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4.告白
急いでマンションに戻ってきた洋平は、海外旅行用のキャリーケースを取りだし、服や身の回りの細々した物を手当たり次第に詰め込んでいった。
自分の持ち物など、殆どない。後はパソコンさえ持てば、ここを出て行ける。
藤崎はいつ戻るだろうか。
(朝帰り、かもな……。)
クローゼットの扉を閉めようと手を伸ばしかけた時。
扉を開けっ放しにしていた部屋の入り口に、影が差した。
手を伸ばした姿勢のまま、洋平は固まった。
「藤崎……。」
「ただいま、洋平。突然、俺を置き去りにして帰ったと思ったら、これは何のつもり?」
空になったクローゼットを、床に置かれたキャリーケースを、藤崎の視線がなぞる。
微笑んでいるようで、目が笑ってない。
「いや、えっと……は、早かったな」
「俺が早く帰ってきたら、都合の悪いことでもあった?」
「え?い、いや別に……何も」
近付いてくる藤崎に気圧されて、一歩、一歩と後ずさり、気付けば窓際の壁に追い詰められていた。
ダンッと顔の両脇に、拳を握った藤崎の腕が叩き付けられ、腕の囲いの中に閉じ込められる。
「ねぇ、洋平。この荷物、何。どこか旅行でも行くつもり?」
いつも通りの柔らかな声音が、返って恐ろしい。
「藤崎……お、怒ってる、のか?」
「怒ってる……?さぁ、どうかな。腹の底がひどく熱くて、君をメチャクチャにしてやりたくて仕方ないけどね」
「そ、それは……神居さんのこと、黙ってたから?」
「あぁ、アイツ。神居って言うんだ」
薄ら笑いを浮かべながら、藤崎が首を傾げる。
「随分、親しげだったよね、アイツと。俺に見つかって、『しまった』みたいな顔して……」
「ご、ごめ……」
「謝るなよ!」
突然、声を荒げた藤崎に硬直する。
「謝るなっ、それじゃ、本当みたいに聞こえるだろ!」
その声の悲痛さに、胸が鋭く痛んだ。自分が番を取り違えていたことも、それを洋平が黙ってたいたことも、ショックだったのだろう。
「藤崎……ごめん、本当なんだ。今夜、ちゃんと言うつもりだった。卑怯なことして悪かった。俺、すぐここ出てくから、だから」
神居部長と幸せになってくれ、そう続けようとした言葉は、藤崎の手に口を強く押さえ付けられて、途切れた。
「聞きたくない。出てくなんて、許さない。俺を捨てるっていうなら、一生この部屋から出さない。アイツに、二度と会わせない……っ」
「んン゛~っ?!」
首筋にギリッと噛みつかれた痛みに、洋平は、ビクリと跳ねた。
「クソッ、君がΩなら!こうやって噛みつけば、俺だけのものにできるのにっ」
「ンッ、ンッ!」
何度も首筋に歯を立てられる。
「どんなに俺を誘う匂いをさせていても君はβで……俺がどれだけ焦がれようと、君が俺に酔うことはないんだ……っ」
藤崎の声が、自嘲するように歪んで響く。
「なのに、いつの間にか期待してた。洋平が、いつか俺を好きになってくれるんじゃないかって。けど、そんなのはただの幻想で……」
──洋平は俺なんか簡単に捨てて、別の奴のとこに行くんだ。
耳元で聞こえる、苦痛にまみれた声に混乱しつつ、洋平は口を塞ぐ手を引き剥がそうともがく。
噛みついたところを、舌で癒すように舐められて、背筋がゾクリとした。
「~っ、止めろっ!」
気付けば、渾身の力を込めて藤崎の体を突き飛ばしていた。
「止めろ……っ、何でそういうこと言うんだ……まるでまだ、俺を好きみたいに聞こえるじゃねぇか!」
二、三歩、たたらを踏んで後ずさった藤崎が、呆然とした顔で洋平を見た。
「まだ……?」
「さっき!神居部長に会っただろ、会って見つめ合ってただろ、部長の匂いに気付いたんだろ!あの人が!……っお前の本当の番なんだろうが……?!」
「……意味が、分からない」
「だからっ、お前が『好き好き』言ってた俺の匂いは、あの人の移り香だろう?βの俺には、Ωの匂いとかフェロモンなんて、全然、分かんねぇけどな!」
「あぁ、なるほど……。洋平は、アイツがΩで、俺の番だって、思ったんだ」
藤崎が、ふと自嘲するような暗い笑みを浮かべる。その表情に違和感を覚えて、洋平は興奮状態が少し冷めるのを感じた。
「違うのかよ……っ?」
「違うね。そもそもアイツはαだ」
「えっ」
「俺は……洋平がアイツを選んで、ここから出てくつもりなのかと思っていた」
「はあっ?!い、いや、それはない……っ」
「うん。それは俺の勘違いで……洋平は、俺を押し付ける先を見つけたと思って、さっさと出ていこうとしただけなんだね」
「え……っ」
今度、息を呑んで呆然としたのは、洋平だった。
「洋平はさ、俺があまりに付きまとうから、同情して一緒にいてくれただけだもんね。俺にΩの番でも見つかれば、ソイツに俺を押し付けて、自分は自由になれるもんね?」
歌うような軽い調子で言う藤崎の手が伸びてきて、首もとの噛み痕を撫でられる。
「ねぇ、アイツがαでがっかりした?これで俺から逃げられると思ったのにね?」
藤崎が、洋平の首筋に顔を埋めて息を吸い込みながら、ククッと喉で笑った。
「これが、移り香……?そんなことあるはずがない。そんな間違いをするわけないだろう?これは、君の匂いだよ」
「あ……」
何か言わなくてはと、口を開閉させる洋平に、暗い瞳で藤崎がにこりと笑い掛けてくる。
「君以外に、俺の番はいない。残念だったね……。」
「ン……っ、ン、止め……っ」
近付いてくる藤崎の顔に、反射的に目をつぶってしまい、唇に柔らかな感触が押し付けられた。
慌てて押し退けようとするが、手首を捉えられて、何度も口付けられる。
「や……、待て……って……っン」
「何で拒むの。キスなんて、もう何回もしたでしょう?」
「ちが……、ふじさ、き……、ごめ……」
「聞きたく、ない」
違う、キスが嫌なんじゃない。そうじゃなくて……。
触れあった唇から、手首を掴む震える手から、藤崎の苦痛が伝わってくる。
「ごめん、藤崎……っ」
「何で……っ」
ハッとしたように体を引いた藤崎が、苦痛にまみれた声で言った。
「何で、君が泣く……っ。そんなに、もう俺に触れらるのすら嫌なのか……っ?!」
「違うっ。そうじゃない、そうじゃなくて……」
離れていってしまった藤崎の体を追い掛けて、今度は自分が抱き締めながら言った。
「俺も好きだ」
抱き締めた体が硬直し、洋平は更に強く腕に力を込める。
「好きなんだ、藤崎……。」
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