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第6話

◆呪い セルテスを抱えて飛ぼうとした日の後――スクアードは彼の足首の傷の治りが心配で、たびたび北の塔を訪れるようになった。幸い傷はすぐに消え、スクアードをホッとさせた。 セルテスはスクアードに、薬草を煮詰めて作ったという、虫が集める蜜のようにとろりと柔らかい不思議なものを瓶に詰めて分けてくれた。それを肌に塗っておくと、なぜか毒虫が寄ってこない。どうやら匂いを嫌うらしい。セルテスたちも庭仕事をすることが多いので、虫除けにそれを使うのだそうだ。おかげでスクアードは、毒虫に襲われる心配なく塔を訪れる事ができるようになった。 それがきっかけで、スクアードはセルテスの薬草園に興味を持った。スクアードが薬草について訊ねると、彼はどんな小さなことでも真剣に教えてくれる。会話を交わす間、セルテスの青い瞳にじっと見つめられるのが嬉しくて――スクアードはついあれこれ質問してしまうのだった。やがてセルテスは書庫にある本を使い、それに描かれている様々な薬草の図版を指差しながら、スクアードに薬草について詳しく講義してくれるようになった。スクアードもそれに耳を傾けるうち、薬草の種類にも詳しくなったし、簡単な植物の名前位なら読み書きできるようになった。 ある日――使いきってしまった虫除けを、セルテスがあらたに作り足してくれているのを待つ間――有翼種の手ではそのような細かい作業は無理なので、セルテスがやってくれる――スクアードは庭に出てきたヨアンに詫びた。 「ヨアン、この間は……馬鹿な真似してセルテスに怪我させて……すまなかった……もうあんな危ない事はしないから……」 植物に水を与えていたヨアンが振り返る。彼は初めはスクアードに腹を立てていて、ここへ出入されるのも気に入らない様子だったが、やがて何も言わなくなった。だがすすんで話しかけてきてくれたりはしないので、やはりまだ怒っているのだろうと思い、スクアードは改めて詫びておこうと考えたのだった。 だがヨアンから返ってきた返事は、意外にも優しいものだった。 「いや……ま、仕方がないさ。俺だってここにきた時は……暫くセルテス様の鎖に気がつかなかったんだもの。あの方は子供の頃からああだそうで、あんなものつけられてても立ち居振る舞いが普通と同じだから」 「セルテスはどうして……ああやって繋がれてなきゃならないんだ?」 訊いてみたくてたまらなかったことを、スクアードはようやく口にした。セルテスには訊けなかった――傷付けてしまいそうに思ったからだ。 「セルテス様を閉じ込めてるのは、ここの馬鹿な王族どもだよ」 ヨアンが答えた。ヨアンにかかるとこの国の(おさ)でさえもが馬鹿なのだった。 「あいつらは、セルテス様の見かけが他の連中と違うからって、外に出したら災いが起こるとかくだらない事を言ってるんだ。俺はでも、そんなの信じてない」 「それだけの理由で――あの人は一生ここにいなきゃならないのか?逃げちまえばいいのに……」 「俺だってそう思うさ。俺ならあんな鎖を切る道具ぐらい、すぐ盗んでこられる。この塔の下にいる見張りだって間抜けでしょっちゅうさぼってるから、簡単に誤魔化せる。でもセルテス様は、自分が呪われてると思い込んでて――」 「呪われてる?セルテスみたいないい人が?そんなバカな」 「だろ?でもあの方は、そのせいでここから逃げ出すのをあきらめてるんだ。もし呪いが本当だとしたって……俺に言わせりゃこんな国、いくら災いが起こったってどうでもいい。けどさ、セルテス様は偉い方だから……そう自分勝手には考えられないんだよな」 ヨアンは水の容器を片付けながらぼやいた。 「でも――もし逃げ出したとしても、あの髪と目の色だ。この小さい国の中じゃどこに隠れたってすぐ見つかっちまうだろう――国の連中は、セルテス様の事を古の呪いがあらわれた子だって思いこんでるから助けちゃくれない……。森に隠れ住む事も考えたけど、あそこの生活は酷い。食い物だってろくなもんが無いし、盗賊や毒蛇だってたくさんいて、セルテス様には過酷すぎる――ここにいた方がましな位だ。