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第十三章 奸計

「あんたの首を掲げれば、民衆は一発で心が折れる。それからじっくりと玉座を奪い返せばいいのよ」  ヴァルターがこともなげに、そう口にした。 「わ、私の首……?」  なんの権力も地位もない、弱々しいオメガの首ひとつで、民衆の心が折れる?  考えられないことだと思うが、ヴァルターはそう確信してやまないといった顔を向ける。  ヴァルターがリーンハルトにエストックの先を向けながら、こう問いかけてきた。 「あんた。この反乱、どんな結末を迎えると思う?」 「どんな結末……とは……」  問われても意味が理解できない。  というか一寸先は闇のようで、この先に起こることを予測しようがないというのがリーンハルトの本音だ。  ヴァルターが呆れた面持ちで、エストックを持たないほうの手のひらを、ひょいと天に向けた。 「アステア公国の兄弟公子は、どこまで先を見越しているのかしら」  言われてみればテオドールから、ヴェンデル王国をどうするかという話を聞いたことがない。  静定するとは口にしたが、それはどのような意味でだろうか。  玉座に腰掛けたのは、ウェンデル王国を我が物にするという意志の表れ? 「植民地にするにしては甘いのよね。弾圧政治を強いる気はないみたいだし。ヴェンデルを乗っ取る気なら王族は早々に殺してしかるべきだしね」  客観的な意見を述べるヴァルターに、鉄格子の向こうから兄たちが喚く。 「ヴァルター兄さん! おれたちを見殺しにしないよね?」 「どうかしらね。私が不在の間、あんたたちが国王と王妃を守るべきでしょう。何一緒に牢屋に入っているの。ふがいないわ」 「そうは言っても……親衛隊も警備兵もまったく頼りにならなかったんだ。おれたちのせいじゃないよ」  ヴァルターはそんな言い訳にまったく耳を貸さない。 「軍事国家が聞いて呆れる。アステアの兄弟公子のほうがよほど優れているようね。軍の鍛え方からしてもそう。統率力に牽引力、あんたたちは彼らの足元にも及ばないって感じ」  ヴァルターの賛辞に反応したのは、兄たちではなくアルヴァンだ。 「それで六年前に養子にしようと思ったが、このバカ息子どもが毒を仕込んで殺そうとしたのだよ。成功するならまだ見込みはあるが無様にも失敗してね」  楽しそうにそう言うアルヴァンに、兄たちが焦った声を出す。 「父上っ……知っていたのですか!」 「当然だ」  兄たちは狼狽え、リーンハルトを恨みがましい目で睨みつけた。  鉄格子の隙間から指を突きつけ糾弾する。 「リーンハルト! おまえのせいだぞ!」 「貴様が間抜けにも、仕込んだ料理を口にするから……!」  愚かで情けない兄たちを目にし、リーンハルトは少しだけ気持ちを落ちつかせることができた。  冷静な目つきで、彼らをまじまじと見つめる。  アルヴァンがテオドールを養子にしたいと発言したせいで、兄たちは彼を逆恨みし毒殺しようとした。  立ち聞きして計画を知ることができたリーンハルトは、身を持ってテオドールを助けたのだ。  二度と後悔したくない。その思いだけを心に秘めて――  §§§  六年前、まもなくテオドールたちがアストア公国に戻るというある日。  兄たちの提案で、彼らとの別れを惜しむ晩餐会を開こうということになった。  そこで兄たちは、テオドールの料理にだけ毒を仕込んだ。  リーンハルトは「おいしそう。ちょっともらうね」と何気なさを装って、テオドールの皿から肉をつまむと、ぽいと口に放り込んだ。  毒の種類はわからないが無味無臭で、リーンハルトはもぐもぐしながら首を傾げる。 「妙だな……今日の料理、なんだか変な味です。この皿だけかもしれませんね。父上、少し食べてみてもらえませんか」  リーンハルトがテオドールの前に置いてあった陶器の皿を取り上げると、兄のひとりが慌てて椅子から立ち上がる。 「そんなわけがっ……!」 「だったら兄上が食べてみますか?」  リーンハルトは皿を兄のひとりに向って突き出した。 「そんなの食べられるか! あ、いえ……」  もうひとりの兄が慌てた様子で皿を取り上げると、身近な給仕に押しつける。 「父上に試していただく必要はありませんよ。すぐに料理を廃棄しよう」 「それがいいと思います。なんだかとても味がおかしくて……料理長を呼びますか?」 「そこまでする必要はない」  兄が断言するので、リーンハルトは胸をなでおろす。 