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第七章 居場所を求めて

 リーンハルトは揺蕩う意識の中、昔の夢を見ていた。  §§§  今から六年前のこと――  まもなく十二歳の誕生日を迎えるというその夜。  晩餐の大食堂。国王である父アルヴァンが、みなの前でこう言った。 「まもなくアステア公国から、公子ふたりが遊学という名目で、我がヴェンデル王国に半年間滞在する。わかっているな」  てっきりリーンハルトは、他国の公子が来訪するから、それなりの厚遇とヴェンデル王家として品位を損なうことなく行動するように命じたのだと考えた。  ところが、それを聞いた王妃ヘラと二人の兄たちが、ワイングラスを掲げて高笑いする。 「久しぶりね。楽しみだわ。噂ではかなり出来のいい王子だというじゃないの」  ヘラが真っ赤な唇をにぃっと歪ませると、心の底から嬉しそうな顔をした。  それは兄たちも同じだ。 「本当ですか、父上。それは楽しみですね」 「ヴァルター兄さんは、本当に残念だなあ。こんな面白いときに留学中だなんて」  リーンハルトには上に三人の兄がいる。全員がすでにアルファとしても目覚めを迎えていた。  特に長兄のヴァルターは、アルファのエリートと言っても過言ではない。  高い知能と類まれなる美貌。恵まれた体格に他を圧倒するオーラを兼ね備え、次期王位継承者として期待され、様々な勉学のために他国へ留学中であった。 「久しぶりに新しい遊具を発注しようじゃないか」  アルヴァンがそう言うと、ヘラが楽しそうに呼応する。 「楽しみね。明日、早速職人を呼び寄せましょう」  遊具と聞き、アステア公国の公子は幼いのかとリーンハルトは考えた。  正直好きになれない両親だが、少しはいいところがあるのだなと思った矢先に、アルヴァンが不穏な発言をする。 「今回は特に念入りにもてなすつもりだ。みな、心しておくように。何しろ、アステア公主が目に入れても痛くないほど溺愛しているということで、かなりしぶったのだよ。だがあの国は今、北方の蛮族と緊張関係にある。万一、私の命を無視するようならば、我が国と不和になるのは必至。そうなれば国勢が不穏になるのではと脅してやったら、ようやく差し出す気になったというわけだ。それにしてもアステア公主め、留学期間は半年間にしてくれなどと条件をつけてきおって」  脅しともとれる命でアステア公国の公子を遊学させたと聞き、リーンハルトの心境は穏やかではない。  幼い公子ふたり。リーンハルトが盾になって庇ってあげられたらいいのだけど。  そう考えたところで、アステア公国の公子は、そこまで幼かったかな? と他国の王家事情について思い出そうと試みる。 「いいじゃないの。半年間、毎夜可愛がってあげましょうよ」 「いいね。ふたりとも美しかったらいいのだけど」  ヘラを含め、兄たちがずっとクスクスと笑っている。  この場でアルヴァンの話に反応を示さないのは、リーンハルトだけだ。  アルヴァンもヘラも、そして兄たちもあまりに人間として心がなさ過ぎる。  だがこの場でひとり反対意見を言うほどリーンハルトも愚かではない。  そんなことをしたら何をされるかわからない。それほどこのヴェンデル王家は腐敗していた。  何も言わずひたすらスプーンを動かすリーンハルトに、ヘラがいやらしい目を向けてくる。 「それはそうと……リーンハルト。あなた、アルファとしての目覚めはまだ来ないの?」 「え……」  いっせいに疑惑の目がリーンハルトに集中した。  ヘラはリーンハルトに疑いを持っていた。いや、ヘラだけではない。父も兄たちも疑っているはずだ。  ウェンデル王家は皆アルファだ。  国王アルヴァンは類まれな美貌を持つ痩身の色男で、芸術や音楽を愛す風雅な男。  そんな男が軍事国家の国王として君臨していられるのは、有事のさい冷酷無比な決断を容赦なくくだせるからかもしれない。  残虐な王として他国にもその名がとどろいているというのが現状だ。  そして王妃のヘラは、リーンハルトの血の繋がった母ではない。  リーンハルトの母は下位貴族の美しい娘で、発情したオメガとして献上されたときアルヴァンが気に入って側室として迎え入れた。  のちに病気で亡くなってしまったが、いつもリーンハルトのことを気にかけてくれていた優しい思い出だけを胸に残している。  二人の兄たちもみなアルファで、リーンハルトとは母親が違う。  長兄だけは、ヘラがオメガの女性に産ませた子だ。  ヴェンデル王家でアルファと判明していないのはリーンハルトだけ。  父や母、兄たちと比べ覇気もなく、身体も小さいリーンハルトは常々疑いの眼差しで見られている。  アルファの目覚めとは、主に思春期に自らの性器が変化することを示す。  