまったオメガ。それがリーンハルトである。  アルファは皆早熟で、十二歳から十八歳までの間で早々に頭角を現す。  剣や馬術に秀でる者。博学の者。または機械工学に強い者など。その才能は多岐に渡る。  肉体も容貌も人並み以上で、美形が多いのもアルファの特徴だ。  オメガはその真逆。身体は標準より小さく、能力もアルファより数段も劣っている。  初めてヒートを迎えたときの周囲の顔が忘れられない。  彼らはすぐさま、リーンハルトを王家から追い払おうとした。  王籍から外し宰相に下げ渡すと宣言されたとき、アルヴァンから言われた言葉がこれだ。 「産まれたときからオメガ臭くてどうしてくれようと思ったが、やはりオメガであったか。早々に城の隅に追いやっておいてよかった。おまえはヴェンデル王家に相応しくない。オメガらしく、さっさと繁殖の苗床となれ」  ――オメガだから。  テオドールの言葉がリーンハルトの胸を突き刺す。  リーンハルトはアルファ至上思想のヴェンデル王国において、発言権すら持たぬちっぽけな存在になってしまった。  沈鬱に俯くリーンハルトに、テオドールが気にした様子もなく言葉を投げかけてくる。 「相変わらずだな。ヴェンデル王家の連中は身内でも迫害するのか。おれがやらずとも、いつかは誰かに滅ぼされただろう」  確かに近い未来、ヴェンデル王国はその堕落した王制が原因で滅ぶかもしれない。  だが、なぜ今テオドールは反乱など起こしたのだろう。  今の彼は、ヴェンデル王国に遊学という名目で滞在している人質ではない。  ヴェンデル王国を保護国とする、被保護国アスリム公国の第一公子という立場だ。  彼はリーンハルトの疑問を置いて、どんどん王城の大広間を抜け、その先の謁見室へと向かって行く。  リーンハルトは彼に借りたマントをぎゅっと掴むと、テオドールについていった。  テオドールが勢いよく重厚な扉を開く。  謁見室は、いつもと変わらぬ絢爛豪華さだ。  高いアーチ型の天井からは、きらめくシャンデリアがいくつもぶら下がっている。  磨かれた大理石の床、壁にはステンドグラスがはめ込まれた大きな窓。  あまりよい思い出のないウェンデル王城だが、ステンドグラスから差しこむ荘厳な光だけは好きだった。  王座に座る人物も、王座の人物を守る親衛隊もいない。  本当にあの父と母、そしてふたりの兄たちを捕らえて地下牢に入れたのだろうか。  かりにもアルファだ。そうそう容易くやられるとは思えない。  彼はまっすぐ玉座に向かって歩きながら、胸甲を外しどこかに放り投げた。腰に携えた長剣の柄も同じように投げ捨てる。  大理石の床が硬質的な音を鳴らすが、彼は一向に気にしない様子で、大股で歩いていく。  階段の上に配置された空の王座に、テオドールが腰をかけた。 「な……」  不遜だとか無礼だとか、そういった負の感情は一切なかった。  まるでその玉座が、テオドールのために存在しているかのようにしっくりときている。  生まれながらにして王の素質を持っているのか、テオドールが玉座に座ったとしてもリーンハルトはなぜか納得してしまう。  目を見開いてテオドールを見ていると、彼が口端を歪ませた。 「おれが、あなたの国の玉座に座るのが腹ただしいか?」  リーンハルトは、テオドールの自嘲気味の質問に首を振る。  血の繋がった父を悪く言う気はない。  だが、リーンハルトの父アルヴァンは、王として相応しい器を持った人物ではなかった。  完全王制のこの国において、第一継承権を持っていたアルファだから、王の冠を頭上に戴いたにすぎない。  アルヴァンよりテオドールのほうが幾分も才覚が優れている。そう口にはできないが、正直なところそう思った。  当のテオドールは、訊いたわりにどうでもいいという顔をする。 「単なる決意のために座っただけだ。玉座と言っても単なる装飾華美な椅子。意味などない」  そう言うとすっと立ち上がり階段を下りてくると、不思議そうな面持ちでテオドールを見返すリーンハルトの目の前に立つ。 「会いたかった……。アステアに戻ってもあなたのことばかり考えていた」  彼がリーンハルトを抱きしめると首筋に顔を埋めてくる。鼻をスンと鳴らすと何かを嗅ぐような仕草をした。  テオドールからは汗と砂塵、そして血の匂いがした。だが不思議と不快ではない。  どちらかというと、気分が高揚するような香りだ。  逆にリーンハルトからはヒート特有の独特な匂いがするだろう。  身の状況を知られているとはいえ、それが気になったリーンハルトは慌てて身を捩る。  テオドールはそれを許さなかった。筋肉質な腕に力を込め、ますます強く抱きしめてくる。 