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第12話

 俺は畳の上を移動して、夜霧の隣に寄り添った。触れあう肩と腕、そして手のひら。互いの何もかもが温かく、静かな鼓動を伝え合っている。 「斗箴は俺の代わりだった」  ぽつりと夜霧が呟いた。今にも消え入りそうな声だった。 「俺が昔、親父に反発していた時のことだ。俺が家を継がないのならば次男に全てを託すからと、たったそれだけのために親父は、お袋に斗箴を産ませた」  夜霧の辛そうな表情を見てられなくて、俺は畳に視線を落とした。 「それまで俺が感じていた不自由さや不安や怒りを、弟に押し付けるくらいなら……俺が本家を継いだ方がましだと思った。まんまと親父の計画に嵌ったという訳だ」 「でも、本当は今も、嫌なのか……?」  答えを聞くのが怖い。だけど聞かずにいられなかった。夜霧が思っていること、人知れず抱いている苦悩……その全てを俺も知りたい。  かぶりを振り、夜霧がはっきりと言った。 「受け入れたからには全力を尽くす。俺にしかできないことならば、俺がやるしかない」  その目は怖いほど勇ましく、何よりも力強い光に満ち溢れている。どこまでも澄み渡り、未来を見据えた夜霧の目。  そこに、俺の姿は映るだろうか。 「……夜霧は、凄い」 「うん?」 「だって世の中には『自分のやりたいことをやれ、決められたレールを走るな』みたいな言葉が溢れてて、それに甘んじて堕落してる若い奴も大勢いる。……だけど夜霧はこの村で悩んで、親父と色々あって悔しい思いも散々して、それでも自分にしかできないことだからって、全て受け入れてる。それって凄いことだと思うよ」 「単に逃げる勇気がなかったと考えられはしないか?」  冗談ぽく言う夜霧に、俺は何度も首を振る。 「違う。夜霧は受け入れる勇気を持ってたんだ」 「………」  許されるなら。 「俺はさ、……そんな夜霧が」  ……この場で。 「好きだって思ったよ」  一瞬驚いたように目を開いた夜霧が、すぐに俺から視線を逸らして俯いた。だけどそれは気まずさからくる仕草じゃない。口元を弛めた夜霧の横顔は、俺の告白を許してくれている。 「………」  夜霧が黙って俺を抱き寄せた。そうはしてもきっと答えは貰えない。初めから覚悟はしていたから、せめて想いの全てを伝えておきたい。俺は夜霧の胸に顔を埋め、独り言のつもりで呟いた。 「……怖くて、強くて、いつも自信に溢れていて、何をされても抗えなくて……。嫌な奴だって思いながらも俺は心のどこかで、そんな夜霧に憧れてたのかもしれない」 「………」 「だけど神社で助けて貰った時、確信したんだ。俺、夜霧の傍にいたいんだって……。それに、今はもっと堂々と言える。俺……夜霧のことが好きになってる」  俺の頭を撫でる手付きから、返答に困る夜霧の気持ちが伝わってくるようだ。だから俺は空気を変えようとして、わざと明るい声で言った。 「へ、変なこと言ってごめん。俺、そうは言っても自分でよく分からないんだ。だっておかしい、俺達男同士だし……それに兄弟なのに」  夜霧の胸から顔を上げた俺の額に、静かに唇が押し付けられた。 「あ……」  気持ちが抑えられなくて涙目になった俺を宥めるように、夜霧が優しい口調で囁く。 「斗箴を助ける理由が無かったのと同じだろう。お前のその気持ちにも、理由なんて必要無いんじゃないか」 「夜霧……」  潤んだ視界の中で、微かに夜霧が笑った気がした。 「俺は立場上、それに答えることはできない」 「当然だよ、分かってる……」 「だが……お前の気持ちは有り難く受け取っておく」  それでいい。ただの自己満足かもしれないけど、真剣に聞いて貰えただけ嬉しかった。抱きしめて貰えただけで救われた。  だから、零れたのは悲しい涙なんかじゃないんだ――。  夜霧が俺の頬を拭おうとしたその時、襖の外から嵐雪の声がした。 