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第4話

「そんなところで何をしている。ここは客を焦らせて待たせる店なのか?」 カーテンの前で足を竦ませていた和久に向かって、突然中から声が響いてきた。 口調は穏やかなものの、窘められている事に気付いた和久は慌ててカーテンの内側へ滑り込む。 「も、申し訳ございませ…わっ!?」 すると、踏み出した足元がぐらつき体勢が崩れてしまった。 あ!と思った瞬間何かに硬いものにぶつかり、和久は思わずそれにしがみつく。 間一髪転倒を免れる事ができた和久はホッとした。 しかし柱にしては不思議な手触りに和久は首を傾げる。 それは白くツルツルとした感触で、温かく、そして一部だけが妙に膨らんでいた。 「随分と大胆なんだな」 頭上から降ってきたその声に和久はハッとして顔を上げる。 その声はカーテンの内側から聞こえてきたあの低い声だった。 天井から吊るされた紅い宮燈のぼんやりとした灯りの中、和久を見下ろす人物と目が合う。 思わず悲鳴を上げそうになりすんでで飲み込んだ。 切れ長の眼差しの奥にある眼が恐ろしいほど鋭い光を放っていたからだ。 恐怖で視線を逸らした和久は、改めて状況を見つめなおした。 そしてすぐに目の前のそれが事に気づく。 和久がしがみついていたのはだった。 しかも男だ。 更に最悪な事に、和久の顔はとんでもないに場所にあった。 つまづいた拍子に体勢が大きく崩れ、かなり前屈みの状態でしがみついてしまったらしい。 和久の顔はちょうど男の腰の下あたりにぴったりと張り付いていた。 温かいと思っていたのは男の体温で、膨らんだ部分は…男のシンボル…つまり股間だったのだ。 「す、すみませんっ!!」 かぁっとなった和久は慌てて男から離れた。 男の鋭利な刃物のような眼差しが和久をじっと見据えてくる。 終わった… 頭の中に浮かんだ文字は「計画失敗」だった。 初っ端からこんなドジを踏んでしまって気に入られるなんて絶対無理だ。 いや、その前に海に沈められるか山に埋められるかもしれない。 和久はちらりと男を見上げた。 ウェーブがかった柔らかそうな髪、高い鼻梁に薄い唇。 白い肌と真っ白なチャンパオ。 一見すると男の容姿からは柔らかな雰囲気を感じさせる。 しかし、真っ直ぐ伸びた眉の下にある切れ長の瞳が、穏やかな容姿を只ならぬものへと変えていた。 素人の和久でも、男の目が一般人の(それ)ではない事がわかる。 人を何人か殺めた事があるような底の深い目… 恐らく黒社会かマフィア関係の人間だ。 和久の膝はガクガクと震え始めた。 慣れないヒールもあって、ついには立っていられなくなってくる。 すると、冷たい眼差しで和久を見下ろしていた男がスッと腕を上げた。 ぶたれる… 反射的にそう思った和久はギュッと目を瞑る。 しかしいつまで経ってもどこにも痛みが襲ってこない。 不思議に思っていると、今度は身体がふわりと宙へ浮きすぐに柔らかな場所へと下ろされた。 目を開くとそこはソファの上で… きょとんとした和久の隣に男がドサリと腰を下ろす。 硬直する和久をよそに、男は酒の入ったグラスを優雅な所作で煽った。 「ここは中国人しか雇わないとオーナーが言っていた。お前日本人か」 空になったグラスを差し出しながら中国語で男が訊ねてくる。 男の質問に、和久は再び目の前が真っ白になった。 「店のオーナーは中国人しか雇わない人間だ。客にも従業員にも君が日本人である事は決して知られないように」 鬼嶋に念を押されていた事を思い出す。 それなのに、さっき男から離れようとした時和久は思いっきり日本語で謝ってしまったのだ。 日本人だとバレてしまった… 再び身体中から血の気が引いていく。 すると、男がフッと息を吐いた。 「安心しな。俺は日本人には散々世話になってる。オーナーには黙っておいてやるよ。そのかわりサービスは上乗せしてくれるんだろうな?」 「サービス…」 男の言葉に、和久ははっとした。 つまりサービスをすればまだ和久にチャンスはある、という事だ。 「いいかい櫻井くん。組織犯罪に関わる被疑者は一人ではない。万が一、検挙までに我々の捜査が察知されてしまえば、逃亡や証拠隠滅につながるおそれもある。そのためには最後の最後まで諦めず気を抜かないことが大切だ」 この男がこれまでどんな犯罪に手を染めてきたかわからないが、今ここでこの(犯罪者)を取り逃がしたらまた沢山の人の命が奪われるかもしれない。 人々が安心して生活できる社会を守り、犯罪を未然に防ぐのが警察官の務め。 確かに和久は非力でひ弱だ。 しかし、組対に和久にしかできないと見込まれてここへ送り込まれたのだ。 それならばどんな事があっても任務を遂行するしかない。 こうなったらもう、何が何でもやってやる。 半ば捨て鉢になった和久はオーナーに言われたセリフを思い出しながら男の膝に手を付き、微笑んだ。 「お好きになさってください」 ドレスのスリットから惜しげもなく晒し出された足を組み直すと、今度は妖艶に笑ってみせる。 「ほう?」 男が感嘆の声を漏らす。 切れ長の眼差しが更に細められた。 しかし、気丈な態度とは裏腹に内心はおもちゃ箱をひっくり返したようだった。 当然だ。 和久はこれまで一度たりともそういった経験がないのだから。

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