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選択の先 最終章・柒年の哀⑩
「――オイ、芥川」
「…………」
「芥川ってば、中也さんが太宰さんを連れて行ったぞ」
「喚くな、僕も視認している」
去った様に擬装をして、移動販売店の陰に身を潜めていた敦と芥川の二人は中也が太宰を連れ去って行く様子を唯眺めて居た。
二人の距離からは会話の内容迄は窺い知る事が出来ず、太宰が大きな挙動を示す度身を乗り出す芥川を抑える事に敦は奮闘した。
然し中也が太宰を連れ去った先に迄跡を着けてしまえば見付かる事は必至。二人の様子から最悪の事態にだけは発展しまいと判断すると敦と芥川の両名は互いに声を掛け合う事も無く公園を後にした。
人目の無い建造物の隙間、太宰を下ろした中也だったが未だ乱れた呼吸が続く太宰は何度も短く酸素を取り込もうとする。
「太宰、オイ落ち着け太宰」
両腕を掴み混凝土打ち放しの壁に押し付け顔を見上げる。太宰自身も理解はしているようで頷く素振りを見せるが双眸には息苦しさから涙が浮かび、其の表情が中也の心臓を強く鷲掴む。 其の鳶色の瞳に引き込まれるかの様に、気付けば唇を重ねて居た。
口移しで運ばれる二酸化炭素。太宰が求める度に中也は呼気を受け渡す。其れを何度か繰り返した後太宰は唐突に膝から崩れ落ちる。掴んだ両腕で支えるも力無く撓垂れる両腕を離すと太宰が逃げ出さないように両腕を背中に回して抱き締める。
「太宰……」
強く抱き締める事で、此の狂惜しい程に愛おしい胸の痛みが伝われば佳いのに、と外套の背布を強く握る。離したら此の手にはもう二度と戻らないかも知れない。小さな躰は小さく震え、未だ其処に在る体温を離すまいと自然に力が込められる。
「…………で、」
太宰が小さな声で何かを云った。図らずも訊き逃して仕舞った中也は顔を上げ、頬へと落ちる滴に息を呑んだ。
大粒の涙が太宰の瞳に滞留する。堪えようとするも次から次へと奥から湧き上がる感情が其れを赦さず、大きな塊となり中也の顔面に降り注ぐ。
――――死ナナイデ
音は何も聞こえなくなった。何かの異能かと考える余裕も無く、此の空間で、世界に唯二人きりでは無いかと思える程の静寂。
太宰が過去に一人だけ、其の死を悼んだ存在が居る。
自分には決して越えられない存在である事を中也は問わずとも理解していた。 其の存在は――今も太宰の中で大きな存在感を示し、其れを実感する度中也に昏い影を落とす。
「太宰、」
両手の指を絡ませ、中也は太宰を見る。
今以上にもっと嶮しい道を太宰に歩かせて仕舞うかも知れない。
零れ落ちる涙に顔を近付け愛しい滴を掬い取る。水分も体液も、感情の欠片ですら其の凡てが自分の物で在って欲しい。
「俺は今生きてるだろ」
一度強く握った後、中也は掌から力を抜き指先のみで触れる程度に手を重ねる。
「今此の瞬間だけ手前に逃げる好機をやる」
太宰は中也から逃げる心算も、離れる心算も元から無かった。触れるだけの指先に太宰の瞳は揺れる。
「逃げねェなら俺は二度と手前を離さねェ――覚悟を決めろ」
――此れは終幕では無く、此処からが始まり。
「俺を選べよ、太宰」
――【君】との未来を【選択】した先に在るものは―――
其の指先には血が通い仄かに暖かく、僅かな脈拍が指先からでも伝わる。
確かに生きて居る其の人が、自分を選べと決断を迫る。
あの日あの時躊躇い伸ばせなかった手が、今再び今生の別離との選択肢を目前で突き付ける。
――もう二度と誤った選択をしない為に太宰は、
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