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第17話

◆彫り師 3 セルテスは、ふと重苦しい眠りから目を覚ました。心臓に手をあてる――まだ動いていた。あんな浅ましい姿をヨアンに見られて――どうしてまだ――生きていられるのだろう。 ヨアンが無事だったのは本当に嬉しい。けれど――兵の装備を身につけた、あの酷薄な姿。床で喘がされているセルテスを眺めていた時の、なんの感情も持たない目。そして――髑髏の入れ墨。 なぜ彼は……あんなに変わったのか。そう思ってしまってからセルテスはうなだれた。ヨアンはロークの身に起きた事に、深く同情して近衛兵に志願したのだろう。あの優しい人なら――そうして当たり前だ。彼は今まで何も知らず――自分などに仕えさせられていたのだから。もしかしたら、人々の残酷な運命に、知らなかったとは言え起因した自分を――憎んでいるかもしれない。そう思うと辛かった。 セルテスはふらつきながら月明かりに照らされる庭園へ出た。鎖が重い――こうして繋がれてさえいなければ、塔から身を投げてしまいたかった。 気付けば庭の薬草が――殆ど茶色くしおれかけている。それを見てセルテスは打ちひしがれた。あんなに――大切にしていたのに。ヨアンと一緒に。歩くたびこの太い鎖が立てるじゃらじゃらという音が恐ろしくて、ずっと庭へ出られず、全く世話をしていなかった――可哀想な植物たち。ごめんなさい。セルテスは顔を覆い、冷たい石の上にうずくまった。頬を涙が伝う。 泣きながら乾ききった土の上を見ると――スクアードがわざわざ取ってきてくれた、あの貴重な薬草までもが枯れかかっている。ヨアンと懸命に世話をして、やっとここまで大きくしたのに……なんてことだろう――これを放っておけたなんて。 セルテスは慌てて水を取ってきて、草の根元に与えた。そうしながら思い出す―― スクアード――背に翼を持つ優しい若者。彼がこの小さな花株を――逞しい腕で大切そうに胸に抱えているのを見たとき、どんなに嬉しかった事か―― 自分が見せた、たった一枚の本の図版と、ずっと欲しいと思っていると一言だけ打ち明けたことを――彼は正確に記憶してくれていた。その思いやりがありがたくて―― 彼はどうしているだろう。東の国で幸せに暮らしているにちがいない。彼が旅立ってくれていて良かった。こんな風な自分の姿を、スクアードに見られなくて良かった……。セルテスは手を伸ばし、スクアードのくれた薬草の葉にそっと触れた。 その時――背後に鈍い風を切るような音が響いた。はっとして顔を上げ、振り向くと――そこにはセルテスに入れ墨を施した、あの灰色の男が佇んでいた。 この庭園に――一体どうやって?夢を見ているのだろうかとセルテスは思った。 男がセルテスに向かって跪く。 「あなたが耐え抜いてくださったお蔭で、妻子は無事に解放されました――ローク王は、約束を違えませんでした」 「そうでしたか……良かった」 セルテスは頬に残っていた涙をぬぐって男を見た。男が続ける。 「あなたには――ローク王が知らない、我々の秘術が施してあります」 「王が知らない……秘術……?」 「はい」 男は頷いた。 「私があなたの身体に刻み付けたその術を受けると、肌は性の悦びを求めるようになります。それは元来繁殖力が高くない我々種族が、それを促すために用いる技なのです」 「そうなのですか――」 セルテスは呟いた。ではこれは……人をただの慰み物の人形へと(おとし)めるための(すべ)ではなかったのだ――それなのに―― 「では――私のような用いられ方は――あなた方種族に対する侮辱ですね――」 男が低い声で言った。 「彼らでは――決してあなたの左の胸に、花を咲かせる事はできません」 「え?」 どういう事だろう。 「あなたの心臓の上の花には――他のとは違う術を用いています。心臓に花を咲かせる事ができるのは――あなたにとっての真実の相手のみ。ですから他の場所にいくら花が咲こうと――それは何の意味も持たないのです――」 その時、居室の外に立つ見張りが異変に気付いたらしく、扉を開け庭園へと走り出て来た。男に向かって剣を抜きながら叫ぶ。 「貴様、いつの間に――どこから入った!?」 男は立ち上がり、数歩退いた――そうしながらセルテスに向かって囁き続ける。 「その相手が現れて――左胸に花が咲いた時――あなたの肌に施した私の他の術は全て消え去ります。それが――ローク王の知らない我々の秘術です――」 ふわりと男の片腕が上がり――手元から、何かが弾けるような音がした。するとセルテスの目の前で男の身体が浮き上がり、空中をつ、と滑って……彼の姿は消えた。 庭園に残されたセルテスは――見張りの兵と二人、男が消えた暗い空を唖然と眺めていた――

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