「テオドール。あなたは、こっちの皿をどうぞ」  なるべく平静を装い、自分の皿をテオドールの前に置く。  彼は何か言いたげな顔で「ありがとうございます」とだけ呟いた。 「どういたしまして」  リーンハルトはにっこり笑うと「ちょっと失礼」と言い、席を立った。  急いでレストルームに向かうと、自分の咽頭に指を突っ込み吐き戻す。  あらかた出したと思ったが、少しだけ胃に吸収してしまったようだ。  遅効性の毒だったようで、その二日後にリーンハルトは高熱を出した。  周囲はいつもの体調不良だと思ったようで特段不審に思われなかったが、兄たちは戦々恐々だったことだろう。  アルヴァンのお気に入り公子を殺害しようとしただけでなく、下手をすればアルヴァン自身も殺しかねなかったのだから。  数週間毒のため寝込んだリーンハルトは、テオドールたちの帰国を見送ることができなかった。  あとからメイドが教えてくれたが、テオドールとアルフォンスが何回も見舞いに来てくれたという。  リーンハルトの熱が高すぎたことと、間もなく帰国する彼らに妙な菌やウイルスを移さないようにとの配慮で一切面会を断ったとのこと。  直前までリーンハルトのことを気にしていたと聞き、彼らが無事この悪辣な魔城から解放されたことを嬉しく思った。  これはリーンハルトだけの秘密。  テオドールにもアルフォンスにもけして言わない。  胸の内に秘めて、墓場まで持っていく。  §§§  と思ったのに、アルヴァンは気がついていたのか。 「知っていて……なぜ父上は兄たちの愚行を止めなかったのですか?」  リーンハルトの静かな怒りを込めた問いに、アルヴァンは薄笑いを浮かべる。 「それで死ぬならそれまでの男。養子になったら、それこそ毎日のように命の危機にさらされるのだぞ。この程度の災厄を難なく跳ね返すような男しか私は必要ないのでね」 「傲慢すぎて……何も言えません」  アルヴァンは伸びをするように両腕を上げると、そのまま頭の後ろに組み悠々と足を組みなおす。 「珍しく根性を見せたリーンハルトに免じて、テオドールたちを解放してやったのだぞ。感謝してもらいたいくらいだ」  何が感謝だ。もとから彼らは半年間の留学予定だったではないか。 「ふうん。能力も高ければ運もいいのね。その兄弟公子」  ヴァルターはにやりと笑うと、エストックを腰に下げている鞘に納めた。 「兄さん! そいつ、殺してよ!」 「それがいいよ。見せしめだ!」  兄たちは口々にそう叫ぶが、ヴァルターは鼻をふんと鳴らすだけで返答すらしない。 「リーンハルト。今から王城の外に出るわよ」 「ヴァルター兄さん? おれたちを先に解放してくれよ!」  兄たちがヴァルターに、すがりつくような目で訴える。  だがヴァルターは赤い目を釣り上げて、兄たちを睨みつけた。 「うるさい! あんたたちはそこで、王と王妃を最後まで守っていなさい! 役立たずを解放するのは最後の最後よ!」 「に、兄さん……」  兄たちの悲痛な訴えを、ヴァルターは一喝する。  その光景を見て、アルヴァンとヘラは楽しそうに笑っていた。やはりヴァルターは彼らにとって、最後の切り札なのだ。  ヴァルターはリーンハルトに向かって、刃向かうことを許さないというような口調でこう言った。 「リーンハルト、黙って私についてこなかったら、あんたの名で兄弟公子を呼び出して暗殺するからね」 「ヴァルター兄さん……なんて卑怯な真似を……」 「卑怯? この程度で? あんた本当に箱入りね。戦場にはもっと多くの駆け引きがあるわよ。あんた世間知らなさすぎ。兄弟公子を騙し討ちされたくなかったら、うだうだ言わずに来なさい」  テオドールの足かせとなるのならば、ここで殺されたほうがいい。  そう彼に言い返したら、ヴァルターはあっさりとリーンハルトの首を刎ねるだろう。  そしてリーンハルトの首を民衆の中に放り込み、動揺させるという策を取る。  それはテオドールの覇道を邪魔する行為だ。 「ヴァルター。私たちが飽きないうちに、さっさとケリをつけてくれ」  アルヴァンがあくびをひとつすると、そのままベッドに横になってしまった。  ヘラも兄たちも同じようにベッドでくつろぎ始める。  やはりヴァルターは侮れない。  彼ひとりで場の空気を変えることも、不利な状況を覆すこともできる。  テオドールが進もうとする道の、大きな障害に―― 「さあ、行くわよ。リーンハルト」  リーンハルトは意を決し、ヴァルターの背中について行った。  §§§  リーンハルトはヴァルターに命じられるまま、暗い道をヴァルターの持つランタンの明かりだけを頼りに、ひたすら歩く。  部屋から地下牢へ往復することはあっても、地下牢から外に出るのは初めてだ。  ヴァルターはランタンを持たないほうの手で、しっかりとエストックのグリップを持っている。  リーンハルトが少しでも不穏な行動を取れば、即座に抜き心臓を突き刺す心積もりでいるのだろう。  容赦など一切してこないはず。ヴァルターはある意味、ヴェンデル王家で一番合理的な人間だといえる。  自分の指示どおりに動かぬ人間を切りつけるのに、なんらためらうことなく剣を振り下ろす。不確実性をこよなく嫌うのだ。  ヴェンデル王城は城塞として最適な立地に建っている。  背後を峻厳な森と崖、右には天然の湖、左から正面には扇形に広がる城下街に囲まれていた。  王城を守るように高い防御壁と人工の堀が儲けられ、長い跳ね橋もかけられている。  だがあらかじめ抜け道のために、一見繋がっているように見える人工の堀は一部堰き止められていた。  それを知っている設計士は数百年前に死んでいるし、見取り図も王室書庫にしまわれたまま。  つまりこれは、王家のものしか知らない抜け道ということになる。    通路の行き止まりに小さな階段を見つけ、ヴァルターに促されるまま昇ると、高台にある寂れた古井戸に出た。どうやらここは、王城の裏手にあたる場所のようだ。  深い森であるここには獣道しかなく、ひとの足で歩けるような場所ではない。  馬を利用したとしても、すぐに蹄鉄を痛めることになるので無理だと推測される。  つまり脱出はできても、容易には移動しにくい場所ということだ。  それが盲点ともなり、まさかここに潜んでいると知られにくいのが利点というところか。  空を見上げると月が中天に座している。いくつものきらめく星がリーンハルトを見下ろしていた。  冷たい夜風に、リーンハルトの身体がぶるりと震える。  シャツブラウスという軽装で、この季節外を歩くのは辛い。  こんなとき、体温の高いテオドールに抱きしめてもらいたいと思ってしまう。 「テオ……」  彼の目が覚めたとき、リーンハルトが部屋にいないことを彼はどう思うだろう。  逃げ出したと怒っているだろうか。    もしかしたらアルヴァンたちが牢屋内で自省し、テオドールとアルフォンスに謝罪するかもしれないと考えた。  国民に裏切られたことがきっかけで、自らが強いた悪政を顧みるかもしれないと。  そうすればテオドールに頼んで、許しを乞おう。リーンハルトも一緒に頭を下げてもいい。  そんな風に考えて会いに行ったのに。  彼らは自省どころか、何ひとつ変わっていなかった。  傲慢で自己中心的で、自分たちに都合のいいことしか口にしない。  さすがに、もううんざりだ。  もっと早くに見切ればよかった。そう、筆頭宰相に下げ渡されたときにでも。  肉親の情など、彼らには最初からなかったのに。  リーンハルトだけが、それに気がつかなかった。なんてみっともない喜劇だろうか。  自分で自分の身体を抱きしめ項垂れるリーンハルトを、ヴァルターが目を細めて見ている。 「この堅牢な城を落とすんだもの。アステア公国の兄弟公子はなかなかのものね」  ヴァルターが感嘆したようにそう言った。 「でもちょっとおバカだわ。彼らは国王や王妃のお気に入りだったのでしょう? ヴェンデルと友好関係を深めて身の安泰を図ることだってできたのに、何を考えて侵略なんかしたのかしら。あなた、理由を知っている?」  問われてリーンハルトは首を振った。  言われてみれば、なぜテオドールは、この時期にヴェンデル王国を攻めたのだろう。  今、このタイミングでなければいけない特段の理由があるだろうか。 『間に合った? リーンは穢されていない?』 『ああ。なんとかな』 『良かった! 無事で! 急いだ甲斐があったよ!』  テオドールとアルフォンスは、あのとき急いだと口にした。  急遽、反乱を起こさねばならなかったと推測した場合。  その理由は…… 「……もしかして私が筆頭宰相に下げ渡されたから?」  助け出すために反乱を起こし、ヴェンデル王国に攻め入ったというのか?  まさか、そんな……  あり得ない。そんな理由でこんな大がかりなことをするなんて。 『あんなクズ野郎に渡すものか』  いや、最初から彼はそのような言葉を口にした。リーンハルトが理解していなかっただけだ。  