他の国まで逃げられればいいのかもしれないけど、俺も行った事が無いし、なにしろ遠すぎて――危険な森を抜けて辿り着くのは……とても無理だ」 「そうか――そうだよな」 ヨアンも色々考えたのだ――スクアードはふと、セルテスを自分のねぐらに連れ帰る事を想像した。だが、あんな硬くて寒い岩山に――セルテスを住まわせることはできないだろう。その上彼には翼がないから、高い岩山からでは自由に出入ができない。結局ねぐらに閉じ込める事になってしまって――それじゃ今と変わらない。 「ま、ちょいちょい会いに寄ってくれ。ここに出入する他の従者連中はセルテス様を気味悪がっててさ……普段は俺しか話し相手がいないから、お寂しいに違いないんだよ。お前が来るととても喜ぶから」 「そうなのか……うん、そうする……」 その時、セルテスが虫除けの薬を詰めた瓶を持って庭に戻ってきた。得意げに言う。 「スクアード、これ、できました!今度はいっぱい作ったから、暫く持つと思いますよ!」 「ありがとう……」 彼が差し出す瓶を受け取りながら、スクアードは、やはりこの人は――このままここで暮らすしか無いのだろうか、と痛ましい気持ちになった。 それから数日後――兄と狩りに出た折、深い森の奥でスクアードはセルテスが欲しいと話していた薬草を偶然見つけた。間違いない、セルテスの本に載っていたのと同じ葉の形だ――すかさず手を伸ばしてその植物を千切り取ろうとしたスクアードだったが、塔の庭園に持って行って植えたらいいんじゃないだろうかと思いついた。その植物がつけている、小さく真っ白な慎ましい花が、どことなくセルテスを思わせたせいもあった。もしこの花が、セルテスの庭にたくさん咲いたら――さぞかし可愛らしいことだろう。 いきなり這いつくばって地面を掘り出したスクアードを見て、ジェセは驚いた。 「スクアード……?なにやってるんだ?」 「え?ああ、これ……この花、欲しがってる人がいるんだ。持って行ってあげようと思って」 「ああ、あの……塔に閉じ込められてるとか言う?」 「うん」 鉤爪で慎重に土を掘り返している弟の行動を、不思議に思ってジェセは訊ねた。 「なんでそんなに大きく掘るんだ?引っ張ったら簡単に抜けるだろ?」 「根に傷を付けると育たなくなるかもしれないんだ。セルテスが言ってた。それに引き抜いたりしたら……可哀想だから」 「可哀想?花が?」 そんな風に言うスクアードがジェセには奇妙だったが、弟が随分と真剣だったので――それ以上何も言わなかった。 掘り上げた花の株を大事に胸に抱え、スクアードはすぐにセルテスの塔へと飛んだ。 塔に着き、いつものように庭へ舞い下り、声をかける。セルテスは部屋の中に居たが、すぐ嬉しそうに走り出てきた。 「スクアード!どうしたんですか?もう暗くなるのに――え?それ――その花?」 「うん、今日狩りの途中で見つけて、しおれないうちにと思って持ってき――うわっ!?セルテス!?なな、なにしてるんだ!?」 思わず叫び声を上げたのは――泥だらけだった自分の胸に――セルテスがいきなり飛び込み、抱きついて顔を押し付けたからだった。 「スクアードありがとう!」 セルテスはなおも、しっかりスクアードにしがみ付きながら言う。スクアードはセルテスの背が……自分の胸にまでしか届かないのに気付き、なんだか不思議な心持がした。どういう訳か――自分がとても、強く逞しいものになったような気がしてくる――花をまだ持っていなければ、スクアードはセルテスを抱き締め返していただろう。 「どこで見つけたの!?」 セルテスがようやく身体を離しながら訊ねた。その彼に、スクアードは花株をそっと手渡してやりながら答えた。 「狩りの途中、森の中で。セルテスが、これ、庭園に無いって言ってたから」 「うん、無い。この薬草、すごい希少種で――庭園どころかベセルキアにはもうないと思ってあきらめてたんだ。赤ん坊の骨の病気に良く効くんだよ!これを育てて増やしてやれば――命が助かる子が大勢いるんだ!」 スクアードから移ってしまった泥汚れを頬につけたまま――嬉しそうに笑うセルテスが――その手の中の白い花と同じ位、スクアードには可愛く、可憐に見えた。

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