4 / 5

4.告白

急いでマンションに戻ってきた洋平は、海外旅行用のキャリーケースを取りだし、服や身の回りの細々した物を手当たり次第に詰め込んでいった。 自分の持ち物など、殆どない。後はパソコンさえ持てば、ここを出て行ける。 藤崎はいつ戻るだろうか。 (朝帰り、かもな……。) クローゼットの扉を閉めようと手を伸ばしかけた時。 扉を開けっ放しにしていた部屋の入り口に、影が差した。 手を伸ばした姿勢のまま、洋平は固まった。 「藤崎……。」 「ただいま、洋平。突然、俺を置き去りにして帰ったと思ったら、これは何のつもり?」 空になったクローゼットを、床に置かれたキャリーケースを、藤崎の視線がなぞる。 微笑んでいるようで、目が笑ってない。 「いや、えっと……は、早かったな」 「俺が早く帰ってきたら、都合の悪いことでもあった?」 「え?い、いや別に……何も」 近付いてくる藤崎に気圧されて、一歩、一歩と後ずさり、気付けば窓際の壁に追い詰められていた。 ダンッと顔の両脇に、拳を握った藤崎の腕が叩き付けられ、腕の囲いの中に閉じ込められる。 「ねぇ、洋平。この荷物、何。どこか旅行でも行くつもり?」 いつも通りの柔らかな声音が、返って恐ろしい。 「藤崎……お、怒ってる、のか?」 「怒ってる……?さぁ、どうかな。腹の底がひどく熱くて、君をメチャクチャにしてやりたくて仕方ないけどね」 「そ、それは……神居さんのこと、黙ってたから?」 「あぁ、アイツ。神居って言うんだ」 薄ら笑いを浮かべながら、藤崎が首を傾げる。 「随分、親しげだったよね、アイツと。俺に見つかって、『しまった』みたいな顔して……」 「ご、ごめ……」 「謝るなよ!」 突然、声を荒げた藤崎に硬直する。 「謝るなっ、それじゃ、本当みたいに聞こえるだろ!」 その声の悲痛さに、胸が鋭く痛んだ。自分が番を取り違えていたことも、それを洋平が黙ってたいたことも、ショックだったのだろう。 「藤崎……ごめん、本当なんだ。今夜、ちゃんと言うつもりだった。卑怯なことして悪かった。俺、すぐここ出てくから、だから」 神居部長と幸せになってくれ、そう続けようとした言葉は、藤崎の手に口を強く押さえ付けられて、途切れた。 「聞きたくない。出てくなんて、許さない。俺を捨てるっていうなら、一生この部屋から出さない。アイツに、二度と会わせない……っ」 「んン゛~っ?!」 首筋にギリッと噛みつかれた痛みに、洋平は、ビクリと跳ねた。 「クソッ、君がΩなら!こうやって噛みつけば、俺だけのものにできるのにっ」 「ンッ、ンッ!」 何度も首筋に歯を立てられる。 「どんなに俺を誘う匂いをさせていても君はβで……俺がどれだけ焦がれようと、君が俺に酔うことはないんだ……っ」 藤崎の声が、自嘲するように歪んで響く。 「なのに、いつの間にか期待してた。洋平が、いつか俺を好きになってくれるんじゃないかって。けど、そんなのはただの幻想で……」 ──洋平は俺なんか簡単に捨てて、別の奴のとこに行くんだ。 耳元で聞こえる、苦痛にまみれた声に混乱しつつ、洋平は口を塞ぐ手を引き剥がそうともがく。 噛みついたところを、舌で癒すように舐められて、背筋がゾクリとした。 「~っ、止めろっ!」 気付けば、渾身の力を込めて藤崎の体を突き飛ばしていた。 「止めろ……っ、何でそういうこと言うんだ……まるでまだ、俺を好きみたいに聞こえるじゃねぇか!」 二、三歩、たたらを踏んで後ずさった藤崎が、呆然とした顔で洋平を見た。 「まだ……?」 「さっき!神居部長に会っただろ、会って見つめ合ってただろ、部長の匂いに気付いたんだろ!あの人が!……っお前の本当の番なんだろうが……?!」 「……意味が、分からない」 「だからっ、お前が『好き好き』言ってた俺の匂いは、あの人の移り香だろう?βの俺には、Ωの匂いとかフェロモンなんて、全然、分かんねぇけどな!」 「あぁ、なるほど……。洋平は、アイツがΩで、俺の番だって、思ったんだ」 藤崎が、ふと自嘲するような暗い笑みを浮かべる。その表情に違和感を覚えて、洋平は興奮状態が少し冷めるのを感じた。 「違うのかよ……っ?」 「違うね。そもそもアイツはαだ」 「えっ」 「俺は……洋平がアイツを選んで、ここから出てくつもりなのかと思っていた」 「はあっ?!い、いや、それはない……っ」 「うん。それは俺の勘違いで……洋平は、俺を押し付ける先を見つけたと思って、さっさと出ていこうとしただけなんだね」 「え……っ」 今度、息を呑んで呆然としたのは、洋平だった。 「洋平はさ、俺があまりに付きまとうから、同情して一緒にいてくれただけだもんね。俺にΩの番でも見つかれば、ソイツに俺を押し付けて、自分は自由になれるもんね?」 歌うような軽い調子で言う藤崎の手が伸びてきて、首もとの噛み痕を撫でられる。 「ねぇ、アイツがαでがっかりした?これで俺から逃げられると思ったのにね?」 藤崎が、洋平の首筋に顔を埋めて息を吸い込みながら、ククッと喉で笑った。 「これが、移り香……?そんなことあるはずがない。そんな間違いをするわけないだろう?これは、君の匂いだよ」 「あ……」 何か言わなくてはと、口を開閉させる洋平に、暗い瞳で藤崎がにこりと笑い掛けてくる。 「君以外に、俺の番はいない。残念だったね……。」 「ン……っ、ン、止め……っ」 近付いてくる藤崎の顔に、反射的に目をつぶってしまい、唇に柔らかな感触が押し付けられた。 慌てて押し退けようとするが、手首を捉えられて、何度も口付けられる。 「や……、待て……って……っン」 「何で拒むの。キスなんて、もう何回もしたでしょう?」 「ちが……、ふじさ、き……、ごめ……」 「聞きたく、ない」 違う、キスが嫌なんじゃない。そうじゃなくて……。 触れあった唇から、手首を掴む震える手から、藤崎の苦痛が伝わってくる。 「ごめん、藤崎……っ」 「何で……っ」 ハッとしたように体を引いた藤崎が、苦痛にまみれた声で言った。 「何で、君が泣く……っ。そんなに、もう俺に触れらるのすら嫌なのか……っ?!」 「違うっ。そうじゃない、そうじゃなくて……」 離れていってしまった藤崎の体を追い掛けて、今度は自分が抱き締めながら言った。 「俺も好きだ」 抱き締めた体が硬直し、洋平は更に強く腕に力を込める。 「好きなんだ、藤崎……。」

ともだちにシェアしよう!