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第8話

「勘さん、聞きてえことがあるんだ!」 作業場へ入ってくるやいなや、大声で正吾に言われて作業をして居た勘七は驚く。 「なんでい、デカイ声出すな!気が散らあ!」 「わわ、すまねえ」 ったく、と呟きながら勘七は手を止める。 「急ぎじゃねえからいいけどよ…で、なんだ」 休憩するかと煙管を取り出し、火をつける。 「あの、ヨシさんの所へ行った月次郎のことなんだけどよ」 「…ああ」 一瞬驚いたような顔をして勘七は正吾を見た。 「まだアイツ、彼処(あそこ)に居んのかい」 大きく煙を吐いて、勘七は小さく首を振る。 「月次郎の奴あ、今からってときに病に掛かってな。もう直ったらしいがそのときの症状が元で右腕が駄目になっちまったのさ」 「な…、でもあの絵は…」 「お前も見たのか。『人待ち月夜』だろう?あれを描いたあとサ。…ヨシさんも仲間も悲観してたが本人は『一番描きたいものは描けたから満足だ』って言ったらしい。今は住まいで療養しているらしいぜ」 大きく目を見開き、正吾はその場にうずくまる。 やっと描きたいものがヨシのとこで見つかったというのに、 アイツは俺よりも才能があったはずだ。 これから才能が開花して人気絵師になるはずだった。 実際、1枚だけでもこんなに評判だ。 なのに大切な右腕が駄目になったしまってはもう絵師に戻れないだろう。 なぜこんな目に合うのか。 (月次郎) 「ありがとう、勘さん」 「おお。お前も気落ちしないようにな…」 「豊師匠も知ってた?」 「ヨシさんから聞いてるよ。アイツは二人の弟子だったしな」 ズキンと胸が痛んだ。 正吾は再度、走り出す。 月次郎の住まいへと。 ** 一度昔来た記憶を手繰り寄せながら、なんとか月次郎の住まいを見つけた正吾は戸を叩いた。 暫くしてそっと戸が開彼、中から月次郎が姿を表した。 お互いに一目見て驚く。 「正吾兄さん、どうして…」 そう言った月次郎の顔の白さと痩せた頰に正吾は驚いたのだ。 病を患い、回復したとは聞いていたがまだ調子が悪いのだろう。 咳き込んだ月次郎の背中を、慌てて正吾はさすった。 「聞きたいことがある、中入ってもいいか?」 「…こんなとこでよければ…」 中に入り、腰掛けた。 「病に罹ったって聞いたけど、もう大丈夫なのか」 月次郎が入れてくれた茶をすすりながら正吾がゆっくりと問うた。 俯き加減の月次郎は頷き、こう続ける。 「病自体はそんなに対したことなくて…ただ、右腕がもう使えねえ」 差し出した右腕は、物を掴む事も出来ないという。 「ヨシさんは、それでもまだ出来ることを手伝ってくれればいいって言ってくれてるよ」 ただ、自分の気持ちがまだ落ち着かないんだと呟いた。 絵師になれない自分があの仕事場で働けるのか。 なれないのならばいっそ、他の道へと進む方が良いのか… 「駄目だ、月次郎。おまえの才能を埋めちゃなんねえよ」 正吾の言葉に、月次郎は顔を向けて睨む。 「お前はいい絵を描いたじゃないか。評判なんだぜ、知ってたか」 「…」 睨んでいた目がふと、切なそうな目に変わる。 「絵師はこの女に惚れてたが、女には他の奴が居てそれを分かって居ながら描いたってえウワサだぜ。娘っこさんに聞いた」 だけどよ、おめえはまだ女が描けないはずだ、と続ける。 「あの女は、俺なんだろう?月次郎」 正吾の言葉に、目を瞑る月次郎。 暫くの沈黙の後、月次郎は重い口を開いた。 「そうです。正吾兄さんを、描きました。女に見立てて。あなたと分からないように」 でも如何しても首筋の黒子は消せなかった、と俯いて月次郎は話す。 「元々、私はあなたに憧れてた。自分に持っていないものだらけのあなたに。そんな折にあったのがあの春画のことだ。私はあの時自分の気持ちを確信したんです」 「…」 「だけどあなたは他の仲間でもしていると。吉原に行ったりもしていたし、私の気持ちを伝えたところで」 顔を上げ、正吾を真っ直ぐに見据える。 あの瞳が潤んでいた。 「手に入らない」 悶々と過ごすうちに師匠とヨシの騒動があり、離れることを決意したのだと言う。 師匠に近い月次郎が鞍替えしたことに、ヨシは驚いていたが理由を聞かず置いてくれた。 そろそろお前の名で絵を発行してみるかと言われ、描いたのが『人待ち月夜』だ。 自分の気持ちを写して描いた絵が評判となり、その噂話が流れ出した頃、病に倒れた。 幸いにも命に別状は無かったが、絵師としての命である右腕を失った。 「世話になった師匠や正吾兄さんを己の感情だけで裏切った私にバチが当たったんでしょうかね」 自嘲の笑みを浮かべ、月次郎は大きなため息をついた。

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