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佳月02

☆☆☆  神埼三春。二十四歳。  文学部 英文学科四年生。  卒業後は、就職ではなく大学院に進む予定。  性格は、辻曰く『見た目は春風のように暖かいが、実際はブリザードよりも冷たい』らしい。  これが、サークル入会を条件に、辻から入手した『彼』の大まかな情報だった。  そのうえ、おまけがもう一つ。 「Ωだってさ」  大学内のカフェテラス。講義が終わって移動したあと、コーヒーを飲みながらあっさりと、辻が言った。 「え?」思わず、尚樹は聞き返していた。 「だから、神崎さん。あの人、Ωなんだよ」  神崎がΩだということは、出会った瞬間にわかっていた。  それでも、そんな反応になるのは、Ωのフェロモンの影響が少なく、発情期以外ではそうだと気付くはずのないβである辻が、を知っていたことである。  国際法である『オメガ保護法』ができてから、どのバースも自ら公表しないかぎり、第二性別を無理やり聞き出したりすることは、違法行為になる。特に、Ωはその性を秘匿することを許されていた。 「なんで、お前がそのことを知ってんの?」  尖った声で問いかける尚樹に、辻は苦笑する。 「そうコワい顔すんなよ。カミングアウトしてんだよ、あの人」 「うそ……」 「ホント、ホント。俺は、四月の歓迎会で本人から聞いたの」 「マジかよ……」  信じられないといった表情の尚樹に、辻は「まーな」と返す。 「いくら、この大学が国認定の『バース混在校』だからってさ、Ωだと公表するのは、リスクが高い事だと思うよ」  Ωが他の性と大きく違うのは、『発情期』があることだ。  それは、男女関係なく妊娠できるという身体であるがゆえに、起こってしまう症状だ。番がいないと寿命も短く、昔はひ弱な体格の個体が多かったという。  だが、長年代を重ねていくうちに、寿命が短いという以外では、見た目や能力なども他の性とほぼ変わらなくなっていった。だから、バースを秘匿されると、よっぽどのことがない限りはバレることがない。  ただ、Ωと番えるαだけは、Ωの発する『発情フェロモン』による匂いを察知できる。Ω本人がいくら隠しても、αにはバレてしまうのだ。  だから、いくら秘匿して生活していても、番のいないΩがαに襲われるというリスクは、非常に高い。 「なんで、カミングアウトなんか……」  独り言のようにつぶやく尚樹に、辻は「俺も、最初聞いたときはびっくりしたんだけど」と言いながら、歓迎会の様子を話しだした。  歓迎会の場が和み始めて、参加した全員がそれぞれが自己紹介することになった。その時に、神崎はこう言ったという。 「文学部四年の神埼三春です。みなさんとこうして顔を合わせるのが初めてだからこそ、あえて言います。俺の第二性別は、Ωです。番がいましたが死に別れて、今はいません。そのことにより、発情期が来なくなり、フェロモンも発しませんし、感じることもありません。ですので、番を持つつもりも、αの方々を誘惑することもありませんので、よろしくお願いします」  「なんだ、それ?」  嘘だ、と尚樹は心のなかで反論していた。  最初に彼の存在に気づいたのは、発しないと言ったはずの彼のフェロモンの匂いだったからだ。 「いや、俺に言われてもさ」  尚樹の剣呑な様子に気圧されて、辻が言い訳めいたことを言う。 「俺、βだし。フェロモンがどうとかいうの、分かんねーもん」 「いや、悪い……」  尚樹が謝ると、辻も「別にいいけど」と返した。なんとなく気まずい空気が流れて、二人ともそこで黙り込んだ。  辻が話してみせた神埼三春という人物像と、自分が『運命』と感じた彼の印象とがあまりにもかけ離れすぎている。  辻の話が本当なら、神崎は『自分はΩだけど、発情しないんだから近づくな』と言い放った高慢なΩといえる。  そんな上から目線の態度を、多くのαは好まない。たとえ、番を探していたとしても、そんなΩは相手にしないだろう。  そのことを指摘すると、辻は大きくうなずいた。 「それだよ」 「どれだよ?」 「いや、ふざけないでよ。藤田くん」 「ふざけてねーよ」 「いちいち、睨むなよ。お前、威圧感ハンパねーから」  むすっとする尚樹に、辻はやれやれというように肩をすくめた。 「神崎さんがあえてカミングアウトしたのは、藤田が指摘するように自分目当てのαを、サークルから排除するためだよ」 「排除……」 「本人も宣言したように、番を持つつもりはないんだってさ」  その言葉にも、違和感があった。  