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第5話

◆鎖 毒虫にやられた両目がすっかり治って暫く経った。スクアードは――あの時墜落したツタに覆われた塔が気になって仕方がなかった。ジェセが言うには、国の北端にあたる地域、あの塔がある辺りには、強い毒のある虫が多くいるので有翼種は殆ど近付かないのだそうだ。危険だからスクアードももう塔の周囲を飛ぶのは避けた方がいい、とも言われたのだが―― その事ばかり考えていたせいか、獲物を探すうち、スクアードはいつの間にか――再び北に飛んできてしまっていた。あの高い塔が見えてくる。と、塔にしつらえられた庭園の石のアーチの陰から――落ちたスクアードを介抱してくれたセルテスが小さく姿を現した。 庭園で――なにか作業をしているらしい。彼の金の髪が、太陽の光を柔らかくはね返している。スクアードが思わずそれに見とれると――俯いていたセルテスがふと空を振り仰いだ。スクアードはなぜかその時――彼の青い瞳に映された自分の姿が――はっきりと見えたように思った。 狩をする有翼種は遠目が効くが、いくらなんでもそこまで見えるはずがない。スクアードは滑稽に感じた。向こうだって、ここに飛んでいるのが自分だとは思わないかもしれないのに――しかしその時、セルテスがこちらに向かって手を振っているのがわかった。どうやらスクアードだと気付いているようだ。 毒虫の事があるので、ここまででもう引き返そうとしていたのだが――手を振るセルテスの仕草があまりにも一生懸命で――いじらしくなってスクアードは思わず塔に向かった。幸い、今日は虫は少ないようだ。下からセルテスが感嘆したようにスクアードの姿を見上げている。その彼の前にスクアードは舞い降りた。 自分の翼が起こした風が、セルテスの長い髪を乱す――顔にかかってしまった金の髪に、スクアードはつい手を伸ばした。だが人は――生肉を裂く有翼種の鉤爪を――恐れ、嫌うのではなかったろうか。そう気付いてスクアードははっとした。だが眼前のセルテスは、怯える風も避ける風もなくじっとしている――スクアードが爪の先で髪をそっとどけてやると――セルテスは小さく、ありがとう、と言った。 気付けばセルテスは片手に小さな鋏、もう片方には編み籠を下げている。籠の中には摘み取ったばかりらしい青々とした草の葉が入れられていた。 「それ、なに?」 なんだか気恥ずかしくなったのを誤魔化そうとスクアードは訊ねた。セルテスは籠を見下ろしながら、薬草です、と答えて微笑んだ。 「やくそう?」 「怪我や病気に効く植物のこと……この庭で育てているんです。私には、それぐらいしかできることがなくて」 「ふうん?」 その時のセルテスはなぜだか少し寂しそうに見えた。なんだかなぐさめてやりたくなって――スクアードはさらに訊ねた。 「あのさ、その葉っぱは何に効くの?」 とっさの思い付きだったのだが――薬草について訊ねられるとセルテスの表情は明るくなった。 「これは熱を下げるんです。あとこっちのは、煎じて飲むことによって、お腹の痛みをやわらげます」 「へえー……すごいな」 有翼種たちにも、多少だが草を使って治療するための知識はあった。狩りをする彼らは外傷を負うことが多い。そのため怪我に効くものはよく使う――だが、病気の熱や腹の痛みに効くものまであるとは知らなかった。 「あ、これは知ってる。血止めだ」 なにげなくスクアードが言うと、セルテスは感心したような顔をした。 「よくわかりましたね――似たような葉も多いのに」 「しょっちゅう使うから。狩をしてて獣の牙に引っ掛けられると、血が止まりにくくなったりするから」 「そうなんですか――そうか、有翼種の方たちは自分で食べ物を狩るんですよね――すごいな」 「すごい……かなあ?」 首を傾げたスクアードに、セルテスは少し恥ずかしそうな顔になって訊ねた。 「あのう……その爪……もう一度見せてください……触らせてもらってもいいですか?」 「えっ!?」 スクアードが戸惑うと、セルテスは慌てたようだった。 「あ、いいんです!す、すみません。とても強そうで……羨ましかったのでつい……いきなり……失礼でした……」 「し、失礼なんかじゃない!もちろんいいよ!」 急いでそう答え、差し出したスクアードの硬い鉤爪を――セルテスは白く細い指で、遠慮がちにそっと触った。 「すごい、こんなに頑丈なんだ……これならどんな獣も倒せるでしょう……」 「うん、まあね」 セルテスはため息と共に言う。 「いいなあ……私にもこんな爪があればいいのに……」 スクアードは驚いた。この人は――どうしてそんなことを思うのだろう。セルテスはさらに呟いた。 「それになんて……立派な翼。どうして私には……翼がないのかな……」 いつも人間に蔑まれて、ややうとましく思っていたこの姿。これを……羨ましがる人がいるなんて……? 「空……飛んでみたいの?」 そう訊いたスクアードに、セルテスは邪気の無い様子でこくんと頷いた。それを見て――スクアードは突然頭に血が上ったようになり――咄嗟に 「じゃ、一緒に飛ぼう」 と言っていた。 「えっ?」 セルテスが聞き返したのと同時、スクアードは両腕でセルテスの身体をすくい上げるようにして抱き抱え――翼を力強く羽ばたかせ、たちまち空へと舞い上がった。 腕の中のセルテスが叫ぶ。 「待って!待ってください、駄目です!」 「怖いの?大丈夫。落としゃしないよ」 「そうではなくて――私は――」 そうセルテスが言った途端、二人の身体をがくんという衝撃が襲った。 「えっ……?」 一体何事かと、スクアードは呆然とした。セルテスが辛そうに言う。 「ごめんなさい、鎖が……これより上へ行くのは……無理なんです」 鎖?見下ろすと――確かに、セルテスの左の足首から塔まで――一直線に、細い鎖の筋が繋がっている。これは――いったい――? その時、それまで姿が見えなかったヨアンが庭に現れ、下で必死に何か叫び出した。スクアードは、なぜか酷く……打ちのめされたような気持ちになりながら、再び庭園へと舞い下りた。 「なに――この――馬鹿羽根!なんてこと――なんて危ない――!」 ヨアンが動揺を隠せない様子で、しどろもどろになりながらも憤っている。 「ごめんなさい、ヨアン。大丈夫だから」 セルテスが言う。 「ちっとも大丈夫じゃありません!全く――お話の邪魔をしないよう気を利かしたつもりで側へ来なかったんだけど――こんな事されるんだったらすぐ追い払えば良かった!そんな馬鹿な羽根っ!」 ヨアンは、スクアードが腕から下ろしたセルテスの左足首を、かがんで覗き込み確かめている。 「ああもう……!傷が……」 「こんなの傷のうちに入らないから」 スクアードはその時はじめて、セルテスの細い左足首に嵌められた鉄輪と、それに繋がる鎖をはっきりと見た。鎖は長く、その先はセルテスの居室の中へと続いている。 この人は、この鎖の届く範囲でしか生活できないのだ。一体誰が、こんな―― 「ごめん、セルテス――ほんとにごめん、ヨアンも――俺、馬鹿だから……全然気がつかなくって――」 スクアードは混乱したまま、うなだれて詫びた。セルテスはその頬にそっと手を添えて上を向かせると、優しい笑みを浮かべて答えた。 「いいえ、スクアード、私は嬉しかったんです。あなたと飛ぶのは――素晴らしかった。スクアード、ありがとう」

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