「リーン。おれはあなたに、すごく会いたかった。あなたは同じように、おれに会いたいと思ってくれたか?」  リーンハルトだって、彼に会いたかった。ずっと会いたかった。  だが自信のなさゆえか、彼の問いに素直に答えることができない。 「私は……あなたに、そこまで思ってもらえるような人間ではありません」  リーンハルトは、テオドールにある種の尊敬と憧れを抱いている。  だが出来損ないのオメガであるリーンハルトに、そんな感情を向けられるのは、きっと迷惑だろう。  俯くリーンハルトに向かって、彼はこう断言した。 「あなたを、おれのものにする」  その言葉に、リーンハルトは衝撃を受ける。 「私は……オメガですよ……?」 「知っている。おれはアルファだ。ちょうどいいだろう」 「えっ……?」  リーンハルトは、彼がアルファであることに驚いているわけではない。  六年前から、アステアの兄弟公子はアルファであろうと囁かれていた。  特にテオドールは、アルヴァンが養子に欲しいと言い出すくらいできのいい男だ。どこの誰よりアルファらしいアルファと言える。  リーンハルトも、彼がアルファであることを昔から疑っていなかった。  だがリーンハルトの疑問は別のところにあった。  足元には転がる、血に塗れた死体に視線を移す。 「もしかして、こんなことをしたのは……オメガの私を……アルファのあなたの……もの……にするため? そのために、こんな殺戮を……?」 「ああ、そうだ。目的は王都陥落ではない。あなたをおれのものにすることだ」  リーンハルトの心が、ぎゅっと締め付けられたように痛くなる。  いやな考えが、リーンハルトの脳裏によぎった。  希少種であるアルファは、必ずオメガから産まれる。  オメガ性だけが、アルファ性と性交することによって、アルファの赤ん坊を産むことができるのだ。  アルファはベータと性交することができるが、生まれるのは必ずベータ。まれにアルファやオメガが産まれるが、その数は絶対的に少ない。  同じくベータとオメガも性交はできる。オメガが産まれることはあるが、アルファは生まれないとされていた。    つまりアルファであるテオドールが、ウェンデル王国を手中に収める手っ取り早い方法とは――  籍を奪われたとはいえ一応ウェンデル王国第四王子であり、オメガでもあるリーンハルトをアルファである彼が孕ませ、アルファの後継者を産むこと。  ウェンデル王国は、属国も含めたら大陸一の領土を誇る。  そのすべてを乗っ取るために何人ものひとを殺し、リーンハルトを奪ったのだとすると、テオドールの野心が恐ろしいとすら感じる。  リーンハルトは華奢な両手で、彼の逞しい胸を懸命に押し返す。 「やめてください。そんなことのために……こんなに、たくさんのひとを……」  縁故で警備兵になった貴族の子息だとしても、殺されるほどの罪があるわけでもなかろう。  テオドールの謀反はあまりに激しく、そして暴力的だ。ヴェンデル王国の悪しきひとたちと、なんら変わりがない。 「あなたは人殺しだ。血にまみれた手を離してください」 「リーン?」  テオドールの目に不穏な灯が浮かぶ。リーンハルトはかまわず言葉を続けた。 「たしかにヴェンデルは、これまで他諸国や国民を傲慢な武力で抑えつけてきました。しかし、それをまた武力に頼って押し返すなど、負の連鎖が生まれるだけではありませんか」  テオドールは、ウェンデル王家の連中に並々ならぬ遺恨がある。  しかし、今となっては彼も一国の公子。過去の恨みつらみを心に残すより、前向きに国の治世に精を出すほうがいいはず。  それなのに、こんな方法を取るなんて。 「あなたの言っていることがわからない。武力に対し何で対抗するというんだ? 説得か? 聞き入れるような相手だと思っているのか」 「……テオドール。私は……」  彼の糾弾はとまらなかった。リーンハルトが言い返そうとする言葉を遮って、たたみかけるように言葉を吐き出す。 「ヴェンデル王族は、これまでいくつもの少数民族を滅ぼし恨みを買っている。打倒ヴェンデルの旗を掲げて義勇軍を募ったら、すぐにヴェンデル王都の住民以上の兵が集まった。それでもまだ話し合いなどと悠長なことを主張する気か」  リーンハルトは俯くと胸のあたりで手を組み、祈るようにこう呟く。 「わかって……います。私の考えが甘いと。でも……昔の……六年前のテオドールは、容易に逆上し、相手を殺すなんて選択はしなかった。どこまでも忍耐強く、相手の動向を図り、立ち回って自分の立場を確立するほど賢くて……」 「リーン……」 「そのあなたが、愚かな父や兄たちと同じ、単に武力だけで相手をねじ伏せるような真似をするのが信じられなかっただけです。