あんなに誘うように漂っていたフェロモンと、辻が語る彼の言葉がまったく一致しない。 「新歓で、そんなカミングアウトしたもんだからさー。残ったのは、見事にβだけだったよ」  尚樹の様子を気にすることなく、辻は話を続ける。 「お前は?」  尚樹が辻に聞いた。 「俺ぇ?」  辻が素っ頓狂な声を上げる。尚樹が頷くと、辻は困ったような表情を見せた。 「いや、いくら綺麗な顔しててΩだっていってもさぁ……俺、女の子が大好きだから」  それでも、きっぱりと彼はそう答えた。単に、サークルの主旨がまったりした楽しそうな感じだからと言う理由で、やめずに残ったらしい。 「お前以外で、残ってるヤツいるのかよ?」 「それが、みんな神崎さん目当てでさー。αと番にならないなら、自分にもチャンスがあるんじゃないかって、下心ミエミエで」  それを聞いて、尚樹の表情がますます険しくなり、それを見た辻は「こわっ」とつぶやいた。 「それで?」 「ん?」 「その神崎さん目当てのβはどうしたんだ?」 「やめたよ、みんな」 「みんな?」 「そう。一年で残ったのは、俺ひとり」  辻は、そこでため息をついた。 「だーから、ヤバくてさ」 「何が?」 「サークル。人数少なすぎて、このままだと大学から活動費が下りなくなりそうなんだよなぁ……」  そう言って、辻は横目で尚樹を見る。 「藤田くん」 「さっきから、なんだよ。その付け。気持ち悪い」 「サークル入ってくんないかなー?」 「前から、何度も断っただろ。バイト入れてるから難しいって」 「えぇ? ここまで聞いといて、それ言う!?」  入会を条件に情報提供したんだから、断られると思っていなかった辻は、びっくりして大声を上げる。 「俺も聞きたいんだけど」  険しい顔のまま、尚樹が聞いた。 「なに?」 「なんで、入会を条件にここまで教えるんだよ? 神崎さんのこと」 「んー、サークル活動の危機だから?」 「だとしても、だ。俺が神崎さん目当てで、サークルに入ってもいいのかよ?」 「なんだ、そんなことか」  尚樹の問いかけに、辻が笑う。 「ここまで情報提供したのは、このぐらいじゃ『キレイ好きの藤田』が神崎さんをあきらめるわけないって思ったのと」  辻のセリフに、尚樹の眉間のシワがまた一つ増えた。 「手順を踏まえてあの人を口説くのは問題ないって、サークル内での暗黙の了解があるからね」 「何だそれ」  尚樹のツッコミに答えず、辻はぬるくなったコーヒーをすする。 「Ωって聞いて、神崎さんにますます興味が湧いてきただろ?」  確信めいた口調で、辻が訊いた。だが、尚樹はむすっとしたまま答えない。 「あれ、ちがった?」 「べつに」 「でも、興味があるのはホントだろ」 「あの人がΩだから? 俺がαだから?」  ジロリと辻を睨み返したあと、尚樹は黙り込んだ。それに鼻白む辻だったが、やがて面白いものを見つけたというように、興味津々の眼差しになる。  尚樹がαであることを前提に話を持ち出されるのは、嫌な感じだ。  確かに『彼』に気づいたのは、あのフェロモンの好ましい香りだ。  実際に言葉を交わしたのは他愛もないやり取りだったが、それより前にすでに二人は会話をしていた。お互いのフェロモンで。 『運命の番』は、出会った瞬間に分かるという話は有名だ。  メディアを通じてそんな話を見聞きしたが、眉唾だと尚樹は思っていた。  相手のΩが発情期だったらまだしも、発情していない状態でそんなことがわかるのか、と。  ただでさえ、他のαとちがって、Ωのフェロモンを感じにくい(たち)なのに。  だいたい、世界の人口が一億を切ったはるか昔の人口激減期ならともかく、今は十億もいる時代だ。  その中のわずか一パーセントしかいない『Ω』というバースの人間から、たった一人の『運命の番』に会えるのは、相当難しい。多くのαとΩが出会えないまま、生涯を終える。  だからこそ、運命の番は都市伝説扱いされるのだ。  でも、その都市伝説は全くの嘘ではなかった。  さっき、自分は出会ったのだ。向こうも、そう感じていた。あの特殊な状況をどう表現すればいいのか、わからない。だが、運命と相対したという確信だけは、尚樹の心に残った。 「なぁ、サークル入ってくんないの?」  怖い顔をしたまま黙り込む尚樹に、焦れた辻が問いかけてくる。 「入ってもいいけど、αで、しかもあの人目当ての俺で、いいのかよ?」 「なんだ、認めるんだ」 「うるせーよ」 「さすが『キレイ好きの藤田』くんだなぁ」 「だから、付けやめろ」  辻の言葉に、尚樹が心底嫌そうな顔になる。

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