2 / 4
佳月02
☆☆☆
神埼三春。二十四歳。
文学部 英文学科四年生。
卒業後は、就職ではなく大学院に進む予定。
性格は、辻曰く『見た目は春風のように暖かいが、実際はブリザードよりも冷たい』らしい。
これが、サークル入会を条件に、辻から入手した『彼』の大まかな情報だった。
そのうえ、おまけがもう一つ。
「Ωだってさ」
大学内のカフェテラス。講義が終わって移動したあと、コーヒーを飲みながらあっさりと、辻が言った。
「え?」思わず、尚樹は聞き返していた。
「だから、神崎さん。あの人、Ωなんだよ」
神崎がΩだということは、出会った瞬間にわかっていた。
それでも、そんな反応になるのは、Ωのフェロモンの影響が少なく、発情期以外ではそうだと気付くはずのないβである辻が、それを知っていたことである。
国際法である『オメガ保護法』ができてから、どのバースも自ら公表しないかぎり、第二性別を無理やり聞き出したりすることは、違法行為になる。特に、Ωはその性を秘匿することを許されていた。
「なんで、お前がそのことを知ってんの?」
尖った声で問いかける尚樹に、辻は苦笑する。
「そうコワい顔すんなよ。カミングアウトしてんだよ、あの人」
「うそ……」
「ホント、ホント。俺は、四月の歓迎会で本人から聞いたの」
「マジかよ……」
信じられないといった表情の尚樹に、辻は「まーな」と返す。
「いくら、この大学が国認定の『バース混在校』だからってさ、Ωだと公表するのは、リスクが高い事だと思うよ」
Ωが他の性と大きく違うのは、『発情期』があることだ。
それは、男女関係なく妊娠できるという身体であるがゆえに、起こってしまう症状だ。番がいないと寿命も短く、昔はひ弱な体格の個体が多かったという。
だが、長年代を重ねていくうちに、寿命が短いという以外では、見た目や能力なども他の性とほぼ変わらなくなっていった。だから、バースを秘匿されると、よっぽどのことがない限りはバレることがない。
ただ、Ωと番えるαだけは、Ωの発する『発情フェロモン』による匂いを察知できる。Ω本人がいくら隠しても、αにはバレてしまうのだ。
だから、いくら秘匿して生活していても、番のいないΩがαに襲われるというリスクは、非常に高い。
「なんで、カミングアウトなんか……」
独り言のようにつぶやく尚樹に、辻は「俺も、最初聞いたときはびっくりしたんだけど」と言いながら、歓迎会の様子を話しだした。
歓迎会の場が和み始めて、参加した全員がそれぞれが自己紹介することになった。その時に、神崎はこう言ったという。
「文学部四年の神埼三春です。みなさんとこうして顔を合わせるのが初めてだからこそ、あえて言います。俺の第二性別は、Ωです。番がいましたが死に別れて、今はいません。そのことにより、発情期が来なくなり、フェロモンも発しませんし、感じることもありません。ですので、番を持つつもりも、αの方々を誘惑することもありませんので、よろしくお願いします」
「なんだ、それ?」
嘘だ、と尚樹は心のなかで反論していた。
最初に彼の存在に気づいたのは、発しないと言ったはずの彼のフェロモンの匂いだったからだ。
「いや、俺に言われてもさ」
尚樹の剣呑な様子に気圧されて、辻が言い訳めいたことを言う。
「俺、βだし。フェロモンがどうとかいうの、分かんねーもん」
「いや、悪い……」
尚樹が謝ると、辻も「別にいいけど」と返した。なんとなく気まずい空気が流れて、二人ともそこで黙り込んだ。
辻が話してみせた神埼三春という人物像と、自分が『運命』と感じた彼の印象とがあまりにもかけ離れすぎている。
辻の話が本当なら、神崎は『自分はΩだけど、発情しないんだから近づくな』と言い放った高慢なΩといえる。
そんな上から目線の態度を、多くのαは好まない。たとえ、番を探していたとしても、そんなΩは相手にしないだろう。
そのことを指摘すると、辻は大きくうなずいた。
「それだよ」
「どれだよ?」
「いや、ふざけないでよ。藤田くん」
「ふざけてねーよ」
「いちいち、睨むなよ。お前、威圧感ハンパねーから」
むすっとする尚樹に、辻はやれやれというように肩をすくめた。
「神崎さんがあえてカミングアウトしたのは、藤田が指摘するように自分目当てのαを、サークルから排除するためだよ」
「排除……」
「本人も宣言したように、番を持つつもりはないんだってさ」
その言葉にも、違和感があった。
あんなに誘うように漂っていたフェロモンと、辻が語る彼の言葉がまったく一致しない。