テオドールとアルフォンスは、リーンハルトのためにヴェンデル王国をおとした。  それなのに、リーンハルトは彼を責めてしまった。 「そんなことのために殺戮をしたのか」と――。  テオドールはそのあと怒った表情をしていた。クーデターを起こしてまで助け出した相手に否定され、さぞかし彼は憤ったことだろう。  会いたい。あってそのときのことを謝りたい。  思い悩むリーンハルトに、したり顔でヴァルターが言及する。 「知っているって顔ね。言いなさい、リーンハルト」 「ヴァルター兄さん……」 「あんたと私に血のつながりなどないわ。慣れ慣れしく兄と呼ばないで」 「は、はい。申し訳……」  ヴァルターは古井戸に腰をかけ足を組むと、脇にランタンを置いた。 「ちょっと気が強くなったと思ったのに、すぐ小物に戻るのね。出来がいいと評判のアステア兄弟公子が、なんであんたみたいな出来損ないを助けるのかしら」  どうやらヴァルターは、すべてを見通しているようだ。  それともリーンハルトの表情から読み取っているのだろうか。  彼の前ではなるべく無表情を装ったほうがいい。 「あんた、一体どこに隠れていたの? 王城の隅から隅まで隠し通路を使って探したし、間諜を放って情報収集もしたけど、まるで雲隠れしたみたいに消えちゃって、まったく見つからないからびっくりしたわ」  そう言われて、もしかしたら……とあることに気がつく。  あの妙な部屋に閉じ込めていたのは、ヴァルターからリーンハルトを隠すのためだったのだろうかと。  無言のリーンハルトに、ヴァルターが意味ありげな顔をする。 「まあ、今となってはいいわ。まさか地下牢にいるとは思わなかったけど。それより、あんたやけに大人しいく私についてきたけど、私の脅しにのったわけじゃないんでしょう? 何か企んでいるの?」 「違います。ヴァルター兄さんにお願いがあるんです」  兄と呼ぶなと言われても、長年「ヴァルター兄さん」と呼んできたのだ。すぐには変えられない。  ヴァルター自身もそう口にしたわりに、呼び方などどうでもいいという顔で見返してくる。  ヴァルターは、反乱の旗印となる人物、テオドールとアルフォンス、そしてリーンハルトを潰すと口にした。  テオドールとアルフォンスはわかるが、リーンハルトが旗印というのは少々違うような気がする。  リーンハルトが死んだとしてもテオドールとアルフォンスの反乱は続く。  そしてヴァルターは、テオドールとアルフォンスを狙い続けるだろう。 「お願い? あんたが私に何かを願える立場じゃないでしょ。さっさと首を落としてしまいたいわ」  リーンハルトは、ヴァルターの無情な案に無抵抗で言いなりになるつもりはない。  死ぬのだとしても、どこかで一矢報いたい。  心に誓ったのだ。彼らを命に代えても守ると。  リーンハルトは上目遣いで、恐ろしい男を見上げる。 「私が……大人しく殺されれば、テオドールとアルフォンスは助けてくれますか」  それを聞いたヴァルターが、木々を振るわすくらいに高笑いした。 「そんなわけないじゃない。城の内部から侵入し、油断している兄弟公子を暗殺するってのが最初の計画だったんだから」  ビクリと身を震わせるリーンハルトに、ヴァルターが追い立てるようにこんなことを言う。 「でもどうやらかなりの手練れのようだし、面倒そうな相手だから、取りあえず先に国王と王妃を逃がそうかと考えて地下牢に向かったのよ。いくら探しても見つからなかったあんたがいたから驚いたわ。だから計画を変更したの」 「変更……?」  青ざめた顔をするリーンハルトに、燃え上がる目を向けてヴァルターがニヤリと嫌な笑いを浮かべた。 「奴らが執着しているあんたを無残に殺して、死体をこれみよがしに放り込んだほうが逆上して面白いかしらってね。我を忘れて逆上した兄弟公子を、返り討ちにするのもまた一興でしょ」  リーンハルトは震える心を宥めながら、ヴァルターのギラギラと燃える目に正面から向かい合った。 「テオドールに勝てないから、そんな手を使うのですね」 「なんですって?」  ヴァルターの赤い目がきらりと光る。  リーンハルトは表情を表に出さぬよう、平静を装う。 「何をどうしてもテオドールには勝てないから、卑怯な手を使うんですよね。テオドールは王の器を持つ偉大な男。それを認めるのが辛いから、小ずるい手を使うのでしょう?」

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