女性と男性、それぞれ変化の仕様が違っており、男性の場合、男性器の根元に亀頭球のような器官ができる。  残念ながらリーンハルトに、それらしい兆候は一切なかった。  ヘラが、ふふふ……と真っ赤な唇を歪ませて笑う。  肉食獣が獲物を狙うような目で、リーンハルトを見据えてきた。 「アルファならいいけど、万一オメガならヴェンデル王家の恥晒しね」  アルヴァンも兄たちも、どっと笑い出す。  リーンハルトは冷静を装ってスプーンを口に運ぶが、泥水みたいな味だ。 「母さん。我が王家にオメガなんているわけがないよ」  兄のひとりが目じりを垂らしながらそう口を出すが、けして庇ってくれているわけではない。  彼の言葉には恐ろしい揶揄が含まれている。  当然のことながら、オメガの産む子がすべてアルファというわけではない。ベータと呼ばれる人種もいる。そしてオメガもだ。  ヴェンデル王家ではベータ、もしくはオメガだと判明した時点で、王籍から抹消されてしまう。  事実リーンハルトが幼い頃、兄のひとりが消えた。  とても優しいひとで、弱々しいリーンハルトをずっと気にかけてくれていた。  突然王城からいなくなってしまったので、周囲のひとに彼の行方を訊いて回った。  誰もが口を噤み、何を問うても首を振る。  泣き出すリーンハルトを不憫に思ったのか、乳母がこっそりと教えてくれた。 『ヴェンデル王国は……いえ、ヴェンデル王家はアルファ至上国家なのです。王家に生まれたオメガは恥とされて追い出されてしまうのです。仕方のないことなのです。だって……オメガですからね』  それを聞いたリーンハルトは、背中から言いようのない悪寒が駆け上がってきた。  唯一好きだった兄が消えてしまったこと。  誰も行方を知らないし、教えてもくれないこと。  ……オメガだから仕方ないと、言われてしまうこと。  彼に雰囲気や体形が似ているリーンハルトも、もしかしたらオメガかもしれない。  小さい頃からずっとその疑惑に苛まれていたが、大きくなるにつれ考えが変わるようになった。  オメガだからどうだというのだろう。もしヴェンデル王家から追い出されるというのなら、リーンハルトからしたらありがたい話だ。  リーンハルトはヴェンデル王家の誰とも、そりが合わなかった。  価値観、倫理観。全てにおいて、あまりに相違を感じるのである。 「そうですね。恥さらしですね。そうならないことを祈ってはいるのですが、こればかりは自分の意志ではどうにもなりませんから」  リーンハルトの開き直った態度を、ヘラは時々いやらしく突いてくる。 「まあ、いいわ。あと数年でわかるもの。楽しみね。そう言えば、アステア公国の公子だけど兄は十五歳なのね。楽しみだわ。噂では聡明でたいそう美しいというじゃないの」  それを訊いた兄たちの瞼が引き攣る。  もちろんリーンハルトもだ。十五歳ならば遊具なんて子供っぽいものではなく、図鑑やチェス盤のほうが喜ぶのではないだろうか。 「でもアルファじゃないんだろう? おれたちの足元にも及ばないだろうよ」 「アルファの可能性が高いみたいよ。この城にいる間に目覚めを迎えないかしら。半年間なんてあっという間だわ、きっと」  ヘラがワインをあおるように飲み干す。グラスをテーブルに置くと、すぐさま給仕の男がワインを注いだ。  給仕はなぜか頬を紅潮させ、手を震わせていた。カチカチとワインボトルとグラスの当たる音が、大食堂中に響く。  ヘラはそれを面白そうに見ると、わざと手首を捻った。  リーンハルトが「あっ……」と声を挙げる間もなく、ワインボトルとワイングラスが、キンッと音を立てた。  バシャリッと水の跳ねる音がし、大理石の床に赤い液体が広がっていく。 「も、申し訳ございません……!」  給仕は慌ててワインボトルをテーブルに置くと、スラックスのポケットからハンカチを出し、ヘラの濡れた手を拭こうとする。  瞬間彼女が手を振り上げると、給仕の頬をしたたかに叩いた。 「無礼者! オメガの分際でわたくしに触れるな!」  給仕は頬を押さえ、何回も「申し訳ございません!」と叫ぶ。  ヘラはにっと口端を歪ませると、床を指さした。 「このワイン、高いのよ? 年代物なの。もったいないわね」 「お許しください。王妃さま」  給仕は床に膝をつくと、両手を合わせて祈るように陳謝する。  リーンハルトは慌てて立ち上がり、ヘラの恩赦を求めるため近寄ろうとした。  だがテーブルを回る途中で、兄のひとりに腕を取られる。 「余計な真似をするな。ここからが面白いんじゃないか」 「……え」  ヘラが冷ややかな声で、こう命じた。 「服を脱いで、そこに四つん這いになりなさい」  いくらなんでもやりすぎだ。  リーンハルトは兄の手を振りほどこうとしたが、屈強な力で遮られる。 「おい、リーンハルト。あの給仕、ヒート中のオメガなんだよ。匂いで分かるだろ」 「匂い……?」 