「夜霧様。弟様がご帰宅されました。夜霧様に申し上げたいことがあるそうで、一階の居間までおいで頂きますよう」 「分かった、すぐ行く」  立ち上がった夜霧が俺を見下ろし、言った。 「行くぞ、朱月」 「う……うん!」  俺達はすぐに部屋を出て居間へと急いだ。やっと斗箴の本当の笑顔が見られるのだ。思っただけで嬉しくて、心臓が激しく高鳴っている。 「斗箴、お帰り――」 「………」  二十畳の居間では、斗箴が畳に手をついた状態で俺達を待っていた。 「兄様。この度のおれの失態を、どうかお許し下さい」  斗箴の声と小さな体は、見た目にも分かるほど震えている。俺は慌てて斗箴に駆け寄り、頭を上げさせようとした。 「斗箴、夜霧は怒ってなんかない。今日のことは全部、斗箴のためにやったことなんだ」 「ううん、おれが弱かったから。兄様の力を借りないと解決できなかったから……」  顔をぐしゃぐしゃにさせた斗箴を抱きしめ、背中をさすってやる。こんな小さな子供に、親父は一体どんな教育を施してきたんだろう。怒るよりも先に切なくなった。 「斗箴」  俺達の前に胡坐をかいた夜霧が真っ直ぐに斗箴を見据えた。心から尊敬している兄は、同時に怖くて仕方のない存在なんだろう。斗箴は俺にしがみついてぶるぶる震えている。 「お前は何も悪くない。俺の方こそ気をかけてやれなくて悪かった。許してほしい」 「あ、兄様……」 「俺の顔色を伺う必要なんてない。俺はお前の兄だ。……今後はもっと、俺を頼れ」 「兄様ぁ……!」  両腕を広げた夜霧の懐に斗箴が勢いよく飛び込んだ。そうしながら声をあげて泣いている。恐らくは夜霧に抱きしめられるのも、人目を憚らず大声で泣くのも、斗箴にとっては初めてのことなんだろう。 「兄様っ……。あ、ありがとう……ございます!」 「今回についての礼なら、もう一人の兄に言うんだな」  斗箴が鼻を垂らしながらこちらに向き直り、俺の前で手をついて頭を下げた。 「あ、あかつき。違う……あかつき兄様。ありがとう、ございました……」 「い、いいよ、いつも通り『あかつき』でさ。……それで、今日は幼稚園どうだった?」 「いっぱい遊んだ……! みんなで、鬼ごっこをして、お絵描きと、お弁当のおかずを交換した。……帰るとき、みんなでまた明日って言った……!」  ぼろぼろと涙を零す斗箴。よほど嬉しかったんだろう。俺も視界が潤むのを止められなかった。夜霧の後ろに立っている嵐雪と春雷は片手で自分の顔を覆い、声を出さないよう歯を食いしばって貰い泣きしている。それを見て、俺も笑いながら自分の目元を拭った。 「嵐雪」 「はい!」  突然夜霧に振り向かれて驚きながらも、嵐雪は即座に顔を引き締めて気を付けの体勢を取る。 「今夜は、親父は一晩中社務所にいるんだよな?」 「ええ、本日は夏祭りの前夜ですので、そのようにお聞きしておりますが」 「分かった。それなら夕食は斗箴の好物を用意するよう、厨房に伝えておいてくれ」  俺は鼻を啜っている斗箴を膝の上に乗せて訊ねた。 「斗箴、何が食べたい?」 「ハンバーガーと……、ピザと、フライドチキン。あと、チョコレートアイス……」 「覚えたか、全部だ。それから嵐雪、春雷。今夜はお前達も同席してもらう」 「か、かしこまりました。夕凪にも伝えて参ります!」  弾かれたようにして嵐雪が居間を出て行く。俺は苦笑して斗箴の頭を撫でた。斗箴が口にしたのは、屋敷の食事では絶対に出てこないメニューばかりだ。きっと幼稚園の友達が話題にしているのを聞いて覚えていたんだろう。今夜、斗箴はピザやハンバーガーの味を知ることになる。 「とは言ったものの、そんなに食えるだろうか」  腕組みをして呟いた夜霧に、俺は大きく頷いた。「大丈夫!」例え残ったとしても、この屋敷にはあの三人がいるから。

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