「新歓で、そんなカミングアウトしたもんだからさー。残ったのは、見事にβだけだったよ」
尚樹の様子を気にすることなく、辻は話を続ける。
「お前は?」
尚樹が辻に聞いた。
「俺ぇ?」
辻が素っ頓狂な声を上げる。尚樹が頷くと、辻は困ったような表情を見せた。
「いや、いくら綺麗な顔しててΩだっていってもさぁ……俺、女の子が大好きだから」
それでも、きっぱりと彼はそう答えた。単に、サークルの主旨がまったりした楽しそうな感じだからと言う理由で、やめずに残ったらしい。
「お前以外で、残ってるヤツいるのかよ?」
「それが、みんな神崎さん目当てでさー。αと番にならないなら、自分にもチャンスがあるんじゃないかって、下心ミエミエで」
それを聞いて、尚樹の表情がますます険しくなり、それを見た辻は「こわっ」とつぶやいた。
「それで?」
「ん?」
「その神崎さん目当てのβはどうしたんだ?」
「やめたよ、みんな」
「みんな?」
「そう。一年で残ったのは、俺ひとり」
辻は、そこでため息をついた。
「だーから、ヤバくてさ」
「何が?」
「サークル。人数少なすぎて、このままだと大学から活動費が下りなくなりそうなんだよなぁ……」
そう言って、辻は横目で尚樹を見る。
「藤田くん」
「さっきから、なんだよ。そのくん付け。気持ち悪い」
「サークル入ってくんないかなー?」
「前から、何度も断っただろ。バイト入れてるから難しいって」
「えぇ? ここまで聞いといて、それ言う!?」
入会を条件に情報提供したんだから、断られると思っていなかった辻は、びっくりして大声を上げる。
「俺も聞きたいんだけど」
険しい顔のまま、尚樹が聞いた。
「なに?」
「なんで、入会を条件にここまで教えるんだよ? 神崎さんのこと」
「んー、サークル活動の危機だから?」
「だとしても、だ。俺が神崎さん目当てで、サークルに入ってもいいのかよ?」
「なんだ、そんなことか」
尚樹の問いかけに、辻が笑う。
「ここまで情報提供したのは、このぐらいじゃ『キレイ好きの藤田』が神崎さんをあきらめるわけないって思ったのと」
辻のセリフに、尚樹の眉間のシワがまた一つ増えた。
「手順を踏まえてあの人を口説くのは問題ないって、サークル内での暗黙の了解があるからね」
「何だそれ」
尚樹のツッコミに答えず、辻はぬるくなったコーヒーをすする。
「Ωって聞いて、神崎さんにますます興味が湧いてきただろ?」
確信めいた口調で、辻が訊いた。だが、尚樹はむすっとしたまま答えない。
「あれ、ちがった?」
「べつに」
「でも、興味があるのはホントだろ」
「あの人がΩだから? 俺がαだから?」
ジロリと辻を睨み返したあと、尚樹は黙り込んだ。それに鼻白む辻だったが、やがて面白いものを見つけたというように、興味津々の眼差しになる。
尚樹がαであることを前提に話を持ち出されるのは、嫌な感じだ。
確かに『彼』に気づいたのは、あのフェロモンの好ましい香りだ。
実際に言葉を交わしたのは他愛もないやり取りだったが、それより前にすでに二人は会話をしていた。お互いのフェロモンで。
『運命の番』は、出会った瞬間に分かるという話は有名だ。
メディアを通じてそんな話を見聞きしたが、眉唾だと尚樹は思っていた。
相手のΩが発情期だったらまだしも、発情していない状態でそんなことがわかるのか、と。
ただでさえ、他のαとちがって、Ωのフェロモンを感じにくい質 なのに。
だいたい、世界の人口が一億を切ったはるか昔の人口激減期ならともかく、今は十億もいる時代だ。
その中のわずか一パーセントしかいない『Ω』というバースの人間から、たった一人の『運命の番』に会えるのは、相当難しい。多くのαとΩが出会えないまま、生涯を終える。
だからこそ、運命の番は都市伝説扱いされるのだ。
でも、その都市伝説は全くの嘘ではなかった。
さっき、自分は出会ったのだ。向こうも、そう感じていた。あの特殊な状況をどう表現すればいいのか、わからない。だが、運命と相対したという確信だけは、尚樹の心に残った。
「なぁ、サークル入ってくんないの?」
怖い顔をしたまま黙り込む尚樹に、焦れた辻が問いかけてくる。
「入ってもいいけど、αで、しかもあの人目当ての俺で、いいのかよ?」
「なんだ、認めるんだ」
「うるせーよ」
「さすが『キレイ好きの藤田』くんだなぁ」
「だから、くん付けやめろ」
辻の言葉に、尚樹が心底嫌そうな顔になる。
ともだちにシェアしよう!