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第3話
僕は2週間後、箱根にいた。
いろいろ考えたけど、どうしても僕には堕胎なんてことはできなかった。
本当は怖い。
しばらくは仕事も出来なくなるし、一人で育てることなんてきっと大変だと思う。
考えてみると両親が亡くなったとき、美紀ねえは今の僕よりずっと子供で、弟と妹抱えてすごく不安だったろうな。
そんなこと考えて。
そしたらふと、あのホテルに行きたいなって思ったんだ。
姉さんが式を挙げた「箱根エンパイアホテル」に。
記憶がないとはいえ、一応、子供の父親と出会った場所だろう?
父親を探そうとか、思い出そうとかそんな考えじゃなくて。
その場所を嫌な思い出じゃなくていい思い出に変えときたかったんだ。
生まれてくる子供のために。
僕は2泊3日の日程でホテルにチェックインしたあとで、芦ノ湖の遊覧船へと出掛けた。
シルバーウィークの真っただ中で、遊覧船は満員状態だった。
景色は凄くきれいだった。
だけど5分もしないうちに僕はひどい船酔いに襲われた。
……大丈夫だと思ったんだけどな。
今日は体調も良かったし。
もしかしたら妊娠中って、酔いやすいのかも。
新幹線でもちょっと酔ったし。
船酔いと人酔いとつわりのトリプルミックスで、僕は遊覧船から降りるとホテルへと向かった。
だけどとても部屋まで行きつけなくて、一階ロビーのソファにぐったりと腰かけた。
そんな僕の様子にホテルのスタッフの人が気付いてくれたみたいで。
「どうかなさいましたか?」
受付にいた女の人が、僕に話しかけてくれた。
「少し……遊覧船で酔ってしまって……」
僕はそれだけ言うと、目を閉じた。
しばらくすると、酔い止めの薬を持ってきてくれた。
その薬を受け取って、ふと、僕は尋ねた。
「この薬……妊娠中でも大丈夫ですか?」
すると、受付の女の人はすごく驚いた表情をしていて。
ああ、オメガの妊婦って、初めて見るのかな? って思った時。
「妊娠……?
颯太、妊娠して……?」
僕は背後から颯太って呼ばれて、驚いて振り返った。
誰か、知り合いにばれたのかと思ったんだ。
まだ誰にも言えてなかったのに、親戚とか、同僚とか、そういう人たちに。
だけど振り向いた先にいたのは、そのどちらでもなかった。
「え……? す…めらぎさん?
なんでっ!」
僕の名前を知ってるんだろう?
皇さんは、少し寂しそうに微笑んで「颯太……私に会いに来たんじゃないのか?」と尋ねた。
「ど……どうして僕のこと知ってるんですか?
一度も、話したこともないのに!」
僕は思わず叫んでしまった。
思った以上に声がロビーに反響して、僕たちはたくさんの人たちに注目されている。
うわ……!!
どうしよう!!
皇さんは、日本でも有数の財閥、皇グループの次期当主だ。
テレビにも良く出演してるし有名人なのに、僕は公衆の面前で騒ぐなんて、大変なことをしてしまった。
いたたまれなくなって、僕はソファから立ち上がると、エレベーターへと走り出した。
……否、走り出そうとした。
だけど、僕は後ろから皇さんに抱きすくめられた。
「馬鹿! 颯太、走るな!」
皇さんの声が、僕の耳元で囁かれる。
「みんな、見てるからっ!」
「ダメだ!
離さない!
離したら、逃げるだろ?」
「逃げないっ!
逃げないからっ!!」
僕はそう訴えたけど、皇さんは僕を離そうとはしなかった。
そのまま僕はホテルの大きなロビーを皇さんに抱っこされながら、エレベーターに乗った。
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