それも単に私を求めてだなんて……! 色欲に支配されないでください。だって、あなたはもっと……」  気高い魂、精神は鋼のように強く。  鍛え抜かれた肉体は歴戦の兵士を凌駕し、剣技だって誰にも負けていない。  そのうえテオドールは頭がいい。機転もきくし、場の空気を読んで立ち回る大胆さも持っている。  その彼が、武力だけで相手をねじ伏せ、死体の山を築くなんて考えられない。  それもオメガを求めるという仄暗い欲情が理由なんて、もっと信じられない。 「言いたいことは、それだけか」  地の底から響くような声に、リーンハルトはハッと気がつく。  テオドールの漆黒の目が赤黒い炎を宿し、リーンハルトをねめつけていた。 「言い過ぎました。あなたを断罪するつもりも、非難するつもりもないのです。許してください」  リーンハルトの手首を握る彼の手に、ぐっと力がこもる。  彼を怒らせたのだと察知したリーンハルトは、自分の言葉が過ぎていたことに気がつく。 「すみません。離して……」  彼の指は、手首を潰すつもりなのではないかと思えるくらい強い。  ギリギリと手首を握りしめられ、傷みのあまり顔が歪む。  リーンハルトの苦しそうな顔に、やっとテオドールの手が離れる。  ぽいと捨てられるように手首を放り出され、リーンハルトは戸惑うしかない。  ――怒らせてしまった……?  彼の反乱に苦言を呈したことを?  彼のものになることを拒絶したから?  それとも、その両方? 「リーン。あなたの部屋に行こう。もっとお互いのことを話し合ったほうがいいようだ」  逡巡するリーンハルトに、テオドールが低い声でそう問いかけてくる。   「私の部屋……ですか?」 「ああ。まだ別塔の地下か?」  リーンハルトはすぐさま返答できなかった。 「私の部屋は……ないのです。もう王家ではないということで……」 「そうか。ちょうどいい。あの部屋にするか」 「あの部屋?」  テオドールはリーンハルトの腰に手をまわすと、逃げられないように抱え込んだ。  そのまま強引に歩かされ、玉座の後ろに回る。  玉座の裏には、フリンジのついたビロードのカーテンが幾重にも垂れ下がり、彼は衣の波をかき分けるようにして進んでいった。  装飾が過剰に施された黄金色の扉が現れると、彼が真鍮の獅子を象った取っ手に手をかける。  忌々しそうにテオドールがこう口にした。 「ヴェンデル国王の遊び場だ」  アルヴァンの遊び場?  リーンハルトは玉座の裏に、隠された部屋があることなど知らなかった。なぜテオドールが知っているのだろう。  リーンハルトの疑問を現したように、扉がギイィと嫌な音を立てて開かれる。 「……っう」  薄暗い部屋の中は、異様な雰囲気だ。  紫や黒といった、普通の部屋では使わないような色のカーテンや壁紙。  逆三角形に尖った椅子の木馬、男根のディルドが生えたブランコ。  ひとひとりが入れそうな大きな鳥籠からは、天井から幾つもの輪がつり下がっていた。 「なんですか……この部屋は……」  淫猥な道具は、それだけではない。  部屋の隅に立てかけられた、ひとの身長くらいの木の板はXの形になっており、先端には拘束用のベルトが備え付けられている。  中央には大きな天蓋ベッドが置かれているが、四隅の支柱にも拘束用のベルトがあった。  リーンハルトはいたたまれなくなり目を反らしてしまった。  血の繋がった父がこの部屋を使っていたなんて、考えたくもない。 「懐かしいな。ここで何度もヴェンデル国王に、鞭で叩かれた」  その低い声に、締めつけられたように胸が苦しくなる。 「テオドール……。すみません。この部屋にはいたくない……。先に出……」  逃げたくなったのは、彼の辛かった過去を不憫に思っただけではない。  高潔な魂を持つテオドールは、リーンハルトの役に立たない同情など必要としないだろう。  そんな状況であったことを知っていたのに、なんら助けることのできなかった自分に不甲斐なさと自省を感じて目を背けたくなったのだ。  踵を返し入ったばかりの扉から出て行こうとしたら、屈強な彼の身体に阻まれて足を留める。 「駄目だ」 「え……」  テオドールの黒い目に、リーンハルトの姿が映っている。妖しい揺らめきのなかで、情けなく狼狽えた姿が見える。  その瞳に向かって問いかけた。 「なぜ……」  彼は口角を上げると、衝撃的なことを言い放った。 「あなたは、おれの捕虜……いや奴隷だ。ここであなたを抱く。それこそ孕むまで毎日な」

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