「オメガ特有のアルファを誘うフェロモンが……ああ、おまえにはわからないか。ともかく、あの給仕は今アルファにぶちこまれたくて、ウズウズしているってことだ。邪魔するな」  給仕は素直に黒の給仕服を脱ぐ。さすがに下穿きを脱ぐのは躊躇したようだが、ヘラが睨みつけると、大人しくそれもずり下ろした。  一糸まとわぬ裸になると、おずおずとしゃがみこみ、床に手のひらと両膝をつけた。  ヘラの容赦ない命令は続く。 「床に零したワインを舐めて綺麗にしなさい。そのままの姿勢で尻を高く上げてね」 「は、はい。王妃さま」  給仕は言われたとおりの体勢になり、ワインの広がる床へと顔を寄せる。  そのまま舌を差し出し、ワインをピチャピチャと音を立てて舐め取った。 「いい格好だぞ! 後ろから濡れた孔が丸見えだ!」 「見ろ、あのもの欲しそうな顔。おれらを誘ってるぞ」  ゲラゲラと笑いながら給仕を辱め、その光景を冷やかす兄たち。  わざとヒールの先を零れたワインに浸し、給仕に舐めさせる血の繋がらない義理の母。  周りには他に給仕もメイドもいるのに、誰もこの異様な光景に異を唱えるものはいない。  もしかしてこの世界が正しくて、リーンハルトが間違っているのだろうか。そんな奇妙な錯覚さえ起こしてしまう。  ヘラが大食堂の高い天井に届くくらいの声で笑う。  シャンデリアが目映く光り、リーンハルトの脳芯がクラクラとした。 「ねえ、わたくしの可愛い息子たち。誰か、この可哀想なオメガの給仕を満たしてあげなさいな」  兄たちが、わっと歓喜の声をあげる。 「順番に種づけしようぜ。どっちの種で孕むか賭けようじゃないか」 「いいな。それ。判別するまで時間はかかるが面白い。どっちの子種が生命力強いかな」  それを聞いた給仕が、涙目でヘラに訴える。 「お許しください王妃さま! いっぺんにふたりなんて壊れてしまいます」  ヘラは鬱陶しそうな顔で、給仕の顔を平手で何回も叩く。 「わたくしに話しかけるなと言ったでしょう! オメガの分際で! 何が壊れるよ。生殖のためだけに存在している家畜のくせに!」 「お許しを……王妃さま、どうか……」  ヘラは可哀想な給仕の言葉に、片鱗も耳を貸さない。 「それに二人ですって? 何甘いこと言っているの。わたくしと国王も含めたら四人よ?」  給仕はもう地獄を見たかのように顔を引きつらせ、泣き叫んでいる。  その間にも兄たちは自ら下肢をくつろがせ、昂ぶった男性器を取り出していた。  ここでやっとアルヴァンが口を出した。 「わかっていないオメガだ。王家の子を孕み子をなすことができたら、それなりに優遇されるというのに」  それを聞いた給仕が身を震わせる。アルヴァンは何食わぬ顔で話を続けた。 「ヒート中にもかかわらず、仕事をしなければいけない身なのだろう? 出産金で家族を養えるかもしれないねえ」  諦念した表情の給仕は、上半身を倒し床に肩をつけると、大人しく尻を向けた。  受け入れやすいよう自ら腕を後ろに回し、震える双丘をつかんで左右に開く。 「お願いでございます……優しくしてくださいませ……」 「可愛いじゃないか。じゃあ、おれからいくぞ」  兄のひとりが意気揚々と叫ぶと、耐え切れなくなったリーンハルトは踵を返し、そのまま扉まで足早に向かう。 「アステアの王子ふたりもオメガだったら面白いのになあ。半年間、毎夜犯してやるのに」 「何言ってるんだ。上位のアルファが下位のアルファを屈服させるのが面白いんだろ」  リーンハルトは恐ろしい兄の言葉を背に受け、扉を開けて出て行った。  悪魔ばかりが巣くうヴェンデル王家。迫害されたほうが何倍もましかもしれない。 「ここから出て行きたい……いやだ、いやだ……人間をあんなふうに……家畜とか孕ませるとか……ひとの命はおもちゃじゃない……」  リーンハルトがオメガだというのなら、大人しくこの王城から追放されよう。  ひとりで生きていくのは大変かもしれない。今のうちに市井の知識を仕入れ、さまざまなことを勉強しておいたほうがいいだろう。  王子という肩書のある今のうちに。  リーンハルトはなるべく市井に出かけ、国民と触れ合うようにした。  最初は「悪しきヴェンデル王家の第四王子」という看板が邪魔をし遠巻きにされていたが、修道院でボランティアの手伝いをしたり、彼らと炊き出しを一緒に食べているうちに打ち解けてくれるようになった。  その傍ら、真面目に家庭教師との勉学に打ち込んだ。  それでも何ごともそつなくこなせる兄たちのほうが優秀で、ときおり地の底まで落ち込みそうになる。  だが気にしてはいられない。なぜなら、リーンハルトは強く予感していたから。  自分は、ヴェンデル王家のはみ出し者であるオメガだと――

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